可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.2 超心理学の可不可-硝子

超心理学の可不可-硝子 1

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 話の途中、篠田悟が突然、両手で耳を塞いで、うずくまった。――といって、彼が嫌がるような話をした訳ではなく、いつも通りのセラピーの途中である。
「どうかした?」
 春名は、その篠田悟の様子を見て、問いかけた。
 医者がするのは、いつも質問ばかり――そう言われるかも知れないが、『訊くこと』と『聞くこと』は、医者の仕事の基本である。
「……」
 篠田悟は何も応えず、ただ苦しげに耳を押さえている。
「悟くん?」
 春名がもう一度呼びかけると、篠田悟は、やっと少しだけ、顔を上げた。
「……声が聞こえるんです。……先生と話をしているのに、他の人の声が……」
 と、一点を凝視したままで、薄く呟く。
 そして、再び、耳を塞いで黙り込んだ。――いや、黙り込む、というよりも、ほとんど放心状態に近い沈黙である。それも、かなり長い時間の……。
「悟くん?」
 三度、春名が呼びかけると、篠田悟は、フッと我に返ったように顔を上げた。
「頭の中の整理がつかないんです……」
 と、小さく言う。
「整理? 声のこと?」
「……影響されるんです」
「影響? 誰に? 声の主?」
「津田さんが、ぼくの心に呼びかけるんです。それで、ぼくはぼくでいられなくなるような……。喋ってはいけないとか、食べてはいけないとか……」
 津田奈津子――。その名前は、以前に彼が務めていた一流企業の女性社員の名前であり、彼が恋慕をしていた相手の名前でもある。
「彼女は何故、そんなことを?」
「彼女は、歌手の折原ことりと一つですけど、二人なんです。それで、ぼくも津田さんと一つで、津田さんもぼくと一つで……。解らないんです」
「解らないって何が?」
「ちょっとしたことなんです。でも、とても大切なことなんです。ぼくにはそれが欠けていて、どうしても解らなくて……。ぼくは、ぼくじゃないんでしょう、先生?」
「単一性の問題?」
「……津田さんを見かけたんです」
「いつ、どこで?」
「隣の病棟にいました」
「それは折原ことりと同じ人?」
「その時は変装しているんです。でも、よく似ているし、ぼくには教えてくれるので――。テレパシーのようなものです。ですから、すぐに判りました」
「津田さんは会社の女性だろう? 隣の病棟で見たのは別人じゃなかった?」
「いえ、彼女です。彼女の視線は判ります」
「……。彼女とは会社でよく話をした?」
「付き合っていました」
「どの程度の付き合い?」
「……肉体関係がありました」
「本当に?」
「彼女に責任はないんです。彼女は関係を持っていないので、ぼくだけが肉体関係を持ったんです」
「どういうこと?」
「ぼくが強引に誘ったので」
 精神分裂病者である彼には、ありがちな妄想、だった。
 春名は、もうしばらく話を続け、それから、病室を後にした。
 彼――篠田悟は一流商社に務めるエリートで――いや、エリートであったが、自殺未遂を起こしてこの病院に運ばれ、今も治療を続けている『分裂病パラノイア』の患者である。――いや、今は統合失調症というのだが。
 そして、ここは精神病院ではなく、総合病院の一角にある精神科病棟で、春名の仕事場でもある。
 一応、それなりに優秀な精神科医サイキアリストであり、まだ三十代半ばの若さでありながら、充分過ぎるほどの実績をUSAから持ち帰った精神分析学者サイコアナリストでもある。その実績からすれば、USAで開業しても充分通用し、権威ある精神病院でも、快く迎えて入れてくれたことだろう。
 この病院は、特別、精神医学の分野に優れている訳でもなく、春名がわざわざUSAの研究室を出て勤める、というほどの病院ではない。もちろん、多少の厚遇は受け、個人の研究も続けさせてもらってはいるが、春名はそれを当てにしてここへ来た訳でも、ない。
 それに、春名がここに満足し、病院側も彼に満足しているのなら、取り立ててどうこう言う問題でもないだろう。
 何より、看護師たちは、春名に充分、満足している、というのだから。
 窓の外では、強い風が吹き荒れていた。今日は、誰もが目を暝って通り過ぎる風の日である。――そう。風の日には誰もが、目を暝る……。


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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