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2.ちぐはぐな友達

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めんどくせえ。
大きく舌打ちをしながら悪態を吐きながら、数ヶ月前を思い返す。

先生に格安の家賃(光熱費も食費も込み)で、自分の家の部屋を貸してやると言われた美味しすぎる話にすぐ飛びついたのが、確かその頃だ。今借りてるアパートをすぐに出るなら解約に金も必要だし、それも見越していろいろ逆算して、準備をしてきた。

『はあ?バカンス?』

『そう来週から。だから留守も兼ねてその辺りのタイミングで引っ越しておいでよ』


大学生は、テストが終われば誰もが羨むような長い夏休みが始まる。院生は、結局は研究や論文に追われてはいるが、研究室で誰かさんが馬鹿みたいに注文した本の整理をしている時、バカンスだなんてふざけた呑気な予定を発表された。

『先生どこにそんな余裕あるわけ?学会から論文何本頼まれてるか言ってみろよ』

『綾瀬、僕はあんまり未来ばかり見ない性格なわけ』

『頼むからちょっとは見て予定を頭に入れてくんない?』

「このバカンスは譲れない」と強い姿勢を見せる先生に嘆息する。夏休みが始まる前も色々と忙しそうだったのは本当で、そもそも俺が説得したところでこの男はどうせ頷いたりしないと半ば諦めの域に達した時だった。


『そうだ。迷い猫が来るかも』

『は?猫?』

『うん、なかなか素直じゃ無いんだけどね』

『……餌でもやったわけ?』

『…餌ねえ』

妙に含みのある笑みを見せて、パソコンに向かい合うこの人は、たまに食えない。

『まあとりあえず、来たらちゃんと優しく迎えてあげてよ』

『はあ?追い返すに決まってんだろ』

『……綾瀬は案外、可愛くてたまらなくなるかもだけどね。僕みたいに』

『ならねえよ』

奇妙な予言をする先生に目を細めて言うけど、クスクスと楽しそうに笑われるだけでより一層眉を顰める。

『あ、後。女の子連れ込むのは禁止ね』

『あーはいはい、俺元々連れ込むのはしねーから』

『綾瀬、ケダモノ!!』


最後まで喧しかった男が休暇を取った初日。家に到着して、段ボールの搬入を終え、シャワーを浴び終えた時だった。玄関先の物音に違和感を感じ、そのまま雑に開けたら、大きな荷物を抱えた女が少し身体を縮こまらせ、でも瞳の強さはそのままにこちらを睨みつけていた。
先生のことを“シノさん“と呼ぶ、その女に出会うのは2度目だ。肩くらいまでの漆黒の髪を雑に後ろで結んで、陶器のような、悪く言えば血の巡りが悪そうなほどにとにかく白い肌が印象的だった。研究室の中で、警戒心を隠すこともせず、くっきりした二重幅の瞳をこちらに苛立ちと共に細める女は、それと対照的に、胸に花束を大事そうに抱えていた。俺にはつっけんどんな態度しか見せないくせして、先生に「おめでとう」とあまり抑揚のない、それでいて僅かに震えた声で花束を差し出す時だけ、その表情が緩んだのを思い出す。

「この家に庭師として来ていいとシノさんに言われた」と主張するその女は、白い簡素なシャツワンピース姿で女子高生ってもっと色のある服装するんじゃねえのかと思ってしまう。

庭師って何だよ。それ俺に何もメリットねーじゃん。つか明らかにこいつ、高校生が急に1人で訪ねてくるとか、家庭環境に問題抱えてるだろ。そこで初めて先生の「迷い猫」がこいつだったと気づいて、俺もまだまだ甘いなと後悔をしたが、もうとっくに遅い。





料理もできねえし、まず可愛げが全く無い。表情が解れる瞬間もあの研究室以来、見たことがない。そんな女と奇妙な生活が始まってしまって、すぐだった。


『あの』

もうすぐに家に辿り着くタイミングで背後からやや掠れ気味の声に呼び止められる。振り返れば、金髪の明るい髪を靡かせて、俺に睨みを利かせる女が立っていた。上の服は違うが、丈の短いスカートの柄が、あの女と同じだった。今時の高校生は、愛想というものがどうやら無いらしい。

『あんた、梶の何?誰?』

『お前こそ誰だよ』

『すぐそこの高校の梶のクラスメイト。あんたは梶の彼氏なの?』

『はあ?冗談キツいわ。ガキに興味ねえよ』

『……梶に何か変なことしたら許さないから』

『しねーよ』

まじで面倒くさい。俺は、女は後ぐされの無いシンプルな関係しか好まないんだよ。そもそも、あんな青臭いガキに興味もくそもねえわ。こっちはもはや善意の塊で家にいるのを渋々了承してんのに、何で俺がこんな変態的な扱いをされてるのか、理解も納得もできそうに無い。

『つか、そんなもん本人に聞けよ。あいつが言い渋ってんの?』

『……』

その瞬間、険しさを全面に押し出していた表情が強張る。「嗚呼、こいつら何かあるんだな」と瞬時に悟った。

『オトモダチが気になるなら直接聞いてください』

そう言って無理やり会話を終了させれば、金髪の女はやはり立ち去るその瞬間まで、顔を痛そうに歪めていた。


その後、単発で入れた引越しのアルバイトのために早朝起きて、何の気無しに雑に置かれた昨日の新聞が目に入った。地方紙のなんてことないローカルニュースが並ぶ紙面の中に、“若き天才、地域活性化に挑む“というタイトルを見つけたのは偶然だった。
デカデカと映る写真の中で爽やかに微笑む男に、目が留まる。

“住宅イノベーションのベンチャーを20○○年に立ち上げた梶 橙生さん“

…梶、ね。

この近所にあるあいつらと同じ高校の出身。それにあの庭師を語る女はこの男のようには愛想よく笑わないけど、顔立ちがよく似ている。


『お前はそんな兄貴と比べられて、分かりやすく拗ねて、燻ってるわけ?』

図星だと思いつつ聞けば、予想外の反応で意外にも幼い子供のように不安げな表情の崩れ方を見せた。

『そうだったら、良かったですよね』

それはあまりに脆くて、頼りない顔だった。この表情の崩し方は、あんまり気分が良くは無い、と思ったのは事実だ。


まじで、めんどくせえ。

派遣バイトを終えてすっかり暗闇の中の帰路を歩いていると、玄関の前で立ち尽くす見覚えのある金髪の女が居た。

「……人の家の前で何してんの」

こちらを睨むその猫目は涙に濡れて充血していて、鼻先も赤い。

「……あいつは?」

「走って、いなくなった」

「はあ?」

「……あたしさ、梶がずっと高1の時から頑張ってんの、知ってたんだよ。優秀なお兄さんが居て、その中でも自分も引けを取らないくらい頑張ってた。なのに、あたしの所為で、梶、壊れちゃった」

「…友達なら話聞いてやれば良いだろうが」

「友達なんかじゃ無い」

思った以上にあの女にとって"兄"は、地雷だったらしい。この女だけじゃない。それを遠慮なく踏んだのは俺も同じだ。
肩を震わせて泣く亜久津と名乗る女は、あいつのことを思って泣くくせに、友達じゃないと言い張る。

『友達になりたい“奴は?』

『…いません』

その痛々しくてもどかしい表情をついこの間、この目で見たばかりだ。まじで、こいつらめんどくせえよ。

「おい金髪。メソメソ泣いてねえで、あいつが行きそうな場所教えろ」

心底面倒だと思いながら、泣きじゃくる金髪女にそんな風に声をかけてしまったのはほぼ無意識のうちだった。



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