可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.13 籠の中の可不可―夜明

籠の中の可不可―夜明 51

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 パトカーに乗り込んで逃げようとする吉川巡査を引きずり出し、沼尾は警察無線を使って救急車を手配した。――いや、やり方がよく解らなかったので、後から片足を引きずりながら来た仁に聞いて、手配をした。
「マ、マズいぞ!」
「逃げろ!」
 男たちが軽トラへと翻る。
 もちろん、今はそんな村の男たちに構っている場合ではない。すぐに春名と榧野医師の所へ戻って、手伝えることがあるか訊かなくては――。そう思った時、涙声で叫ぶ小春の声が、森に渡った。
「みんな、森から出て来て! 山査子を越えて、私たちの村へ――!」
 その後は、何が起こったのか解らなかった。――いや、目の前で起きたことは、確かに全て見ていたし、五感の全てで感じていた。それでも……。
 小春の叫びに応えるように、森が大きく騒めいた。
 あちこちで草木が激しく揺れ、風が目の前を通り過ぎる。
 次の刹那――。
「何だ?」
「これは一体――」
 十数頭もの大型犬が、森から次々に飛び出して来た。――大型犬……いや、狼だ。
「まさか! ニホンオオカミは絶滅したはずだ!」
 沼尾の叫びに、
「いや、違う。ニホンオオカミよりもずっと大きい」
 いつだったか見た剥製の大きさと比較するくらいしかできないが、目の前に飛び出して来た十数頭は、明らかに大型犬クラスの体格だった。
「危ない、仁くん! 車へ戻れ!」
 大型の狼たちが向かう先を見て、春名は叫んだ。
 山査子の木を越えた狼たちは、春名たちには見向きもせず、小さなせせらぎを簡単に飛び越え、仁や沼尾がいる対岸へと駆け渡ったのだ。
 あまりの速さに、仁も沼尾も動けなかったが、狼たちはそんな二人に目もくれず、さっさと逃げ出した村の男たちを追い始めた。
 まず、軽トラの荷台に乗っていた吉川巡査と、もう一人――。喉笛を噛み切り、鋭い爪で全身を引き裂き、血飛沫がそこかしこからほとばしるのが見て取れた。
 そんな狼たちの襲撃に慌てたのか、ハンドルを切り損ねて軽トラックが横転する。
 割れた窓から頑強な牙と爪で引きずり出された男たちが、たちまちの内に切り裂かれ、悲鳴と共に真っ赤に染まる。返り血を浴びた狼たちも、同じ血の色に染まっていた。
 誰もが言葉を失っていた。
 あっという間の出来事でもあり、人の手でどうにかできるものでもなく……ただ茫然と眺めていることしか出来なかったのだ。
 動かなくなった男たちを足元に、狼たちは勇壮な遠吠えを上げた。
 長きに亘って封じられて来た、解放にも似た叫びだった。
「これは……何なんですか、先生……?」
 傍に駆け寄って来た春名に、仁は訊いた。
「信じられないが、彼らは狼化妄想症じゃない……」
 リカントロピーなら、本人の妄想の中でしか獣人化しない。こんな風に、誰の目にも狼の姿に見えたりはしないはずだ。
「まさか、本当に人狼――」
 仁が言いかけた時、
「サクちゃん! しっかりして、サクちゃん! 目を開けて――!」
 小春の悲痛な叫びが聞こえた。
 振り返ると、手立てがないことを告げるように、榧野医師が春名の目を見て首を振った。
「イサク……」
 小春が一人になった時に困らないように、春名たちを連れ戻して来た、とイサクは里の人たちに言っていた。児童施設や、大人になるまで面倒をみてもらえる場所を探してもらうのだと――。自分のことより、小春のことを心配していた。
 彼らのように、村と里は一つになることは出来なかったのだろうか。
 年若い二人が賢明に道を探ったように、共に助け合って生きることは……。


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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