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18話
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闇そのもののような穢れが、彼の嘆きを伝えてくる。
押し倒されて動けない玲は、まとわりついてくる黒い靄から、その記憶や気持ちのようなものを感じ取っていた。
褐色の肌に、白い髪を持つ人々。
大きな竪琴を優美に奏で、優しく微笑むのは母。
時折訪れて、大きな手で頭を撫でてくれるのは父。
ひとりだけ髪色が違うことが寂しくて泣くと、母の生まれた辺境では珍しくはない、お前の髪はご先祖様の贈り物なのよ、そう言って、泣き止むまで抱きしめてくれた。幸せな日々。
そこに、母と同郷の行商人が現れる。
褐色の肌に蒼黒の髪。
祖を同じくする親戚と聞き、単純に喜んだ。
行商人の男は優しく、来るたびに他国の話を聞かせてくれた。
自分は男にあこがれ、懐いたが、その時母がどんな顔をしていたのかは覚えていない。
男は頻繁に現れる。
母への思慕を隠そうとしない。
やがて周囲に疑念が生まれ、父に報告が届く。
結果、母は幽閉されたが、どこか安堵した様子だった。
父のもとへ引き取られたが、そこで初めて「不義の子」と噂されているのを知った。
違う、という母の言葉を信じ、母のそばで楽器を弾く時間だけが安らぎとなる。
しかしある日、母は殺された───。
『レイ!レイッ!どうして加護が発動しないんですかバカ馬ぁあああ!!』
シャールの叫び声で、玲は我に返った。
いつの間にかローブはまくり上げられ、下肢の布は無残に破られている。
「───エル?」
玲がそっと呼びかけると、己の屹立を取り出そうてしていた動きが止まった。
拘束されていない方の手を上げて、垣間見た記憶の中で『エル』と呼ばれていた彼の頬に触れる。
すると玲の手を嫌がるように、エルの顔を覆う黒いものがさあっと離れていく。
「どうして…」
一瞬だけ、その目に正気が戻った。
だが狂気の動きは止まらず、玲の太腿に固いものが擦りつけられる。
穢れをまとう冷たい感触に、玲は眉をひそめて耐えた。
エルに押し倒され着衣を剥がれても、穢れそのものは玲に触れられないようだった。
玲の体を薄い膜のように包む光が、穢れとそれが持つ負の感情を弾いている。
ただ、直接体の中に入られたらどうなるか、わからない。
『レイ、浄化は…!』
「あ、えーと、魔法をもう一個…?」
玲は今、龍の寝床を覆う結界を発動している。
オルカルマールの加護で無限の魔力があるのだが、魔法自体に不慣れな玲は、ふたつの魔法を同時に展開したことがない。
うーん、と首を傾げた玲の両足が高く、エルの肩に担ぐように持ち上げられた。
後孔が外気にさらされ、玲はとっさにエルの名を叫んだ。屹立を玲の蕾にあてがった、エルの動きがそこで止まる。
『レイを離……んにゃぁあああ』
エゾリスキックを試みたシャールが、穢れに弾かれて転がった。シャールは玲と同じ光に守られているせいか、穢れと相いれないようだ。
シャールが無事なのを確かめて、玲はエルの深紅の瞳を見つめた。
深い赤は毒のように禍々しくて、恐ろしい。
とても怖いと思いながらも、玲はエルの行為を受け入れるつもりだった。
玲に注ぎ込むことで、エルの嘆きや苦しみが吐き出せるのなら、体の痛みは構わない。玲の怪我くらいあとで治せる。きっと痛いだろうけど。すごく痛いだろうけど。
穢れに苛まれるエルの痛みは、今じゃないと治せないと思うから。
「エル」
玲はすべてを許すように、清らかな声でその名を呼んだ。
エルは目を見張った後にきつく瞼を閉じて、ふっと小さく微笑んだ。
「エル──ッ?!だめ……!!」
おそらくは腰の後ろに隠してあったのであろう。
素早い動きで美しい短剣を抜き取ったエルは、迷うことなく自分の首を掻き切った。
咄嗟に伸ばした玲の手に、赤く熱い飛沫が降り注ぐ。
「これで、君を傷つけなくて済む…」
「やだ…!ごめ…エル、ごめんなさい…!」
玲から放たれた治癒の光が、その深い傷をすぐにふさいだ。無事に魔法の同時発動ができたのだが、泣きながら謝罪を繰り返す玲に、些細なことを気に留める余裕はない。
玲は心から羞じていた。エルの誇り高さを見誤っていたことを。
最初から「殺してくれ」と言っていた彼が、玲を傷つけるより自分が傷つく方を選ぶと、なぜ気づかなかったのか。
この地をたったひとりで守っていた。
自分の死よりも、他人を守ることを選ぶ。
そんな気高い人を失えない。
エルを抱きしめて泣く玲の魔力が、闇の中に淡く浮かび上がる。
それは玲がいた世界の夜桜のようで、その光景を知らないシャールも、幻想的な美しさに見惚れていた。
「…涙が、花びらのようだな」
ぽつりと落ちた呟きに、玲は顔を上げた。
褐色の長い指が、薄桃色の魔力をまとって零れる滴をやさしくぬぐう。
「こはくいろ……」
エルをじっと見つめ返しながら、玲はくすんと鼻をすすった。
「うん?」と首を傾げ、飴色の瞳がやさしく細められる。
「きれいな色」
そう言って玲が微笑むと、エルは今初めて気づいたように自分の手を見た。
体が自由を取り戻していることを確かめ、最後に掻き切ったはずの首に手を当てる。
