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3.繋がないことの優しさ

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──お前に、この店を継がせる気は無い。

父親の抑揚の無い言葉は、頭の中でどれだけ擦っても拭い取れないほど、こびり付いている。


うちは遥か昔から、田舎町の中に佇む豆腐屋を生業にしてきた家だ。冬の寒い日も、夏の暑い日も、夜もあけきらない時間から仕込みをしてひたすら作り続ける。体力勝負みたいな重労働の連続にも関わらず、単価の低い商品で利益を出すのは、とにかく骨が折れる。全然労働が稼ぎに見合ってねえだろ、と思ったことは一度や二度では無い。

『創業80年、久遠豆腐店』

家の隣の店に掲げられた看板の重みは、幼いながらに理解していた。脈々と受け継がれる歴史は、簡単に途絶えさせて良いものでは無いと自分自身も分かっていたし「家業は、長男が継いで繋げていくものだ」というのは、あの狭い町での共通認識でもあった。

「美味しい豆腐作れるようにならないとね」
「綾瀬君、お家の手伝いがんばってね」

それはまるで、外野からの刷り込み教育だった。嫌でも将来の道が少しずつ勝手にレールを引かれていく感覚の中で、未来を語るイベントには何処か客観的な、冷ややかな目線が生じ始めたのはいつからだっただろう。小学校の時に在りがちな「将来の夢」をタイトルに据えた作文の課題は、白紙で出した。

『あんた、何を先生困らせてんのよ!ちゃんと作文出しなさい』
『…あんなん出す意味ねーじゃん』
『どうしてよ!?』

先生から連絡を受けて俺を叱責するこの母親は、本当に俺の言ってる意味が、分からないのだろうか。周囲とは反対に、両親が俺の将来に関して全く何も言及してこないのは、違和感しかなかった。
“どうせ“俺が継ぐのだと決まっているのに、態々、まるでお手本のように家業への心意気でも示せというのか。それとも周りが書いてるような、サッカー選手とかそういう大きな夢を虚しく机上の空論として書き上げるのか。「あんたが、なりたいと思うものを書けば良いのよ」と眉を下げて宥めてくる母親は、やはり何処か複雑そうだった。

──なんで変に勿体ぶるんだよ。
さっさと、"お前はこの道しかないから受け入れろ"と言ってくれた方が何倍もマシだし諦めがつく。
でも俺の願いも虚しく、中学に入る頃になっても、黙々と仕事に明け暮れる両親が俺に店の話を持ち出す事も、ましてや「手伝え」と依頼してくることさえ無かった。「そっちが正式に頼んでこないなら」と、そういう気持ちで朝から晩まで店で働く両親から逃げるように、別のことに意識を向けた。中学では陸上、高校ではバスケの練習に明け暮れて、成績も常に上位をキープした。ただし、何も言わない両親に反比例して、周囲の目は鋭かった。

「久遠さんとこの一人息子の綾瀬君、全然お店に顔出さないわね」
「部活に夢中みたいよ。成績も優秀らしいし、これからどうさせるつもりなのかしらね」

別にあんたらがそんな危惧しなくても、自分が1番理解している。"本気で"別のことに取り組んでるわけじゃない。極論を言うと俺は陸上選手にも、バスケ選手にも、例えばいくら勉強を極めたところで博士にも、なれる未来は無い。ただの時間潰しだ。思い出づくりとかその類いのものだと、ちゃんと分かってる。

「あんた、学校楽しい?」と時々、母親は尋ねてきた気がする。

「あ?…別に普通?」

「本当に心から楽しいって思うことをしなさいよ。しょーもないわね。簡単に見つからないとしても、探してみなさい」

「そんな無意味なことしねえよ」

困ったように眉を下げる母親と、台所で隣同士に並んだ時、ふと思った。
──この人は、こんなに小さかったっけ。

毎日、常に腰を曲げるような体勢が多い仕事で、普段の姿勢も見る度に少しずつ変わっている。自覚しながら、目を背け続けた。
"まだ、大丈夫。まだ、もう少し"

でも、勝手に自分で見積もって延長させた時間のツケは、想像以上に早く回ってきた。




『久遠。すぐ帰る支度をしなさい』

『は?』

──お母さんが、倒れたそうだ。

高校2年の、昼休みだった。たまにこういうの、ドラマとか漫画とかで見たことある。教師が緊急の知らせを告げてくる、みたいな。
でもそういう時、一瞬で身体の血の気は引いて身体は小刻みに震えて、思ったより頭は冷静に「まずいことが起こった」と事態を把握しようとする。そんなリアルな体と心の描写までは、知らなかった。

医者の診断結果は「過労」だと、とてもシンプルだった。殆ど2人で店を切り盛りして、後は1、2人のパートを決められた時間だけ雇うくらいだった。

──そこにさっさと覚悟を決めた“俺“が居たら、こうはならなかった?




