上 下
3 / 47
1.ピンク色の無い花束

1-2

しおりを挟む





それから数十分後。私は相変わらず店先に並ぶ花たちの様子を一心不乱に見つめてしまう。
花の香りは独特だ。鼻腔を擽るそれは、香水のような化学的なものでは表現しきれない複雑な奥行きがある気がする。

「…此処に、ずっと居れたら良いのに」

そうすれば私は花以外の何にも関わらなくて済むし、何も私に関わってこない。
6月は、好きでは無い。低気圧のせいか、いつも呼吸がし辛い。今日はまだ珍しく降り出してはいないけれど、分厚い灰色の雲は今にも泣き出しそうだった。ぼんやりと空を見上げて、自分の心にも灰色を投影する私の姿は、咲き誇る花々にどう映っているのだろう。
滑稽だろうか。情けないだろうか。でもそれでも構わない。



「───お嬢さん。その、綺麗に咲いているお花をいただけますか?」

「っ、」

突如聞こえてきた声に身体を大きくびくつかせてしまった。座り込んだまま振り返ると、側には半袖の薄い水色のシャツに落ち着いたダークグレーのパンツ姿の男性が立っていた。ネクタイはしていなくて、どちらかと言うとラフな感じではあるけど、佇まいに気品がある。


「…い、いらっしゃいませ」

愛想も何も作られていない引き攣った笑顔で呟くと(仁美さんに殴られそう)その人は満面の笑みを私に向けた。どんよりとした天気にも、冷めた表情しかできない店員にも、あまりにそぐわないお日様のような微笑みを返されて、居心地の悪さに思わず目を逸らす。

「こんにちは。お花お願いします」

「あ、はい。えっと、桔梗、ですか?」


丁度私がしゃがんでいた方向を指差す彼に尋ねると、やはり屈託の無い笑顔のまま「そうです」と頷かれた。垂れた二重の瞳には弛み無く甘さがあるのに、真っ直ぐに通った鼻筋や形の良い薄い唇が端正な顔立ちの程良いバランスを保つ。仁美さんが言っていたイケメンとは、恐らくこの人のことだろうか。確かに“オジ“と表現するにはあまりに若く見えてしまう。


「うちの奥さんが桔梗大好きなので。今日はそれで花束作って欲しいです」

「…色味の希望はありますか?」

「いえ、お任せします」

「分かりました」


まだまだ雑用や花の世話を覚えるのに必死な私にはアレンジもブーケも勿論作ることは出来ない。店の中で電話応対をしていた仁美さんを呼びに行こうと「少しお待ちください」と一言断って足の向きを変えると

「…お嬢さん、はじめましてですね」

妙に柔らかい声や“お嬢さん“と言う慣れない呼ばれ方に顰めた顔をうまく隠せなかった。



「はい、先月から働かせていただいてます」

「梶さんかあ。アルバイトさん?」

エプロンの左胸に付いた名札を確認したらしい男は、私の苗字を確かめるように呼んで、質問を続ける。
早く仁美さんにバトンタッチしたいのに、物腰柔らかな筈の男の会話にそのタイミングを掴めない。あまり自分のことも語りたくは無いのに。

「…はい」

「そう、若いのに偉いね。僕はいつもお世話になってる東明しのあきと言います」

ただの店員にこんな風に自己紹介してくるのって普通なんだろうか。あまりに人懐こい雰囲気に、やはり私は逃げ出したくなった。でもお得意様だし、接客は全く向いていないのに雇ってくれた仁美さん達に、感謝をしていないわけでは勿論無い。


「…い、いつもありがとうございます」

張り付いた笑みを浮かべて一礼すると、目の前の男は声を出して笑う。何この人。失礼では?


