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Karte.2 超心理学の可不可-硝子
超心理学の可不可-硝子 2
しおりを挟む仕事を終えて、春名が帰り支度を始めた時、
「『着衣失行』ですか、先生?」
と、十七、八歳の少年が、皮肉げな眼差しで春名を見上げた。
彼は春名の秘書で、仁、という。春名は、いつも『仁くん』とだけ呼んでいる。
まだ幼さを留める少年だが、大人以上に有能で、春名にはなくてはならない存在である。きれい、と形容できるほどに整った面貌も、瞳にかかるサラサラとした髪も、華奢な肢体に似合って、愛らしい。たとえ、今、眉を顰めて不機嫌な顔をしているとしても……。
「ん?」
着衣失行、という仁の言葉に、春名は、自分の服を見下ろした。渋い色合いのそのシャツは、仁が見立ててくれたものでもある。
だが、別に裏返しにも着ていないし、袖も通し忘れてはいない。
「ボタンが一つズレてますよ。下の方が」
ズボンに被るか被らないかの辺りを示して、仁が言った。
「あ……」
シャツは、仁の指摘の通りに、ボタンが一つズレていた。上の方が合っているせいで気がつかなかったのだ。
「どーして朝はちゃんと着てたのに、帰る時に一つズレているんですか? おかしいじゃないですかっ」
不審を露わにする睨みが飛んだ。
「おかしいとは?」
「どこで脱いだんですか?」
限りなく冷ややかな視線である。
「脱いだ? え、おい――」
「ここは院内ですよ」
さらに瞳が険しくなった。
「院内、か。――で、俺がその院内で何をしたと言うんだ?」
いくら疑いの眼で睨みつけられようと、春名には身に覚えのないことである。そもそも、たかがボタンの掛け違いで、そこまで問い詰められる覚えもない。
「服を脱ぐようなことでしょう?」
「これは――」
「さっき、そこで笙子先生を見ましたよ」
そこまで言えば解るはずだ、とでも言いたげに、仁は言った。
彼が口にした『笙子』とは、この病院の医師ではなく、クリニックを開業する美人セラピストのことである。
「え、あ、そう」
だからか、とは思ったが、別にうろたえるようなことなどしてはいないし、第一、院内でそんなことをしなくても、今日、これからゆっくりとすることになっている。もちろん、仁には教育上、『遅くなる』としか言ってはいないが――。いや、わざわざそれ以上を言う必要もない。
それでも、仁は薄く瞳を細め、疑り深い視線を向けている。
所謂、無言の攻撃、という奴だ。
「何だ、その目は? 俺が彼女と何をしたと言うんだ?」
春名は、その無言の攻撃に耐え兼ねて、苦々しく言った。
「別に」
仁は、プイ、と横を向く。
何しろ、この少年が春名の生活の一切合財を担っているのだから、無視は出来ない。
溜め息をつき、
「だいたい着衣失行症というのは、どうしても服をきちんと着ることが出来ない人間のことを言うんだ。裏返しに着たり、袖を一本通し忘れて平気でいたり――。これはただのボタンの掛け違いで――」
「どーしてそっちに話を逸らすんですか? 後ろめたいことがないなら堂々としていればいいじゃないですか」
どうしても納得できないらしい。いつもの勘、という奴だろうか。
「はい、鞄です」
と、春名のバッグを、むっつりと突き出す。その手付きも疑り深く、素っ気ない。
春名もさすがにムッとした。
「だから、ボタンを掛け違えたのは着替えたからで――」
「どーして着替える必要があるんですか? ぼくが朝出したシャツは新品ですよ」
「新品でも汚れるだろう?」
「解ってます。でも、ぼくは汚れたシャツを受け取ってませんよ」
仁は、じっと春名を睨んでいる。
話を聞くまでは、引きそうにない。
「……」
春名は再び溜め息をつき、仕方なく事の起こりを話し始めた。
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