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Karte.13 籠の中の可不可―夜明
籠の中の可不可―夜明 4
しおりを挟むのんびりとした風情の列車を乗り継ぎ、車窓の外の景色も、家々よりも野山が横切ることが多くなり……。
「ここからはバスです」
「やっぱり……」
仁の道案内に、ぐったりと疲れながら、春名は言った。
バス停は駅前にはなく、少し国道(市道?)を行ったところに、停留場の標識だけが立っていた。
周囲は店もない田舎の景色で、田畑と雑木林、一応、アスファルトだけは敷かれた殺風景な道路……。脇道がある訳でもない、奥へと続く一本道だ。
「『かごめかごめ』の発祥地って、ここじゃないですよね?」
歌の発祥地とされる千葉県野田市には、『かごめかごめ』の歌を刻んだ碑が置かれ、市内の愛宕神社本殿には、その歌の光景を描いた彫刻が刻まれている。
「そこから広まった歌だけでなく、各地に違う形で残っている歌もあるからなァ」
「ああ、そう云えば、色々な歌詞がありましたね。そんな風に歌詞が変わって伝えられたのにも、何か理由があるんでしょうね」
浅草覚吽院の修験僧、行智の童謡集(宝暦・明和年間(1751年 - 1772年)頃)では、
かァごめかごめ
かーごのなかの鳥は
いついつでやる
夜あけのばんに
つるつるつっぺぇつた
なべのなべのそこぬけ
そこぬいてーたーァもれ
と謡っているし、
万亭応賀編の童謡童遊集(天保15年(1844年)刊行)では、
かごめ かごめ
かごのなかへ(の)とりは
いついつねやる
よあけのまえに
つるつるつッペッた
なべの なべの そこぬけ
そこぬけたらどんかちこ
そこいれてたもれ(孫引き)」
となっている。
他にも、地方や、歌舞伎、浄瑠璃などで、それぞれ違う歌詞が謡われている。
もちろん今回、仁はその全てを暗記して来ているのだが――。頭のいい少年には、何の苦にもならない作業である。
「……君も沼尾匡のように、民俗学者に転向するつもりかい?」
少し皮肉混じりに、春名は言った。
「ぼくが地方に出歩いてばかりいたら、先生が困るでしょ?」
「別に構わないぞ。――毎日、家事と仕事の整理をしに戻って来てくれるのなら」
「今の言葉で、女性ファンが八割は減りましたよ」
「……」
それは困る(春名+作者)。
バスを待つ間、二人はそんな話で暇を潰し――いや、話を煮詰め、沼尾匡が匿っているという少女のために、あれやこれやと様々な思いを巡らせていた。
もちろん、ここでバスを待っている間は、幼少期の少女の心的外傷を少しでも癒せれば……などと考えていただけで、仁が最初に言ったような不吉なことが起きるなどとは、少しも考えてはいなかったのだが……。
都会を走るものより一回り小さい古びたバスは、道路に砂煙を巻き上げながら、ディーゼルエンジンの音を響かせていた。
一本道をのんびりと進み、薄暗い林道にさしかかる。
乗客は誰も乗り降りしなかった。
今は、平日の日中――。
学校帰りや、仕事帰りの人々が利用する時間でもなければ、こんなものなのかも知れない。
「木漏れ日が入ると、緑がきれいですね」
秋とはいえ、まだ暑さの残る初秋――。
左右を木々に挟まれた狭い道だが、夏のような日差しには、青々とした葉がきらめいて輝く。
「あ、林の中に人が――。バスに乗るのかも」
仁が指さした方向を、通路側に座る春名もすぐに見てみたが、巧く見つけることが出来なかった。
「こんなところにバス停はないだろうし、ツーリングに来たバイカーじゃないのか?」
そう言うと、
「男の子でしたよ」
「子供?」
「あ、いえ、僕と同じくらいの年頃じゃないかと思いますけど」
――じゃあ、やっぱり子供だ。
と、春名が心の中で呟いたことは、秘密である。
「家族で来て、どこかに車を止めてあるんだろう」
止まる気配もなく進むバスの中で、春名は言った。
「幽霊じゃないといいですけどね」
自分だけにしか見えなかった少年の姿に、仁がそう言ったのも、無理のないことだった。
何しろ、情緒が不安定な幼い頃は、人には見えないものが視え、第六番目の感覚とでもいうべき、予感めいたものが顕著に働いていたこともあったのだ。今は情緒も安定し、シカゴで春名の患者として治療を受け始めた頃から、徐々に、砂を均すように薄れて行った。
それでも時には、ふと嫌な予感が過ることもあるのだが……。
「通路側だったから見えなかっただけだよ。車窓の光景なんかすぐに移り変わるし」
「……先生はいつもそうやって、ぼくを普通だと言ってくれましたよね」
「……」
仁の眼差しは、窓の外だけを眺めていた。
「笙子先生は、先生と……」
そう言いかけた時だった。
バン――っ、と突然、破裂音がしたかと思うと、同時に衝撃が駆け抜けた。
慌ててブレーキを踏み、ハンドルを切ろうとする運転手に、
「バーストだ! 落ち着いてゆっくりスピードを落とせ!」
その声は届いたに違いないが、突然の出来事にハンドルを持って行かれた運転手は、バスの体勢を立て直そうと、すでにハンドルを切っていた。
木立が目の前に迫り来て、またすぐに衝撃が駆け抜ける。
「仁くん――」
窓際に座る仁をかばって腕を伸ばし、春名は前の座席に肩をぶつけた。
幸い、林道を走る田舎のバスであったため、スピードもそれほど出てはいなかったが。
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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
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