7 / 350
Karte.1 自己愛の可不可-水鏡
自己愛の可不可-水鏡 6
しおりを挟む沢向井夫人の運転するベンツが、院内の駐車場を出て、遠ざかって行く。
窓から見下ろすその光景は、まるで今日のこの出来事とは無関係のようなことでもあった。
「引き受けるんですか、先生?」
不満げな顔で、仁がむっつりと訊いて来る。
「ん……あふ」
欠伸というものは、堪えていても出るものである。
春名が椅子の上で体を伸ばし、眠気を覚ますように首を捩じると、バン――っとデスクを打ちつける激しい音が響き渡った。
「先生っ!」
仁が、鼓膜を突き刺す声で、のんびりとした春名の態度を睨みつける。が、春名としては、仁に怒られることなど、もう慣れている。
「ん、ああ。来たら、な。――自分自身に似た者を性対象とする人間。別に珍しいことじゃない。特に、一卵性双生児となると」
「でも、無理やり入院させるなんて」
「全く、呆れるような家族だ。父親も母親も忙しくて、息子二人に構っている暇もない。だから、病院に押し付けて、それで駄目なら全部医者のせいにしてしまおう、とでもいうんだろ。――珈琲をくれないか?」
「先生っ!」
「ん?」
仁の怒りを気にするでもなく、頬杖をついて視線を向けると、
「……。今、入れます」
諦めたような声が、次の言葉を呑み込んだ。
「サンキュー」
「……」
沈黙の背中だけが、春名を睨んだ。
余程あの夫人が気に入らないのだろう。――いや、その夫人の入院希望を引き受けた春名の態度が気に入らないのかも、知れない。
「彼らは幼児期に父母の愛情に満たされなかった子供たちだ。そうだろ、仁くん?」
春名は言った。
仁の手が、背中向きのまま、刹那、止まった。が、またすぐにコーヒーを入れ始める。
「カラヴァジョのナルキッソスをどう思う?」
春名は続けて問いかけた。
「芸術的に、ですか? それとも――」
「愚かか、至福か。美しいか、醜いか」
「ぼくはもう患者じゃありませんよ」
不機嫌を露わに、仁が言った。
頭が良過ぎることが幸なのか不幸なのか――こうした質問も勘繰ってしまう彼は、やはり、寂しい少年なのかも知れない。
「水面に映る自分の姿に見惚れ、恋い焦がれながら水仙に転身した少年……。あの絵は好きだよ」
春名は言った。
「医者として、ですか?」
「クックッ……。医者として、か」
一体、どんな医者に見られているのだろうか。
仁の言葉に愉しく笑うと、
「……。危険ですよ、先生。無理やり二人を引き離すなんて」
不安げな眼差しが持ち上がった。
「君の言う通り、彼らは二人だ。1=2ではなく、1=1であるべき人間」
「それは正常人の見る世界です」
「弟の話を訊いてみるさ」
自分の意思のない、1=0の弟の話を――。
珈琲の香りが部屋に満ちた。
「どうぞ」
香ばしい匂いを立てる珈琲が、デスクの上に、コトリ、と乗る。
「サンキュー」
春名は珈琲を含んでから、再び仁へと視線を向けた。
「二十年以上も放っておいて、自分の地位に傷が付きそうになったら慌てて構う。勝手な親だ」
部屋は不敵な風に包まれていた……。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説


どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。


クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる