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1.ピンク色の無い花束

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「──おい先生!!!また馬鹿みたいに本大量に注文しただろ!!!!」

「っ、!?」

ガン、と閉じたはずのドアが勢いよく開くのと同時にそんな怒号が飛んで、反射的に身を縮こまらせる。何が起こったのか分からず、心臓が急にバクバクと鳴り始めて、だけど花束だけは、と胸に強く抱えて入り口を見る。

「──あ?」

段ボールを持って、片足で器用にドアの開きを支えている男と目が合ってしまった。

第一印象は、脚が長い。

「………なんだお前。誰?」

そして第二印象は、なんかこいつ、ムカつく。

ダン、と入り口付近に相当重量のありそうな段ボールを置いた男は、再び姿勢を戻して私をまじまじと見つめる。その瞬間、緩くパーマの当たった色素の薄い髪がふわりと揺れた。

「……そ、そっちこそ誰ですか」

初対面で“お前“なんて言われる筋合いは無いと睨む私に、意外そうに目をまじろいだ男は、やはりとても脚が長い。私を射抜く一重の瞳は鋭くて、睨まれているのかとさえ思うし、…恐らく本当に睨まれているけど、あまりに高い鼻や薄い唇がより冷たさを助長している気がする。分かるのは、とりあえずとても顔立ちが整っていると言うことだった。



「……どうやって入った?」

「は?」

「お前、大学生じゃねーだろ」

「私は頼まれた花を持ってきただけです」

男の態度の悪い尋問につられるように、私もムキになって仏頂面で返してしまう。初対面なのにこの不穏な空気を既に作り上げているのは逆に凄いと頭の片隅でぼんやり思う。

「花ァ?」

「花瓶とか無いんですかここは!」

「んなもん、こんな散らかった部屋にあるわけねーだろ」

「は?」

“あるわけねー“のに、私は此処まで態々配達に来させられたというのか。あの東明とかいう男、許さない。
花束を抱えて固まる私に長い脚で簡単に近づいた男は、そのまま不機嫌に私を見下ろす。


「……お前、本当に誰?」

「…ただの花屋の店員ですけど」

「ストーカーとかじゃ無いよな」

「はあ?」


なんだこの男。失礼にも程がある。大体誰のストーカーだよ。どちらかというと私がシノさんにされていたわと頭の中で呟きながら顔を歪めると、同じように目の前の日本人離れした顔が、歪んで不機嫌さを増す。それを表すように、くしゃりと自身の髪を乱しながら舌打ちを受けた。

「……つか、なんで花?」

「…結婚記念日だからですけど!」

苛立ちの中で語気を荒げてそう言うと、少しだけ男の表情が驚きで和らいだ気がする。

「なんで知ってんの?」

「……は?」

「…お前、先生の奥さんのことも知ってんの?」

「…え…」

普段を知らないけれど声に棘しか無かった時から少し緩んだトーンで、言葉は悪いけどそう尋ねる男をただ凝視する。

「先生って言うのはシノさん…東明さんのことですよね?」

「…シノさん?お前は本当に、先生の何?」

眉間に皺を寄せても、整った顔はそのままだから感情が乗っているのかそうじゃ無いのか、いまいち読み取りづらい。そっちこそ、全然人の質問に答えないんだけどなんなの。話が全く進まない。抱き締めていた花束を見つめて、一つ息を吐き出した。この男が何者なのか知らないけど、分からない以上、私だってシノさんのことをそんな簡単に喋るつもりも無い。すると同じタイミングで目の前の男も大きく溜息を吐いて「話進まねえ」とぼやいた。こちらの台詞だと睨めば、向こうも当然のように元々鋭い目に険を携える。本に囲まれた落ち着いた空間の中で、無言でお互い警戒心剥き出しで睨み合うこの状況は一体なんなのだろう。

「桔帆、ごめん遅くなった!」

その瞬間、この状況に不釣り合いな穏やかないつもの声が入り口から聞こえてシノさんが足早に入ってきた。

「……あれ、綾瀬あやせ。お前授業は?」

「休講」

そうして私の側に立っていた男に気づいたシノさんはそう声をかける。シノさんの方をちゃんと振り返って言葉短く返答した男にふうん、と納得した彼は、入り口付近に置かれた段ボールに気がついて、子どものように側へ駆け寄った。