「良いね。梶さん。“え~なんか絶対に変な人そう~でも多分常連だし頑張って挨拶くらいは…“って思ったでしょ」

「イ、イエ」

「分かりやすくて大変よろしいです」

未だにクスクスと笑って目尻に浮かんだ涙を拭う男は、全く望んでいない謎のお褒めの言葉をくれる。私の心の声を表現する時の高い声も絶妙に腹立たしい。

「店長を呼んできますので、お待ちください」

「あ、怒った?ごめんね、面白がったけど悪気はないんだよ」


つっけんどんに伝えた私に、軽く謝罪をしてくる男は未だ笑いを抑えられていない。悪気の無い面白がり方とは、一体どんなものなのか教えてほしい。

「この人本当に知的か?」と仁美さんに問いただしたくなる。最初見た時に気品があると印象付けた自分にも後悔をした。振り切るように店の奥へ足早に進む背中越しに、未だ男の楽しそうな笑い声が聞こえていた。



「仁美さん花束お願いします!!」


既に電話を終えて、ノートに顧客情報を書き込んでいた彼女に今日1番の大きな声が出た。揶揄われたことへの苛立ちを言葉にありありと乗せてしまった。

「え、何。勢いびびる。お客さん?」

「はい、いらっしゃってますよ!仁美さんが仰ってたイケメン!!」

「きゃー!東明さん!?」

「いたっ!?」

決して広いとは言えないこじんまりした、沢山の花がディスプレイされる店内なのに、仁美さんは甲高い声と共に私をもはや突き飛ばす勢いで男の元へ向かおうとする。花に当たったらどうするんだ!


『毎月ね、必ず奥さんのために花を買いにくるイケメンがいるのよ』

そこでふと、男の目的を思い出した私は思わず仁美さんを呼び止めた。

「桔梗で、花束を作ってほしいと仰ってました」

「あ、本当?了解、ありがとう」

「仁美さん、あの、桔梗のことなんですが…」

「…どうした?」


別に私が気にすることでも無いのだけど、"偶然知っていたこと"を敢えて言わないのは、なんとなく後味が悪い。こちらを目を丸くして見つめる仁美さんに、意を決して再び口を開いた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

毎日告白

モト
ライト文芸
高校映画研究部の撮影にかこつけて、憧れの先輩に告白できることになった主人公。 同級生の監督に命じられてあの手この手で告白に挑むのだが、だんだんと監督が気になってきてしまい…… 高校青春ラブコメストーリー

サンドアートナイトメア

shiori
ライト文芸
(最初に)  今を生きる人々に勇気を与えるような作品を作りたい。  もっと視野を広げて社会を見つめ直してほしい。  そんなことを思いながら、自分に書けるものを書こうと思って書いたのが、今回のサンドアートナイトメアです。  物語を通して、何か心に響くものがあればと思っています。 (あらすじ)  産まれて間もない頃からの全盲で、色のない世界で生きてきた少女、前田郁恵は病院生活の中で、年齢の近い少女、三由真美と出合う。  ある日、郁恵の元に届けられた父からの手紙とプレゼント。  看護師の佐々倉奈美と三由真美、二人に見守られながら開いたプレゼントの中身は額縁に入れられた砂絵だった。  砂絵に初めて触れた郁恵はなぜ目の見えない自分に父は砂絵を送ったのか、その意図を考え始める。  砂絵に描かれているという海と太陽と砂浜、その光景に思いを馳せる郁恵に真美は二人で病院を抜け出し、砂浜を目指すことを提案する。  不可能に思えた願望に向かって突き進んでいく二人、そして訪れた運命の日、まだ日の昇らない明朝に二人は手をつなぎ病院を抜け出して、砂絵に描かれていたような砂浜を目指して旅に出る。    諦めていた外の世界へと歩みだす郁恵、その傍に寄り添い支える真美。  見えない視界の中を勇気を振り絞り、歩みだす道のりは、遥か先の未来へと続く一歩へと変わり始めていた。

【完結】君の記憶と過去の交錯

翠月 歩夢
ライト文芸
第4回ライト文芸大賞にエントリーしています。よろしければ応援お願い致します。 学校に向かう途中にある公園でいつも見かける同じ春ヶ咲高校の制服を着ている男子。 その人をよく見てみるととてつもなく顔の整った容姿をしていた。ある日、その人に話しかけてみるとなんと幽霊であり自身の名前とこの町のこと以外は覚えていないらしいことが分かった。 主人公の桜空はその青年、零の記憶を取り戻す手伝いをすることを申し出る。だが、二人は共に記憶を探している内に、悲しい真実に気づいてしまう。 そして迎える結末は哀しくも暖かい、優しいものだった。 ※エブリスタにも掲載しています。 表紙絵はこなきさんに描いて頂きました。主人公の桜空を可愛く描いてくれました。 追記 2021/9/13 ジャンル別ランキングに乗れました。ありがとうございます!

