可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

文字の大きさ
上 下
26 / 350
Karte.1 自己愛の可不可-水鏡

自己愛の可不可-水鏡 25

しおりを挟む

「ぼくたちを一つの卵に還してください、先生」
 幸福な夢から醒めるように、珠樹が言った。それは、怖いくらいに真剣な瞳でもあった。
「……還す?」
 春名は、その真摯な瞳に、戸惑った。
「一つだったんだ……。こうしていつも一つに……」
 不意に、珠樹の唇が重なった。
 舌が唇を割って入り込み、春名はその感触に目を瞠った。
「やめ――っ」
 と、珠樹の肩をつかんで、押し戻す。が、珠樹は離れようとはしなかった。
「一つだったんだ……」
 と、春名の首筋へと舌を這わせる。
 これは本当に珠樹である、というのだろうか。
 あの繊細で、素直な青年だというのだろうか。
「先生はきれいだね……」
 これは――。
「やめるんだ!」
 春名は、ハッ、と体を翻し、珠樹の体を振り払った。
「……クックッ」
 低い笑みが、零れ落ちる。
 嘲笑のように皮肉な笑みが――。まるで、世の中の全てを見下しているように。
「君は……」
 春名は、目の前に立つ片割れの姿を、呆然と見つめた。
「クックッ。珠樹にもこうしてやったんだろ、先生?」
 珠樹――いや、珠樹と瓜二つの片割れ、冬樹が言った。同じ姿の、別の人間が。
「俺と珠樹は同じ人間だ。先生にだって区別はつかない」
「……」
 区別が……。
「同じ人間の区別がつくはずがない」
 確信を込めた眼差しで、冬樹は言った。
 だが、そんなことを確かめるために、彼はここへ来た、というのだろうか。そして、彼が冬樹なら、珠樹はどこにいるというのだろうか。
「……。珠樹くんはどこに? 君がここへ来ることを、珠樹くんは知っているのか?」
 春名は不安を胸に問いかけた。
「珠樹はここに戻ると言ったんだ……。あんたが余計なことを吹き込んだせいで。あんたのせいで、珠樹は俺を置いて行くと言った。あいつと離れ離れになるくらいなら――。そう思って、俺は珠樹に薬を飲ませた」
「な……っ」
 春名は、冬樹の言葉に目を瞠った。
 その危惧を持っていなかった訳ではない。予測できないことではなかったはずなのだ。精神的な双子の話は、春名自身が仁に話したことであり、仁もまた、二人の治療をすることには、乗り気ではなかった。そんな危険があったにも拘わらず、注意を払っては、いなかったのだ。――いや、冬樹が珠樹を守ろうとしている心に偽りはないと感じていたからこそ、彼が珠樹を手にかけるなどとは、思ってもいなかった。
「珠樹くんをどうした! ――殺したのか? 珠樹くんを殺したのか!」
 冬樹の胸倉をつかみ取り、その言葉を投げつけると――。刹那、腹部に、冷たい感触が突き刺さった。痛み、というよりも、氷を押し付けられたような感覚だった。
 春名は呆然と視線を、下へ、落とした。
 そこには、ナイフを持つ冬樹の手と、広がり始める血が、あった。
 刺されたのだ。
「冬樹……くん……?」
 春名は、ナイフを握り締める冬樹へと、困惑の眼差しを持ち上げた。
「幸せだったんだ……。俺たちは誰よりも幸福だった……。その幸せが壊されるくらいなら、珠樹を殺して俺も死のうと思った。だから、珠樹を睡眠薬で眠らせて、楽に死なせてやろうと……」
「……」
「あいつを苦しめることなんか出来ない……。眠っている間なら、何の苦しみも感じずに死ねると……。俺は、珠樹の首を絞めた」
「――。あ……」
 背筋が凍りつくような言葉、だった。医者としての自信も、高をくくって傍観者となっていた過信も、全て崩れ落ちて行くような、そんな。
 珠樹が苦しまない方法なら、彼には弟を殺すことが出来たのだ。己も後を追う覚悟なら。
 だが、冬樹はまだ死なずに目の前にいる。珠樹を殺し、自分も死ぬ積もりをしていたであろう、その半身が。
「生きて……いるんだな……珠樹くんは……?」
 春名は訊いた。


しおりを挟む
参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

寝させたい兄と夜更かしの妹(フリー台本)

ライト文芸
夜更かして朝おきられない妹に、心配でなんとか規則正しい生活をして欲しい兄だが…

フリー台詞・台本集

小夜時雨
ライト文芸
 フリーの台詞や台本を置いています。ご自由にお使いください。 人称を変えたり、語尾を変えるなどOKです。 題名の横に、構成人数や男女といった表示がありますが、一人二役でも、男二人、女二人、など好きなように組み合わせてもらっても構いません。  また、許可を取らなくても構いませんが、動画にしたり、配信した場合は聴きに行ってみたいので、教えてもらえるとすごく嬉しいです!また、使用する際はリンクを貼ってください。 ※二次配布や自作発言は禁止ですのでお願いします。

処理中です...