「あ、丁度良かった!本も届いてる!」

「先生さ、要らない本を売ってから次を買えっていつも言ってるよな」

「…要らない本とか無いから。何言ってんの?」

「せめて家に持って帰れよ、もうこの研究室に置くとこねえよ」

「それをなんとかするのが弟子の仕事でしょ?」

「誰が弟子だよ、ふざけんな」

ハァァァと大き過ぎる溜息を吐いて、男は無造作に再び自分の髪を乱しながら悪態をつく。シノさんに対してもどうやらいつもこんな感じらしい。

「桔帆」

そんな2人のやり取りをただ部屋の奥から見つめていると、シノさんが微笑みながら私を呼んで、手に持つものを指差す。

「花束、ありがとう」

「……シノさん。この部屋、花瓶無いんでしょう」

「…あ!!!」

そこで漸く気付いたらしいシノさんが「どうしよ」と呟く。この人、案外抜けているところがあると思いながら、机の上にあった殆ど量の入っていないお茶のペットボトルに目を留めた。

「このペットボトル、使っても良いなら代用で生けるけど」

「桔帆…天才?」

安っぽいシノさんの褒め言葉は無視して、作業に入ろうとシャツの袖をまくる。


「なあ、こいつは何者?」

「…指差さないでください」

私を無遠慮に指差して、シノさんに尋ねる男に腹が立ってそう言えば、やはり一重の瞳が不機嫌に細まる。

「え、何この雰囲気。殺伐としすぎじゃない?」

「こいつ、なんも答えねーんだよ」

「はあ?それはそっちが名前も名乗らないし、勝手にストーカー扱いしてくるからですよね?」

「ただの花屋がこんな部屋にまで入り込んでくんのかよ」

私と男を交互に見たシノさんが若干引いた様子で「険悪になるの早すぎるでしょ」と苦笑いと共に睨み合いを遮るように間に割って入ってきた。

「桔帆。これ、久遠くどお 綾瀬ね。大学院1年で、僕のゼミに入ってる。まあ、僕の一番弟子ってとこ?」

「これが…!?考え直した方が良いんじゃない」


シノさんの選択は、絶対に間違えている。信じられない気持ちでそう言えば、再び不機嫌最高潮の顔がこちらを睨む。

「お前、簡単に喧嘩売ってくれるじゃん」

「綾瀬は照れ屋さんだからなあ」

こっちだって、出会った時からずっと喧嘩を売られている。“照れ屋“なんて言葉で片付けて良い感じではどう考えても無いが?と納得を全くできていない不満気な顔でシノさんを見ても、彼は楽しそうなままだ。

「…で?俺は名乗ったんだからお前も名乗れよ」

低く少しだけ掠れた声は、整った顔には不釣り合いな気もして、だけど苛立ちを容易く増幅させてくる。お前も自分で名乗って無いだろ、と言う目線だけを向けて私は花束をそっと椅子に立てかけ、ペットボトルを手にとった。

「この子は、梶 桔帆さんね。高校2年生で僕がいつもお世話になってる花屋さんでアルバイトしてる子。…てか君ら自己紹介くらい自分でしてくれる?」

溜息まじりにシノさんがそう告げるのを意識半分で聞きながら、ボトルのフィルムを剥がしていると目の前からは痛いほど視線を感じるけど、無視を貫いた。


「……シノさん、花を置くの日当たりの良いところの方がいいけど、ここ熱気こもりやすそうだから換気はちゃんとして」

「はい、わかりました。ちょっと、綾瀬も聞いてた?」

「知るかよ。俺は花の面倒なんか見ねーからな」

「またまたぁ!」

「謙遜して言ってんじゃねえんだよ」

男の苛立ちを孕んだ声を聞きながら、花を生けるべくラッピングを解こうとして、私はピタリとその手を止めた。

『友人の記念日を祝ってくれないの?』

そうだった。この平穏とは言えないピリピリした雰囲気の中でも緩やかな表情を崩さない変なお日様に頼まれて、私は花束を持ってきたんだった。一歩踏み出して、口の悪い男は素通りし、恐る恐るそんなシノさんの傍まで寄る。

「シノさん」

「ん?」

「………おめでとう」

本当にちょっとした生活音が生まれていれば、かき消されて聞こえなかったであろう小さな小さな声。目を合わせることはでき無いまま、短い言葉で言って花束を差し出すとシノさんは珍しく垂れた目を大きく開けた。それから、ふわりと包み込む笑顔を見せた。

「ありがとう。あ!ちゃんとピンクの桔梗も入ってる」

そして、受け取って花束を眺めながら心から嬉しそうな声を出す。窓からの日差しが反射して、その笑顔がより一層眩く映った。本当、変な人。──ピンクの花言葉も知って、それさえ丸ごと受け入れるみたいな顔をする。

意図せず少し解れてしまった表情を、傍にいた綾瀬とかいう男が意外そうに眺めていたのには、気がつかなかった。




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