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1.ピンク色の無い花束
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ドラマチックな出会いなんて、人生の中で一度でも経験出来ることの方が稀だと思う。今思い出してみても、その出会い方だって何一つ劇的なものは無い。
梅雨入りが発表されて天気予報には連日、傘のマークが並ぶようになった1年前の6月の頃。
「梶ちゃん、ちょっと休憩しよっか!」
「…その台詞、30分前にも聞きましたけど」
「唯一のバイトちゃんが冷たい・ツレない・距離が縮まらない…悲しい」
およよよ、なんて態とらしく自身のシャツの袖で涙を拭う仕草を披露しながら謎の3拍子を伝えてくる彼女を他所に、私はバケツの中の切り花を1つずつ確認する。水の吸い上げ具合で、花が美しく保たれる期間は大きく変わるのだ。
「父の日も無事に終わって、ちょっと落ち着いたんだしさあ。たまにはゆっくり語りあおうよ?」
「仁美さん、さっき電話でブーケの注文受けました。誕生日用だそうです。要望含めてメモをレジのところに貼ってるので直ぐに確認してください」
「あ、はい」
「本当にツレない」と頬を膨らませた彼女が渋々店の奥へと歩く姿を見つめ、1つ深く息を吐き出した。
──此処は、私がアルバイトとして働く花屋。丁度1ヶ月前、制服姿のまま「雇ってほしい」と急に店先で話しかけた私に驚いた表情を向けながら、でも笑って「奥で話を聞こうか」と言ってくれたのが先程からめげずに話しかけてきていた、店長の城山仁美さんだ。
「どうして働きたいの?」という彼女からの質問の答えは、最初から決まっていた。
『お金が欲しいからです。早く、自立したいんです』
『いやいや、花が好きだから、ってまず社交辞令でも言わない?』
『此処を選んだのは勿論、花が好きだからです。
だって花は、──────』
好きの後に繋げた私の言葉に、仁美さんは目を開いて神妙な顔つきになった。「そういう理由が出てくるかあ」と独白した後、堅く唇を結ぶ。そして何か逡巡するように天井を仰いで息を吐きだした。
『分かった、良いよ』
『……え』
『何驚いてるの』
『いや、だって、そんな即決で良いんですか』
『そっちが乗り込んできたんでしょうに。それに、なんか不健康な顔した梶さんが、思いっきり笑うところも見たいなって思ったんだよね』
不健康な顔で悪かったな、と口には出さずとも険しい表情に書かれていたらしい。愉しそうに笑い声を上げた彼女は、本当に私をその場で採用して次の週からのシフトまで組んでくれた。
仁美さんは、この花屋を夫の光さんと経営している。花屋の朝は、想像を絶する程にとにかく早くて、まずは花市場へ仕入れに行くところから始まる。日中だってお客さんの要望に応えて注文を受けるだけでは成り立たない。その傍で今を生きる花の様子を油断することなく見つめていなければならない。実は相当な重労働も多いこの仕事を、夫婦2人だけで切り盛りするのはなかなか大変だと、丁度考えていたところでもあったらしい。
光さんは、今は車で配達に出かけている。まだ経験の浅い私は、ルーティンの仕事をこなすのも正直まだ心許ないし、無駄口を叩いている暇も無い。
「誕生日にお花くれる彼氏、どう!?王道だけど結局キュンとくるのよね~」
「……」
「ちょっと照れながら渡されたりしたらもう100点。"イケメン×花×笑顔=世界の幸せ"って古いにしえから決まってんのよね。」
「……」
「ねえ待って、この店私しか居ないの?」
特に返事をしない私に、懲りずに店の中から話しかけてくる仁美さんは「梶ちゃんは究極のツンデレなのかなあ」と好き勝手にぼやいている。
ちらり後方を一瞥すると、彼女が口を動かし続けながらも素早い手捌きでブーケを製作している姿を視界に捕らえた。水切りや湯切り(切り花が水をしっかり取り入れられるように茎を切る作業)だって、私が取り組む半分以下の時間で難なくこなしてしまう彼女を目の当たりにしているから「口じゃなくて手を動かしてください」とは主張出来ない。
「そうだ、カジカジ!!」
