可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.13 籠の中の可不可―夜明

籠の中の可不可―夜明 6

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「待って――! 待ってくれないか、君! さっきもバスを見てただろ?」
 ここへ来る途中の林道で、バスから垣間見えた少年の姿を見つけ、仁は後を追いかけながら声をかけた。
 少年は慣れた道を行くように(道と呼べるものなどほとんどないのに!)、少しも下生えの草に足を取られず、逃げて行く。
 ――これ以上、雑木林の中に入り込んだら、春名先生が心配するかもしれない。
 ――だが、ここならまだ声が届くはず。
 そんなことを考えながら、春名がいる林道の方を少し振り返った時、土の上に盛り上がった木の根に足を引っ掛け、そのまま派手に転んでしまった。
「うわっ!」
 草に隠れて張り出した根が見えなかったのだ。加えて、変な風に足を捻ってしまったらしい。少し動かしただけで、激痛が走る。
……っ!」
 仁は、痛む足を引き寄せて、苦鳴を上げた
 少年の姿は、もう見えない。まるで、森で育った獣のような少年だった。――いや、もっと物静かで、深い沈黙を抱えて生きる伝説の生き物のような……。
 こうしていても仕方がない。春名の処へ戻らなくては――。だが、平らに舗装された道ならともかく、木々と草に覆われた雑木林の中を、痛めた足を引きずって歩くとなると……。
 仁は何とか立ち上がろうとしたが、それは思ったよりも大変な作業で――。
 痛みを堪えて立ち上がることに専念していたせいか、その人影が傍に立つまで気が付かなかった。――いや、それは本当に、他のことに気を取られていたせいだったのだろうか。もしかするとその少年は、気配も音も立てることなく、この雑木林の中を移動して来たのでは……。
 ――まさか。
 仁は自分の馬鹿な考えを打ち消して、さっきまで追いかけていた少年の方へと視線を上げた。
「戻って来てくれてよかった。立つのを手伝ってくれないか?」
 手を出すと、少年は明らかに戸惑うように、仁が伸ばす手を不思議なモノでも見るように、じっと見つめた。
「足を痛めて立てないんだ」
 いつもは苦手な他人とのコミュニケーションも、不思議なことにその少年相手には、苦手意識が芽生えなかった。もちろん、足を痛めて動けない、という、助けを求める以外に選択肢がない場合でもあったし……。
 手を引っ込めずに、少し首を横に傾けると、おずおずと少年の手が仁に伸びた。
 心地よい冷たさの手が、そろりと触れる。
 仁はその手を握り返し、片足を軸に何とかその場に立ちあがった。
 ふぅ、と一つ息をつき
「ありがとう。――バスが事故を起こして困っていたんだ。この辺りに、電話を貸してもらえるところがあるなら――」
「帰れ」
「え?」
 林道の方を垣間見ていた視線を戻し、仁は不意に届いた短い言葉に、思わずそう問い返していた。――はっきりと聞こえていたというのに。
「さっさと帰れ。陽が沈む前に」
 不愛想に――いや、真剣そのものの眼差しで、少年は言った。
 陽が沈む前に――。やけに耳に残る言葉だった。もちろん、こんな雑木林の中で日が暮れてしまったら、途方に暮れるしかないだろうが。
「そう言われても、足が……」
 やっと立てたものの、痛む足を示しながら仁は言った。すると少年は仁の手を離して踵を返し、体重などないような軽さで走り出した。
「あ、君――っ!」
 すでに声も届かない。あっという間に少年の背中は遠ざかった。
 ――こんなところに放っておかれても……。


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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