『あんた、学校楽しい?』

母親のあの何気ない言葉は、もしかして真理を突いていたんじゃ無いのか。俺は、陸上も、バスケも、勉強も、別に凄く好きじゃ無い。ただ、決められた進路から逃げるための理由のように使ってきた。そんな俺の逃げに、母親は勘付いていたと思う。

暫く入院することになった母親を置いて、病院から家へ戻ると先に帰宅をしていたらしい父親が俺をじっと見据えていた。無口なこの男と長時間話した経験が、あまり無い。

「部活は辞めるし、明日から俺が朝も晩も店に出るから」
視線を外したままに告げた言葉を聞き終えても尚、父親は無表情を貫いた。刺すような鋭い視線が、俺を正面から非難しているようだった。

「…なんで辞めるんだ」

「は?」

「そんなこと、俺がいつ頼んだ」

頼まれてねえよ、だから、早く言えよ。
──なんで変に勿体ぶるんだよ。
さっさと、"お前はこの道しかないから受け入れろ"と言ってくれた方が何倍もマシだし諦めがつく。

「…その道以外、あんのかよ」

苛立ちがそのまま、声に乗っていた。胸に湧く憤りは言及してこない目の前の男に、というよりは――曲がっていくあの背骨をずっと見過ごし続けた自分に、だった。

「綾瀬。お前に、この店を継がせる気は無い」

低く掠れた声が、夕方の静かな店先に響く。やはり何一つ感情の揺れが見えない顔で、冷たく俺を据えるその眼差しに、体は一瞬で冷えていった。

もっと、責められると思っていた。

"お前がずっと逃げていた所為でこうなった。
これからは本腰入れて手伝え"

そう言われるものだと、思っていた。

そのまますぐに店の中へと戻っていく父親の拒絶が、自分の耳にこびりつく。"どうせ俺が継ぐ"なんて、とんだ自惚だったらしい。何故、俺に店のことを頼んでこないのかと、ずっと苛立っていた。

「なんだ、」

──最初から俺に期待をしていなかった、ただそれだけだったのか。



退院した後、母親は当然、前のように働きづめることは出来なくなった。自ずと従業員を増やすしか無くなって嵩む人件費に店の経営が苦しくなるのも分かっていた。それでも、決して俺を頭数には入れようとしない父親に、俺からも何か言うことはしなかった。


『綾瀬、お前、興味のある学部とか無いのか?』

『特に無いっすね』

『今後、家の仕事にも役立つとしたらやっぱり経営学とかじゃ無いか?地元のビジネスノウハウを学んでおくのは大事だぞ』



……それだけは、絶対に選ばない。

教師からの言葉には意地でも首を縦に振らなかった。外野と俺だけで勝手に作り上げていた将来のレールは二度と意識しない。必要とされて無い道を、誰が気にするか。
そんな反骨心みたいなくだらない気持ちをずっと抱えていた。



「綾瀬、お前なんで文学部なの?」

「……ノリ」 

「アホだなあ、お前だったらどこでも受かっただろ。文学部なんて、就職も難しそうじゃね?」

大学が決まった時、周囲から受けた言葉は俺が1番分かってる。申し訳ないけど、1ミリも興味が無い分野だ。
いつも何かを選択する時は、予防線を張った。俺は陸上選手にも、バスケ選手にも、博士にもならない。ただの時間潰しで、思い出づくりだと言い聞かせ、本気で取り組むことから自分をセーブする、そういう生き方をしてきた。

俺の将来は、急に「本気になれない理由」にしてきた足枷を意図せず解かれ、自由になるどころか真っ暗になった。

家業を意識していないことをあの親父に示せたら、正直どんな学問でも良かった。流石に"文学部"なんて、当て付けに近くて自分でもくだらないと笑える。
今更、何かを探して本気で必死に打ち込む自分は、全く想像が出来なくなっていた。



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