梶、と言うのは紛れもなく私の苗字ではあるが、あらゆるレパートリーで呼んでくるのそろそろ辞めて欲しい。怪訝な顔を向けても笑顔で避ける彼女は、さっき私が書き置きしたメモを放り投げて、軽快なステップと共に近づいてきた。
「ちょっと。そのメモ、無くさないでくださいよ」
「あのね、今日、そろそろイケメンが来るわよ!」
「………は?」
「毎月ね、必ず奥さんのために花を買いにくるイケメンがいるのよ~~!」
一体、急になんの話なんだ。私の冷めた眼差しも気に留めない仁美さんは、言葉を続ける。
「先月は梶ちゃん丁度シフトかぶってなかったからね!私としたことが、伝え忘れてたわ。20日が記念日らしくて、いつもこのくらいの夕方の時間に寄ってくださるのよ。毎月記念日を祝うとか心までイケメンで泣いちゃうわ。」
「…はあ、そうなんですか。」
「え?まじでくそイケメンなのよ?"イケメン×花×笑顔=世界の幸せ"よ?」
「興味ないです。」
くそがつくイケメンってなんなんだろう。「女子高生がイケメンに興味ないとかあるの…?」と、何故か立ちくらみを起こしている仁美さんを無視して、私は相変わらず土の渇き具合を確認しながら、植木鉢に咲く花へそっと、水をやる。
「まだ若いのに大学で教授されてる方でね、知的で麗しくてもう毎月の楽しみなのよ!年齢的にはイケオジになるのかもだけど“オジ“じゃ無いのよあれは…!」
「きゃぴきゃぴ」そんな文字が後ろに見える仁美さんのはしゃぎ方は、まるで少女のようだ。熱量が凄い。
「光さんが泣きますよ」と言う言葉はぐっと堪えて再び花へと視線を落とす。
「…桔梗が綺麗に咲く季節になってきたね」
「そうですね」
イケメンの話に全く食いつかない私に諦めたのか、隣にしゃがんで頬杖をつく仁美さんが嬉しそうに口角を上げた。
「そう言えば、カジカジって名前に桔梗の字が入ってるんだね。"桔帆"だもんね」
「はい」
「やっぱそう言うの、身近に感じるもの?」
「身近ではありますかね。…ただ、」
「ただ?」
「好きでは無いです」
────桔梗の花も、自分のことも。
それは心の中だけで呟いて、仁美さんが何かを紡ぎかける気配を察して「バケツの水換えてきます」と立ち上がった。
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ドラマチックな出会いなんて、人生の中で一度でも経験出来ることの方が稀だと思う。今思い出してみても、その出会い方だって何一つ劇的なものは無い。
梅雨入りが発表されて天気予報には連日、傘のマークが並ぶようになった1年前の6月の頃。
「梶ちゃん、ちょっと休憩しよっか!」
「…その台詞、30分前にも聞きましたけど」
「唯一のバイトちゃんが冷たい・ツレない・距離が縮まらない…悲しい」
およよよ、なんて態とらしく自身のシャツの袖で涙を拭う仕草を披露しながら謎の3拍子を伝えてくる彼女を他所に、私はバケツの中の切り花を1つずつ確認する。水の吸い上げ具合で、花が美しく保たれる期間は大きく変わるのだ。
「父の日も無事に終わって、ちょっと落ち着いたんだしさあ。たまにはゆっくり語りあおうよ?」
「仁美さん、さっき電話でブーケの注文受けました。誕生日用だそうです。要望含めてメモをレジのところに貼ってるので直ぐに確認してください」
「あ、はい」
「本当にツレない」と頬を膨らませた彼女が渋々店の奥へと歩く姿を見つめ、1つ深く息を吐き出した。
──此処は、私がアルバイトとして働く花屋。丁度1ヶ月前、制服姿のまま「雇ってほしい」と急に店先で話しかけた私に驚いた表情を向けながら、でも笑って「奥で話を聞こうか」と言ってくれたのが先程からめげずに話しかけてきていた、店長の城山仁美さんだ。
「どうして働きたいの?」という彼女からの質問の答えは、最初から決まっていた。
『お金が欲しいからです。早く、自立したいんです』
『いやいや、花が好きだから、ってまず社交辞令でも言わない?』
『此処を選んだのは勿論、花が好きだからです。
だって花は、──────』
好きの後に繋げた私の言葉に、仁美さんは目を開いて神妙な顔つきになった。「そういう理由が出てくるかあ」と独白した後、堅く唇を結ぶ。そして何か逡巡するように天井を仰いで息を吐きだした。
『分かった、良いよ』
『……え』
『何驚いてるの』
