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Karte.13 籠の中の可不可―夜明

籠の中の可不可―夜明 2

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「やめてえぇぇぇ――っ! ごめんなさい! ごめんなさい! 川をこえたことならあやまるから、サクちゃんをはなしてぇ――!」
 何度か川を越えて、その男の子と話をしたり、木の実を探したりする内に、変に思った大人たちに見咎められ、無理やり川のこちら側へと連れ戻された。怖い顔をした父親の腕に抱えられ、何とか後ろを振り返った時、数人の男たちが男の子の腕を取り、手に持つくわなたかまを振り上げるのが視界に入った。ほんの刹那、垣間見えた光景だったが、冗談で打ち消してしまえるものではなかった。
 大人たちは男の子を叱っている訳ではなく、まるで穢らわしいモノでも見るかのように、憎しみを込めた目で、手に持つ武器を振り上げた。
 恐ろしかった。
 森にいるという化け物以上に、その大人たちのことが。
 たとえ、その男の子が森に棲む化け物だったとしても、二人でいる時はやさしかった。
「おねがい、ひどいことしないで! サクちゃんをぶたないで――っ!」
 大人たちが一斉に、そして、かわるがわる手に持つ武器を振り下ろす。
 父親の体に視界を奪われ、その光景は見えなかったが、異様な音だけが耳に届いた。
 何度も何度も――男の子の悲鳴が途切れてもなお続く、体を穿つ鍬の音、体を貫く鎌の音、体を切断する鉈の音――。
「やめてえぇぇぇ――っ!」




「ほんと、いい加減にしてくださいよ、先生。笙子先生の元カレを二度も助けに行くなんて、不吉過ぎますよ。――何か弱みでも握られてるんですか?」
 いつものことながら、少しも歯に衣着せぬ言葉で、目を細めてそう言ったのは、まだ十七、八歳の少年である。さらさらと目にかかる黒髪も、きれいに整った顔立ちも、小柄な体躯に似合って愛らしい。――もちろん、そんなことは怖くて当人には言えないが――。言えば間違いなく夕飯が消え、春名の生活全般に支障が出る。
 その少年、まだ十代ではあるが、すでに名門シカゴ大を卒業し、春名の秘書として、仕事のサポートはもちろん、炊事、洗濯、掃除――と、家事全般を担ってくれている、春名にはなくてはならない存在なのである。
 名前は――いつも、仁くん、とだけ呼んでいる。
 そして、春名は――、
「べっ、別に弱味なんか――っ」
「握られてるんですね」
 冷たい一瞥。
 三十半ばを過ぎて久しいというのに、十代の少年に全く頭が上がらない日常なのである……。
 春名は、数年前にUSAからこの日本に戻ってきた、自他共に認める優秀な精神科医サイキアリストで、精神分析学者サイコアナリストである。総合病院の一角で勤務医として働いているが、特に出世の野望などもなく、自身の研究を続けながら、患者を診ている。
 そんな過剰に忙しい毎日から解放され、やっと夏休みが取れた初秋――。
 ――何故、秋に夏休みなのか?
 それは、医師全員が同じ日に夏休みを取る訳にも行かず、独身の春名が遠慮をして、家族持ちのドクターに夏の盛りを譲った結果でもある。
 そして、
「シーズンオフは旅行も安くて、ギリギリでも予約が取れるから得ですよね」
 と、経済観念の発達した小姑の――いや、仁の嬉しそうな横顔をかき消すように、
「お願いがあるの! 私、クリニックの予約をどうしても調整できなくて、夏休みが取れないの!」
 と、向かいの部屋に住む美人セラピスト、霧谷笙子が割り込んできて……。
 彼女も精神科医ではあるが、春名のような雇われ医者ではなく、自らのクリニックを開業し、数カ月先まで予約が埋まっている、というハードな生活を送っている。その大半が政財界のお偉方の奥方の愚痴を聞くことだと言うから、それはもう疲れるらしく……度々、仁にマッサージを頼み、春名と同様、食生活でも面倒を見てもらっている。
 そんな力関係なのだが……。


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