半径三メートルの箱庭生活

白い黒猫
ライト文芸
『誰もが、自分から半径三メートル以内にいる人間から、伴侶となる人を見付ける』らしい。 愛嬌と元気が取り柄の月見里百合子こと月ちゃんの心の世界三メートル圏内の距離に果たして運命の相手はいるのか?   映画を大好きな月ちゃんの恋愛は、映画のようにはなるわけもない? 一メートル、二メートル、三メートル、月ちゃんの相手はどこにいる?  恋愛というより人との触れ合いを描いた内容です。  現在第二部【ゼクシイには載っていなかった事】を公開しています。  月ちゃんのロマンチックから程遠い恍けた結婚準備の様子が描かれています  人との距離感をテーマにした物語です。女性の半径三メートルの距離の中を描いたコチラの話の他に、手の届く範囲の異性に手を出し続けた男性黒沢明彦を描いた「手を伸ばしたチョット先にあるお月様」、三十五センチ下の世界が気になり出した男性大陽渚の物語「三十五センチ下の◯◯点」があります。 黒沢くんの主人公の『伸ばした手のチョット先にある、お月様】と併せて読んでいただけると更に楽しめるかもしれません。

透明の私

ゆうゆ
ライト文芸
これは私が今まで生きてきたなかで、体験したことを元に、お話を書いてみました。 社会を恐れていた少女。平崎梨奈は、自分の意思を持たなかった。 そんなとき夏輝の存在がきっかけで、自分の色が無い梨奈は色付き始める。

同期の御曹司様は浮気がお嫌い

秋葉なな
恋愛
付き合っている恋人が他の女と結婚して、相手がまさかの妊娠!? 不倫扱いされて会社に居場所がなくなり、ボロボロになった私を助けてくれたのは同期入社の御曹司様。 「君が辛そうなのは見ていられない。俺が守るから、そばで笑ってほしい」 強引に同居が始まって甘やかされています。 人生ボロボロOL × 財閥御曹司 甘い生活に突然元カレ不倫男が現れて心が乱される生活に逆戻り。 「俺と浮気して。二番目の男でもいいから君が欲しい」 表紙イラスト ノーコピーライトガール様 @nocopyrightgirl

きみと最初で最後の奇妙な共同生活

美和優希
ライト文芸
クラスメイトで男友達の健太郎を亡くした数日後。中学二年生の千夏が自室の姿見を見ると、自分自身の姿でなく健太郎の姿が鏡に映っていることに気づく。 どうやら、どういうわけか健太郎の魂が千夏の身体に入り込んでしまっているようだった。 この日から千夏は千夏の身体を通して、健太郎と奇妙な共同生活を送ることになるが、苦労も生じる反面、健太郎と過ごすにつれてお互いに今まで気づかなかった大切なものに気づいていって……。 旧タイトル:『きみと過ごした最後の時間』 ※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。 ※初回公開・完結*2016.08.07(他サイト) *表紙画像は写真AC(makieni様)のフリー素材に文字入れをして使わせていただいてます。

COVERTー隠れ蓑を探してー

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
潜入捜査官である山崎晶(やまざきあきら)は、船舶代理店の営業として生活をしていた。営業と言いながらも、愛想を振りまく事が苦手で、未だエス(情報提供者)の数が少なかった。  ある日、ボスからエスになれそうな女性がいると合コンを秘密裏にセッティングされた。山口夏恋(やまぐちかれん)という女性はよいエスに育つだろうとボスに言われる。彼女をエスにするかはゆっくりと考えればいい。そう思っていた矢先に事件は起きた。    潜入先の会社が手配したコンテナ船の荷物から大量の武器が発見された。追い打ちをかけるように、合コンで知り合った山口夏恋が何者かに連れ去られてしまう。 『もしかしたら、事件は全て繋がっているんじゃないのか!』  山崎は真の身分を隠したまま、事件を解決することができるのか。そして、山口夏恋を無事に救出することはできるのか。偽りで固めた生活に、後ろめたさを抱えながら捜索に疾走する若手潜入捜査官のお話です。 ※全てフィクションです。 ※小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

処理中です...