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2.ちぐはぐな友達

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◻︎

ライブハウスでの"あの出来事"が、確か今年の5月初め。そこからすぐに、私は仁美さんのところでアルバイトを始めた。学校も最低限の出席日数で過ごして、家には極力居ないように心がけて。表情を失った人形のような私は完全に学校でも家でも腫れ物で、周囲の人間の戸惑いはありありと伝わっていた。


もう優等生には、戻らない。
だけど、振り切って不良にだってなれない。

あの日現れた変なお日様は簡単に私を見つけて、中途半端に存在している私に「此処にいてくれて良かった」なんて笑ったけど。良いはずが無い。ダサくて、どうしようも無いって自分でも分かっている。

家まで会いにきた亜久津に今度こそ「2度と来ないで」と告げた私は、彷徨いながら×駅の方まで来ていた。新幹線も停まる大きな駅を、アテも無くただ、歩いている。明るい喧騒は、一歩路地裏に入ると怪しげなネオンと共に、その雰囲気が一変する。「あの繁華街は、危険な店もいっぱいある」と顰めっ面で、シノさんがよく言っていたなとぼんやり思う。

何処か、遠くへ行きたい。物理的でも良い。精神的でも良い。そんな投げやりな気持ちになっても、結局此処くらいしか思いつかなかった。私の行動範囲なんて、結局はその存在に似つかわしく、ちっぽけなのだ。


「──お姉さん、どうしたの?可愛いね」

「……」

「ねえ、随分若そうだけど、もしかして行くところ無いの?お兄さんがいい場所、連れて行こうか?」

「……いい場所って、何処ですか」

「え~?あったかくて気持ち良くなるところかな」

むわりと充満する匂いのきつい香水にも、嫌な男の笑顔にも、吐き気がする。
嗚呼、そうか。でもこんな簡単に、見つかるのだ。もっと深くて暗い場所。お日様の光も届かないようなどうしようもない場所。

そんなの、探せばいくらでもあった。



『──縁側の方が魅力的じゃない?』

その瞬間、優しい声が脳裏を過ぎる。


シノさん。

私は、いつも要領が悪くて、ご飯さえうまく作れない。同居人の変な暴君はなんかいつも怒ってるし、本当の自分を誤魔化すうちに人のことを傷つけて、自分を守ってばっかりだ。

──だけど。
私にとっての“あったかい場所“は、絶対にあの縁側だと、とっくに知ってしまった。



「…か、えりたい、」

嗚呼、本音ってこんな風に本当にポロって、意図せず内側から溢れ出すものなんだ。

「え?どうしたの?なんか泣きそうだけど」

言葉を聞き取れなかったらしい男が、べとりとねちっこい声で尋ねながら、私に触れようとする。ぼんやり滲んだ視界を遮るように、強く目を瞑った瞬間だった。



「────桔帆」

強すぎる力で頭を無遠慮に後ろから掴まれ、あっさり傾いた体がぽすりと何かにおさまる。背中全身に感じる温かさと力強さに、すぐに目を開けると、私の前には、今まさに触れようとしていた手をそのままに、間抜けな顔をしている男が立っていた。

「…お兄さん趣味悪いですよ。このクソガキは今からガチで説教なので、他当たってください」

ドスの効いた不機嫌な声がそう告げれば、男の「あ、ちょっと…!」なんて焦った声もすぐに遠くなる。それは私自身が既に距離を取っているからだと、長すぎる脚で私の腕を引いて前を歩く男の背中を見て、漸く分かった。

「……趣味悪いって何ですか」

引っ張られながら尋ねても、男は無言を貫く。そうしてあっさりと、シノさんの家へ向かういつもの静かな道に辿り着いてしまった。そこで漸く腕を離した男は、それはもう苛立ちを全く隠さない表情のまま、私を冷たく見下ろす。

「お前、本当にめんどくせえよ」

「……何で、」

何で、この男が迎えにくるのだろう。
言葉にはせず、だけど混乱した表情を読み取った男は舌打ちを落として髪を乱す。

「闇落ちでもしようとしたわけ?」

「…私は、中途半端に彷徨って、ダサいから、」

「まじでお前は、本当にダサい」

「……知ってます」


睨もうとしたのに、随分と前から緩んでいる涙腺のせいで上手く行かない。身長の高い男は切れ長の瞳を夜の微かな灯りに反射させ、眼光鋭く私を相変わらず見下ろしている。

「でも俺がダサいって言ったのは、そこじゃねえよ」

「…え?」

「料理が苦手なら死ぬ気で練習しろ。お前は壊滅的にセンスがねえけど、まあ反復でいつかは何とかなる。…多分」

急に失礼なことを言われて、じわじわと目に溜まっていた涙も引っ込んでしまう。こいつは、こんなことを言うためにここまで態々来たのか。

「……オトモダチ作りも、何回でも死ぬ気でやればいいだろうが」

「、」

「うまくできない、上手じゃない、ってそればっかりで諦めて勝手に逃げてんじゃねえよ。ガキが今までの失敗ばっかり見て勝手に凹んで不幸そうな顔すんな、苛々するわ」

この暴君は、流れるような言葉で、とんでもなく好き勝手を言ってくれている。だけどあまりに軽く伝えてくるから、腹立たしい筈なのに、肩の力が不思議と空気みたいに抜けていく。


「……オトモダチ、って…?」

「──梶!!!」

この間から何なんですかと聞こうとした刹那、あのハスキーな声に名前を呼ばれた。驚く私なんかお構いなしに、走って一直線に駆け寄ってくるその姿に、何故だか、視界がもっと、ぼやけてしまう。

何で。何で、あんたはまだ、私に構うの。
どうして私のことをまだ、見つめてくれるの。


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