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Karte.1 自己愛の可不可-水鏡
自己愛の可不可-水鏡 20
しおりを挟む「あの――っ。外まで送ります」
部屋を後にする春名の背中に、すがるような声が被さった。
ほんのわずかだが、兄と春名の間で、迷っているのかも知れない。
「……ぼくと冬樹は、生まれた時に半分になってしまったんです。だから、二人じゃなくて、一人なんです」
エレベーターホールへと向かう中、言い訳のように、珠樹が言った。
「そうでしょう、先生? ぼくたちは一つの卵だったのに、半分に分かれてしまったんです。――一つの卵は二つにはならないでしょう? 半分になるだけでしょう? 1=2ではなくて、半分と半分で一つでしょう?」
――半分と半分で一つ……。
頭のいい彼らが思いつきそうな解釈である。
「きっと、冬樹の言った通り、先生の方が間違ってる……」
――春名の方が……。
その彼の言葉が間違っている、と言い切れる人間がいるだろうか。
エレベーターが静かに止まり、春名は、その四角い箱の中へと、足を入れた。
珠樹が乗り込むのを見て、フロア・パネルのボタンを押す。
口を開いたのは、エレベーターの扉が閉じてからのことだった。
「君が一卵性双生児をそういう風に理解していても、君は紛れもなく一人の人間だ。どんなに冬樹くんと似ていても、冬樹くんといることが心地よくても」
と、エレベーターのパネルの上部にあるスイッチを、跳ね上げる。
エレベーターが、カクン、と揺れ、下へ着く前に動きを止めた。
「先生?」
珠樹の面が、持ち上がった。戸惑うように、春名の面を見つめている。多分、次のことは、彼も全く予期してはいなかっただろう。
春名は、珠樹の体をエレベーターの隅へと押し付けて、二つの唇を重ね合わせた。
突然のことに、珠樹の瞳が大きく揺れる。
「センセ――っ! ん……」
抵抗、と呼べるほど強いものではなかったが、逃げようとする珠樹の肩を抑えつけ、強引な舌で、震える唇を割り開いた。
溶け合う舌に、珠樹の舌は応えていた。目眩を起こすような陶酔の中、淫靡で、巧で、熱くて、冷ややかな疼きに、恍惚とする。
「……。これが他人と一つになる時だ」
唇を離し、春名は、茫と潤む珠樹の瞳を見つめて、言った。
珠樹がまだ痺れを留める唇へと、そっと指を持ち上げる。
「解るだろう? 君の言う一つというのは、自分を愛する一つだ。だが、他人を理解することでも一つになれる。――手を貸して」
春名は珠樹の手を取り、自身の頬へと導いた。
「これが俺の顔。これが俺の肩、胸、腕、そして、俺自身だ」
「――!」
触れた部分に、珠樹の手が、ハッ、とするように引っ込んだ。
だが、春名は手を放さず、
「君の体とどこが違う? 冬樹くんの体とどこが違う?」
「手を……放して……」
「君は一つだろう? さっきも一つだっただろう? 君が言うように、一つが半分と半分を意味することなら、それは人間にはあり得ないことだ。人は一つになれても半分にはなれない。一人の個人として、一人を愛することしか出来ない。そして、それは自分に向ける愛情ではない。他人に向けるべき感情だ」
「……」
「――女性に興味は?」
春名は訊いた。
「何となく……」
珠樹が小さな声で受け応える。
「女性の体は男とは全く違う。ぼくは君と同じ男で、冬樹くんもそうだ。そして、三人とも別々の人間だ。――病院へ戻る気になったら、いつでもおいで」
優しい笑みで、再びスイッチに手を伸ばす――と、
「先生――」
珠樹が真摯な瞳を持ち上げた。
「ん?」
「あの……。女の人って……」
「不思議な生き物だ」
珠樹の問いを察するように、春名は暖かい眼差しで、受け応えた。もちろん、春名自身が思っている本心でもある。
「不思議……?」
「ああ。男には全く理解出来ない。――何故いい匂いがするのか。何故、柔らかくて暖かいのか……。君が確かめてみるといい」
「……」
「俺には未だに解らない」
苦笑するように言葉を付け足し、春名はエレベーターを動かした。
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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
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