可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

文字の大きさ
上 下
6 / 350
Karte.1 自己愛の可不可-水鏡

自己愛の可不可-水鏡 5

しおりを挟む

「珠樹を――弟をこちらで預かってください。家族から同性愛者なんて……。そんな恥ずかしい……」
 零れ落ちたのは、その言葉だった。
「お兄さんの方は?」
「あの子は仕事がありますし――。それに、珠樹はこのままではいつまでも兄の言いなりで、何も……」
「片方を入院させて、二人を引き離したい、ということですか?」
「ええ」
「ご主人にご相談はなさいましたか?」
「え、ええ、もちろんですわ」
 きっと、彼女の独断だろう。もしくは、相談しても聞き流されたか。
 視線を逸らし、しきりに指を組み替えている。
「今日はご一緒では?」
「ウィーンの方に行っておりますので」
「いつご相談を?」
 その問いかけに、再び怒りが突き上げたのか、
「何故、そんなことをお訊きになりますの?」
 ピリピリとした苛立ちを隠しもせず、春名の顔を睨みつける。
 答えを聞く必要もないかも知れない。彼女の家庭がバラバラであることは、容易に知り得る。
「――息子さんの同性愛行為をご覧になったことがありますか? 肉体的なことですけど」
「そんな……」
 春名の言葉に、沢向夫人の唇が細かく震えた。
「一卵性双生児が同性愛者になり易いと言われるのは、自体愛オウトエロチズムと呼ばれる幼児期の行為――乳を吸う唇や、排便、排尿の際の性器の快感を得る行為のことですが……」
 その頃はまだ、自分と他人の区別はない。
 それを過ぎて自己愛ナルシズム――自己に愛情を注ぎ、自分自身に似た姿や性器を愛する時期に入り、対象愛に移る。
 だが、対象愛に移らず、そのまま固定してしまった場合、もしくは対象愛に入ってから退行してしまった場合。そうなると、いわゆるナルシスト――自分自身に陶酔し、もしくは自分に似たものを愛する。同じ性器を持つ同性を愛するようになる。
「――息子さんのように一卵性双生児なら、その対象が目の前にありますからね。自分とよく似た姿と性器の持ち主が」
 それ故、一卵性双生児が同性愛者になりやすい、と言われているのだ。
「まあ、弟さんをここへ入れるのはともかくとして、お兄さんはどうなさるつもりですか? 納得済みとは思えませんが」
 春名は当人同士の問題を問いかけた。弟を溺愛している兄が、片方だけを入院させることに黙っているはずがない。
「……。あの子はミラノへ行っていますので」
「その間に弟さんだけでも、と? あなたが異常を感じておられるのは、お兄さんの方でしょう?」
 その言葉に、沢向夫人の表情が強ばった。
「冬樹は――あの子は何を言っても聞きはしません。それに、珠樹には自分の意思というものがないんです! 今回はたまたま熱を出して日本に残っていますが、でなければ、いつもと同じように冬樹について回って――。いえ、熱が引いたらすぐにミラノへ来るように、と冬樹が――。珠樹は正常なんです。兄の言いなりになっているだけで……。ですから、珠樹がもっとしっかりとしていれば、冬樹も珠樹から離れるしか……」
 どうやら事態は、かなり深刻なものらしい。
 沢向井夫人の言葉には、同性愛行為への嫌悪だけでなく、兄の言動への不安があり、それでも兄には手を出せず、弟が兄を避けるように仕向けようと、兄の留守中に弟を入院させることを考えている。
「都合のいい日に息子さんをお連れください」
 春名は簡単に言って、カルテを閉じた。
 結局、沢向夫人の口から、家庭内の話しを聞くことは、なかった……。


しおりを挟む
参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

寝させたい兄と夜更かしの妹(フリー台本)

ライト文芸
夜更かして朝おきられない妹に、心配でなんとか規則正しい生活をして欲しい兄だが…

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...