可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.13 籠の中の可不可―夜明

籠の中の可不可―夜明 53

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「君まで、沼尾先生ともう一度あの森へ行ってみる、なんて言わないでくれよ」
 困った顔で、春名は言った。
 憶測を肯定してしまって、一番不安になるのは、仁のそんな行動である。
「なんだ、ぼくが心配だから、見たものに目を瞑ってたんですか」
「……」
 言葉に詰まるしかない。
「大丈夫ですよ、ぼくがいないと、先生、何も出来ないじゃないですか」
 得意げな顔で、仁が言った。
 ますます何も言うことが出来ない。掃除、洗濯、料理、仕事の整理……全てこの少年に頼る生活なのだから。
「――だから、先生」
「ん?」
 今度は何だろう。
 春名は、次に出て来る仁の言葉を待った。
「帰ったら、笙子先生と話をしませんか?」
 窓の外を見ながら、仁が言った。
 きっと、今回の騒動の愚痴や、潰れてしまった夏季休暇のことではなく――。
「笙子先生とゆっくり話してないんでしょう?」
「……」
 春名がしていることと言えば、逃げることばかりだ。
「先生が、ぼくのことを考えて、笙子先生と結婚しないのは知っています」
「仁くん――」
「でも、ぼくは、笙子先生のことも好きです。ちょっと困った所もありますけど、それは先生も同じですから」
「……そうだな」
 大人のフリをしながらも、きっと、その心の内は、春名の選択に怯えているに違いない。肉親も、友人も、頼れるところも何もない仁にとって、春名は父親であり、兄であり、自分の帰るべき家でもあるのだから。
 だが、話をせずに、このまま時間が過ぎるのを待っていても仕方がない。
 笙子の望みは、春名の子供――。
 なら、春名の望みは……。いや、望みというものは何もない。彼女の幸せ以外には――。恐らく、それが笙子に対する答えなのだ。
「――でも、沼尾先生と笙子先生って、どうして別れちゃったんでしょうね? 気になりませんか?」
 ことさら明るく、前の席にも聞こえるように、仁が言った。
「いや、別に笙子の大学時代の別れ話なんか、どうでも……」
 本当にどうでもよかったので、思ったままに、春名は言った。
 すると、前の席で、
「ええっ! 沼尾先生と春名先生って、元カレと今カレなんですか?」
 興味津々に、十代の少女、小春が訊いて来る。
 ――元カレとか、今カレとか……。
 春名は仁を睨みつけた。
 口を開いたのは、沼尾だった。
「大学時代のことだよ。彼女は美人で、溌溂として、医学部では目立つ存在だった。所謂、日々勉強に明け暮れる医学生のマドンナだったな」
「――歌手の?」
 ――世代の違いを痛感させられる……。
「古イタリア語の"ma donna"――我が淑女、憧れの女性だよ」
「へぇ……」
「田舎から出て来ていた僕には、声すらかけられない存在だった」
「じゃあ、一大決心の末に、告白?」
「まさか! 今も言った通り、彼女は聖母マリアマドンナだった。そんなことは出来ないよ」
「でも、付き合ってたんでしょ?」
「信じられないことに、彼女から声をかけられてね。田舎者が珍しかったのかな。自分に言い寄って来る男子学生たちには見向きもしなかったくせに」
「あ、解る! 自分に振り向かない男が気になるのね!」
 ――解るのか、その年で……?
 というか、今はドラマでどんなシチュエーションでも見られる時代だ。
 そんなことよりも、続きを――。
 と思ったところで、
「あとは君の話と交換しよう。いつか君があの里のことを話してくれる気になった時に……」
「ええ――っ! じゃあ、もうずっと聞けない」
 ――こちらも口が堅そうだった。
 恐らく、あの少年、イサクのために……。


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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