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Karte.1 自己愛の可不可-水鏡
自己愛の可不可-水鏡 24
しおりを挟むメントールの物悲しい紫煙が広がると、ドアに控えめなノックが届いた。
仁が戻って来たのだろうか、とも思ったが、それにしては、早すぎる。何より仁なら、入るのに返事を待つことはしないだろう。診察室とは違い、ここに患者がいることはないのだから。
「どうぞ」
春名は声を掛けて、視線を向けた。
入って来たのは、双子の片割れ、珠樹だった。手には入院の支度らしいスーツケースを抱え、恥ずかしげに瞳を伏せている。
「先生……」
そんな姿もいつものままで。
「よく来たね。入りなさい」
笑みを見せて、春名は言った。
ホッ、としたような空気が、部屋に流れる。
「一人?」
「はい……。兄は――。一緒に行こうって言ったんですけど、行かないって」
「そう。心配しなくてもいい。もう一度、話をしてみる」
もともと、あのまま放っておくつもりなどなかったのだから。
だからと言って、冬樹が激昂したままでは話にならない。彼の気持ちが落ち着いてからでなくては、昨日の二の舞になるだけである。
「引き留められただろう?」
と、家でのやり取りを問いかける。
「はい。どうして二人で暮らすことがいけないのか、と――。うちの両親みたいに顔さえ合わせない夫婦の方が正常なのか、と」
「そうか……。ぼくは二人で暮らすことがいけないと言っている訳じゃない。一人の人間としての自覚を持つように、と言っているだけだ」
どうしてもその部分が伝わらないのだが。
「他人なら――。異性なら誰とでもセックスをしてもいいんですか?」
「――え?」
珠樹の言葉に、春名は少し惑って、顔を上げた。
「父みたいに若い女を囲ったり、母のように、自分の息子と変わらない年の男と旅行に出掛けたり――。それでもぼくたちより正常ですか?」
幼い頃からの嫌悪を映すようなその言葉は、彼らがずっと抱えて来た矛盾でもあったのだろう。
察していた家庭環境とはいえ、春名は、珠樹の懸命さに、言葉を失くした。
「うちの両親は正常ですか? ぼくたちは異常ですか?」
正常と異常……。そんなものは、絶対的に数の多い人間たちが、数の少ない別の人間を区別するために使う言葉に過ぎない。そして、異性を愛する者は、同性を愛する者よりも絶対的に多い。
「自分自身を愛する人間は――。自分に似たものを求める人間は、誰かを傷つけますか? ぼくたちは両親を傷つけましたか?」
「……」
「先生もフロイトを引用して本に書いていましたよね? 生まれて間もない乳児は乳を含み、指をしゃぶり、そうして唇に快感を覚える。それは、まだ自己の意識に目覚めていない自分で、その時期を過ぎて自己愛に進む。自分を慈しみ、自分に似た姿や性器を愛する。ナルシストは、その自己愛の時期の子供と同じように、同性愛の願望を抱いた行為を伴うことが多い。つまり、幼児的な自己中心性を本質とするものだと――。ぼくたちは、その自己愛の時期から成長していない。でも、それはぼくたちのせいですか?」
彼らの……。
彼らが悪い、というのだろうか。
彼らを治療すれば全てが終わる、というのだろうか。
重なる質問を胸に刻み、春名は灰皿に煙草を押し潰した。
「いや。一卵性双生児でも、ナルシストや同性愛者にならない者はいくらでもいる」
「幼少期の環境ですか?」
珠樹は訊いた。
「どんな幼少期だった?」
「……いつも二人一緒でした。母に叱られて泣いていると、いつも冬樹が慰めてくれた。その時は、冬樹も母に言い返せるほど大きくなくて、ぼくを守れないことをとても悔しがっていました。ぼくたちは同じベッドで眠って……。初めてのキスだった。そして、ぼくたちだけの世界だった。そうすることが自然で、一度も不自然だなんて思いませんでした。ぼくたちは一つなんだから……。精神的にも、肉体的にも一つになって……。とても幸福だった」
幸福……。確かに今は幸福だろう。二人でいる今は。
だが――。
死ぬ時も一緒だとは限らない。
同じ時に生まれても、同じ時には死ねないのだ。
だとすれば、一人が死ねば、残された一人は……。
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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
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