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Karte.1 自己愛の可不可-水鏡
自己愛の可不可-水鏡 8
しおりを挟む「性的不能?」
春名は訊いた。
「――。それは、ありません……」
「同性との性交渉は?」
「そんなこと……っ」
ハッ、とするように、瞳が揺らいだ。
「不道徳? 聖書にあるように、女と寝るように男と寝てはいけない?」
「応えられません……」
「ぼくを信用していない、ということ? それとも、ぼくの質問が理解できない?」
続けて質問を投げかける。
別に虐めているつもりはないが、訊かなければ、彼はいつまででも黙っていそうな青年だったのだ。あの母親とはまた別の意味で――。
だが、珠樹は首を横に振り、
「兄がいないから……」
きっと、それが彼の世界の全て、なのだろう。
「さっきも言ったように、君は君だ。ぼくと話をしているのは君で、冬樹くんはミラノだ」
「……」
言葉は何も返らない。無視している訳でもなく、意味を理解していない訳でもない。もちろん、拒んでいる訳でも――。その証拠に、彼は今まで全て正直に言葉を返している。それでいて、こうして時々、沈黙する。それは、珠樹自身がさっきも言ったように、『兄がいないから』という言葉に帰するのだろう。
「冬樹くんはトップ・モデルなんだろう? 見たことがあるよ」
春名が言うと、珠樹は意外そうに、顔を上げた。
「先生が冬樹を知っているなんて思いませんでした」
と、嬉しそうに口を開く。
余程、その言葉が嬉しかったのか、その後、続けてこう言った。何の躊躇もなく、ただ当たり前に――。
「冬樹もきっと喜ぶ」
「……」
冬樹も……。それが、単純に兄の気持ちを代弁したものなら、何の問題もなかっただろう。
だが――。
「君が嬉しいから?」
「はい」
彼の中では、飽くまでも自分と兄は一つなのだ。
「……。どんなお兄さん?」
「とても優しい人です。いつもぼくをかばってくれて――。ぼくが母に怒られた時とか、父の大切にしていたカメラを壊した時とか、いつも兄が……。ぼくが困っていると、冬樹にはそれが解って、助けてくれるんです。本当にいつも。だから、兄がいないと、ぼくはどこにもいない……」
兄がいないと……。
「冬樹くんの存在だけが、唯一、君の存在を証明するもの?」
「はい」
「冬樹くんがいなくなったら?」
「――。考えたこともありません……。ぼくと兄は生まれる前から一つで――」
「一卵性双生児だ、ということ? それとも精神的に?」
「両方です……」
珠樹はそう言って、幸福そうに頬を緩めた。
そう言い切ることに照れ臭さは持っているようだが、疑いや迷いといったものは、全くと言っていいほど持ってはいない。彼にとっては、兄は自らの半身とも呼べるべきもので、何よりも安心して過ごせる存在なのだろう。特に、両親がよく家を空け、二四年間ほとんど二人で過ごして来た彼らには……。
「ては、今、一人でここにいることに不安は?」
「少し……」
「少しだけ?」
「はい。すぐに兄が来てくれるから」
春名の言葉に、珠樹は一片の疑いも交えず、言い切った。
「それは、お母さんから聞いた? 冬樹くんがすぐに来ると?」
「いえ。ぼくが困っているから、冬樹が来てくれる」
「……」
「先生から見れば異常でしょう? こんなこと、今まで誰にも話さなかった」
自嘲のような言葉だった。
珠樹自身、そんなことを人に話せば、どう思われるか承知しているのだ。それでいて、今、こうして春名を前に話しをしている。
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