そこにもう傷はなく、いつのまにか穢れも拭い去られていた。
押し倒されて動けない玲は、まとわりついてくる黒い靄から、その記憶や気持ちのようなものを感じ取っていた。
褐色の肌に、白い髪を持つ人々。
大きな竪琴を優美に奏で、優しく微笑むのは母。
時折訪れて、大きな手で頭を撫でてくれるのは父。
ひとりだけ髪色が違うことが寂しくて泣くと、母の生まれた辺境では珍しくはない、お前の髪はご先祖様の贈り物なのよ、そう言って、泣き止むまで抱きしめてくれた。幸せな日々。
そこに、母と同郷の行商人が現れる。
褐色の肌に蒼黒の髪。
祖を同じくする親戚と聞き、単純に喜んだ。
行商人の男は優しく、来るたびに他国の話を聞かせてくれた。
自分は男にあこがれ、懐いたが、その時母がどんな顔をしていたのかは覚えていない。
男は頻繁に現れる。
母への思慕を隠そうとしない。
やがて周囲に疑念が生まれ、父に報告が届く。
結果、母は幽閉されたが、どこか安堵した様子だった。
父のもとへ引き取られたが、そこで初めて「不義の子」と噂されているのを知った。
違う、という母の言葉を信じ、母のそばで楽器を弾く時間だけが安らぎとなる。
しかしある日、母は殺された───。
『レイ!レイッ!どうして加護が発動しないんですかバカ馬ぁあああ!!』
シャールの叫び声で、玲は我に返った。
いつの間にかローブはまくり上げられ、下肢の布は無残に破られている。
「───エル?」
玲がそっと呼びかけると、己の屹立を取り出そうてしていた動きが止まった。
拘束されていない方の手を上げて、垣間見た記憶の中で『エル』と呼ばれていた彼の頬に触れる。
すると玲の手を嫌がるように、エルの顔を覆う黒いものがさあっと離れていく。
「どうして…」
一瞬だけ、その目に正気が戻った。
だが狂気の動きは止まらず、玲の太腿に固いものが擦りつけられる。
穢れをまとう冷たい感触に、玲は眉をひそめて耐えた。
エルに押し倒され着衣を剥がれても、穢れそのものは玲に触れられないようだった。
玲の体を薄い膜のように包む光が、穢れとそれが持つ負の感情を弾いている。
ただ、直接体の中に入られたらどうなるか、わからない。
『レイ、浄化は…!』
「あ、えーと、魔法をもう一個…?」
玲は今、龍の寝床を覆う結界を発動している。
オルカルマールの加護で無限の魔力があるのだが、魔法自体に不慣れな玲は、ふたつの魔法を同時に展開したことがない。
うーん、と首を傾げた玲の両足が高く、エルの肩に担ぐように持ち上げられた。
後孔が外気にさらされ、玲はとっさにエルの名を叫んだ。屹立を玲の蕾にあてがった、エルの動きがそこで止まる。
『レイを離……んにゃぁあああ』
エゾリスキックを試みたシャールが、穢れに弾かれて転がった。シャールは玲と同じ光に守られているせいか、穢れと相いれないようだ。
シャールが無事なのを確かめて、玲はエルの深紅の瞳を見つめた。
深い赤は毒のように禍々しくて、恐ろしい。
とても怖いと思いながらも、玲はエルの行為を受け入れるつもりだった。
玲に注ぎ込むことで、エルの嘆きや苦しみが吐き出せるのなら、体の痛みは構わない。玲の怪我くらいあとで治せる。きっと痛いだろうけど。すごく痛いだろうけど。
穢れに苛まれるエルの痛みは、今じゃないと治せないと思うから。
「エル」
玲はすべてを許すように、清らかな声でその名を呼んだ。
エルは目を見張った後にきつく瞼を閉じて、ふっと小さく微笑んだ。
「エル──ッ?!だめ……!!」
おそらくは腰の後ろに隠してあったのであろう。
素早い動きで美しい短剣を抜き取ったエルは、迷うことなく自分の首を掻き切った。
咄嗟に伸ばした玲の手に、赤く熱い飛沫が降り注ぐ。
「これで、君を傷つけなくて済む…」
「やだ…!ごめ…エル、ごめんなさい…!」
玲から放たれた治癒の光が、その深い傷をすぐにふさいだ。無事に魔法の同時発動ができたのだが、泣きながら謝罪を繰り返す玲に、些細なことを気に留める余裕はない。
玲は心から羞じていた。エルの誇り高さを見誤っていたことを。
最初から「殺してくれ」と言っていた彼が、玲を傷つけるより自分が傷つく方を選ぶと、なぜ気づかなかったのか。
この地をたったひとりで守っていた。
自分の死よりも、他人を守ることを選ぶ。
そんな気高い人を失えない。
エルを抱きしめて泣く玲の魔力が、闇の中に淡く浮かび上がる。
それは玲がいた世界の夜桜のようで、その光景を知らないシャールも、幻想的な美しさに見惚れていた。
「…涙が、花びらのようだな」
ぽつりと落ちた呟きに、玲は顔を上げた。
褐色の長い指が、薄桃色の魔力をまとって零れる滴をやさしくぬぐう。
「こはくいろ……」
エルをじっと見つめ返しながら、玲はくすんと鼻をすすった。
「うん?」と首を傾げ、飴色の瞳がやさしく細められる。
「きれいな色」
そう言って玲が微笑むと、エルは今初めて気づいたように自分の手を見た。
体が自由を取り戻していることを確かめ、最後に掻き切ったはずの首に手を当てる。
そこにもう傷はなく、いつのまにか穢れも拭い去られていた。
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