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1.ピンク色の無い花束
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しおりを挟むそれから数十分後。私は相変わらず店先に並ぶ花たちの様子を一心不乱に見つめてしまう。
花の香りは独特だ。鼻腔を擽るそれは、香水のような化学的なものでは表現しきれない複雑な奥行きがある気がする。
「…此処に、ずっと居れたら良いのに」
そうすれば私は花以外の何にも関わらなくて済むし、何も私に関わってこない。
6月は、好きでは無い。低気圧のせいか、いつも呼吸がし辛い。今日はまだ珍しく降り出してはいないけれど、分厚い灰色の雲は今にも泣き出しそうだった。ぼんやりと空を見上げて、自分の心にも灰色を投影する私の姿は、咲き誇る花々にどう映っているのだろう。
滑稽だろうか。情けないだろうか。でもそれでも構わない。
「───お嬢さん。その、綺麗に咲いているお花をいただけますか?」
「っ、」
突如聞こえてきた声に身体を大きくびくつかせてしまった。座り込んだまま振り返ると、側には半袖の薄い水色のシャツに落ち着いたダークグレーのパンツ姿の男性が立っていた。ネクタイはしていなくて、どちらかと言うとラフな感じではあるけど、佇まいに気品がある。
「…い、いらっしゃいませ」
愛想も何も作られていない引き攣った笑顔で呟くと(仁美さんに殴られそう)その人は満面の笑みを私に向けた。どんよりとした天気にも、冷めた表情しかできない店員にも、あまりにそぐわないお日様のような微笑みを返されて、居心地の悪さに思わず目を逸らす。
「こんにちは。お花お願いします」
「あ、はい。えっと、桔梗、ですか?」
丁度私がしゃがんでいた方向を指差す彼に尋ねると、やはり屈託の無い笑顔のまま「そうです」と頷かれた。垂れた二重の瞳には弛み無く甘さがあるのに、真っ直ぐに通った鼻筋や形の良い薄い唇が端正な顔立ちの程良いバランスを保つ。仁美さんが言っていたイケメンとは、恐らくこの人のことだろうか。確かに“オジ“と表現するにはあまりに若く見えてしまう。
「うちの奥さんが桔梗大好きなので。今日はそれで花束作って欲しいです」
「…色味の希望はありますか?」
「いえ、お任せします」
「分かりました」
まだまだ雑用や花の世話を覚えるのに必死な私にはアレンジもブーケも勿論作ることは出来ない。店の中で電話応対をしていた仁美さんを呼びに行こうと「少しお待ちください」と一言断って足の向きを変えると
「…お嬢さん、はじめましてですね」
妙に柔らかい声や“お嬢さん“と言う慣れない呼ばれ方に顰めた顔をうまく隠せなかった。
「はい、先月から働かせていただいてます」
「梶さんかあ。アルバイトさん?」
エプロンの左胸に付いた名札を確認したらしい男は、私の苗字を確かめるように呼んで、質問を続ける。
早く仁美さんにバトンタッチしたいのに、物腰柔らかな筈の男の会話にそのタイミングを掴めない。あまり自分のことも語りたくは無いのに。
「…はい」
「そう、若いのに偉いね。僕はいつもお世話になってる東明と言います」
ただの店員にこんな風に自己紹介してくるのって普通なんだろうか。あまりに人懐こい雰囲気に、やはり私は逃げ出したくなった。でもお得意様だし、接客は全く向いていないのに雇ってくれた仁美さん達に、感謝をしていないわけでは勿論無い。
「…い、いつもありがとうございます」
張り付いた笑みを浮かべて一礼すると、目の前の男は声を出して笑う。何この人。失礼では?
「良いね。梶さん。“え~なんか絶対に変な人そう~でも多分常連だし頑張って挨拶くらいは…“って思ったでしょ」
「イ、イエ」
「分かりやすくて大変よろしいです」
未だにクスクスと笑って目尻に浮かんだ涙を拭う男は、全く望んでいない謎のお褒めの言葉をくれる。私の心の声を表現する時の高い声も絶妙に腹立たしい。
「店長を呼んできますので、お待ちください」
「あ、怒った?ごめんね、面白がったけど悪気はないんだよ」
つっけんどんに伝えた私に、軽く謝罪をしてくる男は未だ笑いを抑えられていない。悪気の無い面白がり方とは、一体どんなものなのか教えてほしい。
「この人本当に知的か?」と仁美さんに問いただしたくなる。最初見た時に気品があると印象付けた自分にも後悔をした。振り切るように店の奥へ足早に進む背中越しに、未だ男の楽しそうな笑い声が聞こえていた。
「仁美さん花束お願いします!!」
既に電話を終えて、ノートに顧客情報を書き込んでいた彼女に今日1番の大きな声が出た。揶揄われたことへの苛立ちを言葉にありありと乗せてしまった。
「え、何。勢いびびる。お客さん?」
「はい、いらっしゃってますよ!仁美さんが仰ってたイケメン!!」
「きゃー!東明さん!?」
「いたっ!?」
決して広いとは言えないこじんまりした、沢山の花がディスプレイされる店内なのに、仁美さんは甲高い声と共に私をもはや突き飛ばす勢いで男の元へ向かおうとする。花に当たったらどうするんだ!
『毎月ね、必ず奥さんのために花を買いにくるイケメンがいるのよ』
そこでふと、男の目的を思い出した私は思わず仁美さんを呼び止めた。
「桔梗で、花束を作ってほしいと仰ってました」
「あ、本当?了解、ありがとう」
「仁美さん、あの、桔梗のことなんですが…」
「…どうした?」
別に私が気にすることでも無いのだけど、"偶然知っていたこと"を敢えて言わないのは、なんとなく後味が悪い。こちらを目を丸くして見つめる仁美さんに、意を決して再び口を開いた。
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