可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.1 自己愛の可不可-水鏡

自己愛の可不可-水鏡 22

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「女の子に触れてみたいんだ。冬樹とも先生とも違う不思議な生き物に」
「何を……。俺は許さないぞっ! そんなことはさせない!」
 もう感情だけの言葉だった。
 冬樹の腕が、珠樹の腕を掴んで引き寄せる。
「ぼくは冬樹のものじゃないっ!」
 珠樹は、その手を振り払った。
「珠……樹……?」
 壊れることを恐れる心と、殻を壊して飛び立とうとする翼――。
「冬樹も一緒に先生のところへ行かないか? 先生に色々なことを訊いて、相談に乗ってもらって、教えてもらって」
 真摯な言葉で、冬樹を見つめる。
「これは……俺とおまえだけのことだ。他の人間は関係ない。あの医者に話すことなんか何もない」
 手のひらに爪を食い込ませ、冬樹はさらに頑なな瞳で、唇を結んだ。
「先生なら聞いてくれる。ぼくと冬樹がずっと信じていたことを。そうして生きて来たことを。そして、教えてくれる。ぼくと冬樹が何故別々の人間なのか。何故、二人になったのか――」
「一人だ……。俺とおまえは一つだ」
「ぼくは行くよ。冬樹が行かなくても、ぼくは自分の意思で行く。違う生き方をしたいんだ」
 珠樹はスーツケースを取り出して、必要なものを詰め込んだ。
「珠樹――! 俺を……。俺を置いて行くのか……? 俺はおまえの半身だ。離れられるはずがない……」
 すがるような哀しさだった。
「……。ぼくは冬樹が一番好きだよ。別の人間でも、一番」
 小さい頃から、ずっと自分を守ってくれた優しい兄が――。今でも何よりも大切で、これからもそうであることに変わりない。
 それでも――。
「俺は……おまえがいなければ生きていけない……」
「……」
「生きていけないんだ、珠樹……」
 哀しい響きが、部屋に、落ちた。
 一人になるのは不安なのだと。
 置いて行かれるのは辛いのだと。
「冬樹は誰もが認めてくれているモデルじゃないか。ぼくには何もないんだ。それでも、春名先生は自信を持っていい、って言ってくれた」
「違う! 俺とおまえで『冬樹』だっ」
「……違うよ。ぼくは珠樹だ」
「――。それなら――。それなら、これからはおまえの名前で仕事をすればいい。そうだろ?」
 冬樹の言葉に、珠樹はゆっくりと首を振った。
「名前の問題じゃないんだ――」
「じゃあ一体、何だと言うんだ!」
 千切れそうな心が、憤りの言葉を吐き出した。
 もちろん、それが痛々しい心の現れであることも、解っていた。
「……。冬樹は『冬樹』で生きて行けるけど、珠樹はどこにもいないから――」
「俺は生きて行けない……。おまえがいなければ……珠樹……。俺を置いて行かないでくれ……」
「……」
「二人でいて何が悪い? 何故、二人でいることを責められなくてはならないんだ? 何故……?」
 何故……。誰がその応えを出せる、というのだろうか。
「冬樹……」
 珠樹は小さく、眉を落とした。
「何故だ、珠樹……? 俺たちはうまくやって来た。何一つ問題もなく、いつも二人で生きて来た。その辺りの奴らよりも、よほど幸福だった。俺たちが二人でいることで、誰に迷惑をかけたと言うんだ?」
 誰に……。
「俺たちは、結婚しても顔すら合わせない夫婦よりも、ずっと深い絆で結ばれていた。そうだろ?」
「……」
「違うのか?―― 顔さえ合わせなくても、男と女が夫婦でいることが正常だと言えるのか? 世間体だけの夫婦が、次から次に愛人を作って暮らすことが正しいと言えるのか? ――兄弟で一緒に暮らして何故悪い? 俺たちが一つであると言うことが、一体どれほどの異常なんだ?」
 彼のその言葉を、誰が否定できたというのだろうか。
 今の世の中が正常で、彼が異常であると、誰が言えるというのだろうか。
「……。冬樹は異常じゃない。言っていることも正しい。でも、ぼくは自分の意思を持って、自分の生き方をしたいんだ。それだけなんだ」
 珠樹は、理解を求めるように言葉を綴った。
 決して、冬樹から離れようとしている訳ではないのだと――。
 ただ、他のこと――何よりも自分のことが知りたいのだと――。
「女を抱きたいのならそうすればいい。やりたいことがあるのならすればいい。だが、俺を置いて行かないでくれ……。俺とおまえは一つだ……」
「冬……」
「一つだ、珠樹……」
「……」
 夜は真実を深く塗り込めるように、剥げ落ちた部分を、何度も上から隠して、行った……。


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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