可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

文字の大きさ
上 下
297 / 350
Karte.13 籠の中の可不可―夜明

籠の中の可不可―夜明 5

しおりを挟む

「大丈夫ですか、先生! どうしていつもぼくなんかをかばって――」
「アイタタ……。どうして、なんて考えてやってるわけじゃないんだから、仕方がないだろ」
「無茶しないでください。ぼくの方が若くて、体だって柔らかいんですから――。医者のクセに怪我をしてたら、患者さんに笑われますよ」
 大したことがないと判ったせいか、仁の口調も多分に安堵を含んでいた。
「俺の自慢は、モテて頭がいいことだぞ」
「誰もぼくの方がモテるなんて言ってないでしょ」
 と、こんなことを言い合っている場合ではない。
「運転手は――」
 さっきから、アナウンスもなければ、乗客を気遣う素振りもない。
 何とか横転することもなく、木立にぶつかって止まっているバスの通路を渡り、運転席まで辿り着くと――、
「俺が精神科医でなく救命医でも、どうにも出来そうにないな」
 運転手の胸には、バスのフロントガラスを突き抜けて、木立から張り出した枝が、深々と容赦なく突き刺さっていた。それはまるで、心臓に杭を打たれた吸血鬼のようで……。
 一応、運転手の脈をとってみたが、全くふれない。苦鳴も何も聞こえなかったことからして、ほぼ即死の状態だったのだろう。少しでも助かる見込みがあるのなら、春名だって医者の端くれ、救命に及んだだろうが、ここまで壮絶な死を見せつけられると……。
「取り敢えず、救急車を呼ぼう」
 そう言って、ジャケットの胸ポケットから、携帯電話を取り出したのだが――。
「冗談だろ。普段はうっかり落としても壊れないのに!」
 空しく沈黙する黒い画面に、春名は何度も電源ボタンを長押しした。さっき、仁をかばって前の座席にぶつかった時、携帯も衝撃を受けてしまったのだ。
「無線がありますよ」
「――仁くんの携帯は?」
「さっきのバーストで床に落ちて壊れました。先生の携帯があるからいいや、と思って放っておきましたけど」
「……」
 ものすごく嫌な予感のする出来事である。仁のように特別な能力がなくとも、難なく感じ取れるほどに――。携帯端末が使えない……現代人にとって、これは何よりの一大事である。まるで、孤島に一人取り残されたかのような不安に駆られる。
「まさか、無線まで壊れたとか……」
「だとしても、待っていれば車が通りますよ。もしくは、次のバスが」
「……三時間に一本だったか?」
「駅の方へ行くバスもあるでしょうから、運が良ければもう少し早く見つけてもらえます」
 無線を弄りながら応える仁に、
「どうだ?」
「……運に賭けましょう」
 ありがたくない返事である。
 携帯も無線も壊れて使えない。林道は一本道だが、後どれ程の距離があるのか判らないまま、歩き始めるのは無謀すぎる。戻るにしても、バスは三十分以上走って来ている。歩いて電話のある所まで戻って救急車を呼ぶよりも、車が通るのを待つ方が得策だろう。
 バスのドアも自動では開かない状態だったため、ドアコックを手動に切り替えて、自分で開けて外に出る。
 バースト後のタイヤのせいか、ゴムが焦げるような匂いがした。
 バスの後方のタイヤは二本ずつついているのだから、落ち着いてハンドルとブレーキを操作すれば、安全に路肩に寄せることも可能だったはずなのに。
 それとも運転手は、もっと他のモノでも見て、慌ててハンドルを切ったのだろうか。この辺りなら、鹿やサルが飛び出してきてもおかしくはない。まさか、人が飛び出してくるようなことはないだろうが……。
 春名はふと、仁が車窓から垣間見たという、少年のことを思い出していた。
「あー、ひどいですね」
 仁の言葉に振り返ると、無残に破裂した後輪のタイヤが目についた。
 ――やはり、ただハンドルを取られただけなのだろう。
 舗装された林道とはいえ、もう長い間補修もされていないようで、舗装の隙間から頑丈な雑草が伸びてきている。両脇は草木の生い茂る雑木林で、誰かが立ち入りそうな獣道もない。
 一通り雑木林の奥に目を凝らし、バスの方を振り返ると、
「……仁くん?」
 ――どこへ行ったのだろうか。
 バスの反対側へ回ったり、中に入って座席を一通り覗いてみたが――、
「仁くん! ――何処だ、仁くん! 返事をしろ! 仁くん――!」


しおりを挟む
参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

寝させたい兄と夜更かしの妹(フリー台本)

ライト文芸
夜更かして朝おきられない妹に、心配でなんとか規則正しい生活をして欲しい兄だが…

フリー台詞・台本集

小夜時雨
ライト文芸
 フリーの台詞や台本を置いています。ご自由にお使いください。 人称を変えたり、語尾を変えるなどOKです。 題名の横に、構成人数や男女といった表示がありますが、一人二役でも、男二人、女二人、など好きなように組み合わせてもらっても構いません。  また、許可を取らなくても構いませんが、動画にしたり、配信した場合は聴きに行ってみたいので、教えてもらえるとすごく嬉しいです!また、使用する際はリンクを貼ってください。 ※二次配布や自作発言は禁止ですのでお願いします。

処理中です...