『いや、だって、そんな即決で良いんですか』
『そっちが乗り込んできたんでしょうに。それに、なんか不健康な顔した梶さんが、思いっきり笑うところも見たいなって思ったんだよね』
不健康な顔で悪かったな、と口には出さずとも険しい表情に書かれていたらしい。愉しそうに笑い声を上げた彼女は、本当に私をその場で採用して次の週からのシフトまで組んでくれた。
仁美さんは、この花屋を夫の光さんと経営している。花屋の朝は、想像を絶する程にとにかく早くて、まずは花市場へ仕入れに行くところから始まる。日中だってお客さんの要望に応えて注文を受けるだけでは成り立たない。その傍で今を生きる花の様子を油断することなく見つめていなければならない。実は相当な重労働も多いこの仕事を、夫婦2人だけで切り盛りするのはなかなか大変だと、丁度考えていたところでもあったらしい。
光さんは、今は車で配達に出かけている。まだ経験の浅い私は、ルーティンの仕事をこなすのも正直まだ心許ないし、無駄口を叩いている暇も無い。
「誕生日にお花くれる彼氏、どう!?王道だけど結局キュンとくるのよね~」
「……」
「ちょっと照れながら渡されたりしたらもう100点。"イケメン×花×笑顔=世界の幸せ"って古いにしえから決まってんのよね。」
「……」
「ねえ待って、この店私しか居ないの?」
特に返事をしない私に、懲りずに店の中から話しかけてくる仁美さんは「梶ちゃんは究極のツンデレなのかなあ」と好き勝手にぼやいている。
ちらり後方を一瞥すると、彼女が口を動かし続けながらも素早い手捌きでブーケを製作している姿を視界に捕らえた。水切りや湯切り(切り花が水をしっかり取り入れられるように茎を切る作業)だって、私が取り組む半分以下の時間で難なくこなしてしまう彼女を目の当たりにしているから「口じゃなくて手を動かしてください」とは主張出来ない。
「そうだ、カジカジ!!」
梶、と言うのは紛れもなく私の苗字ではあるが、あらゆるレパートリーで呼んでくるのそろそろ辞めて欲しい。怪訝な顔を向けても笑顔で避ける彼女は、さっき私が書き置きしたメモを放り投げて、軽快なステップと共に近づいてきた。
「ちょっと。そのメモ、無くさないでくださいよ」
「あのね、今日、そろそろイケメンが来るわよ!」
「………は?」
「毎月ね、必ず奥さんのために花を買いにくるイケメンがいるのよ~~!」
一体、急になんの話なんだ。私の冷めた眼差しも気に留めない仁美さんは、言葉を続ける。
「先月は梶ちゃん丁度シフトかぶってなかったからね!私としたことが、伝え忘れてたわ。20日が記念日らしくて、いつもこのくらいの夕方の時間に寄ってくださるのよ。毎月記念日を祝うとか心までイケメンで泣いちゃうわ。」
「…はあ、そうなんですか。」
「え?まじでくそイケメンなのよ?"イケメン×花×笑顔=世界の幸せ"よ?」
「興味ないです。」
くそがつくイケメンってなんなんだろう。「女子高生がイケメンに興味ないとかあるの…?」と、何故か立ちくらみを起こしている仁美さんを無視して、私は相変わらず土の渇き具合を確認しながら、植木鉢に咲く花へそっと、水をやる。
「まだ若いのに大学で教授されてる方でね、知的で麗しくてもう毎月の楽しみなのよ!年齢的にはイケオジになるのかもだけど“オジ“じゃ無いのよあれは…!」
「きゃぴきゃぴ」そんな文字が後ろに見える仁美さんのはしゃぎ方は、まるで少女のようだ。熱量が凄い。
「光さんが泣きますよ」と言う言葉はぐっと堪えて再び花へと視線を落とす。
「…桔梗が綺麗に咲く季節になってきたね」
「そうですね」
イケメンの話に全く食いつかない私に諦めたのか、隣にしゃがんで頬杖をつく仁美さんが嬉しそうに口角を上げた。
「そう言えば、カジカジって名前に桔梗の字が入ってるんだね。"桔帆"だもんね」
「はい」
「やっぱそう言うの、身近に感じるもの?」
「身近ではありますかね。…ただ、」
「ただ?」
「好きでは無いです」
────桔梗の花も、自分のことも。
それは心の中だけで呟いて、仁美さんが何かを紡ぎかける気配を察して「バケツの水換えてきます」と立ち上がった。
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