ある悪役令嬢の逆襲

荒谷創

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ただ今、戻りました。

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王国の共同墓地の一角には、特に荒れ果てた犯罪者の墓がある。
墓碑銘には
『王国史上最低の悪女』としか刻まれていない。
来年に戴冠式を控えた次期国王の命で、親族すら花を手向ける事も赦されない。もっとも粗末な石材で、最低限の体裁を整えてあるのは、葬られた者が這い出して来ない様にする為だ。


「…出して頂戴。」
「畏まりました。」
月に照らされ、黒塗りの馬車が走り始める。
実に十六頭立ての馬車だ。
どれ程の財力、権勢を誇る大貴族であるのか、残念ながら馬車には如何なる紋章も掲げられていない。
やがて墓地の門をくぐり、馬車は深い森に消えていった。
「……行ったか…」
「…お、親父…あれって…」
「シーっ!黙ってろ!」
「で、でもよ…」
身を伏せて、馬車を見送った墓守りの親子は、青い顔を見合せると見張り小屋に駆け込んだ。
「オレ達は何も見てねぇ。」
「…お、おう。」
翌日、彼らはある墓の前に山と積まれた金貨と、大きく深い穴を見つけ、恐れおののいた。
「絶対、誰にも喋んなよ。」
「ぜっっったいに、しゃべんねぇ。」




ヒーロニア男爵令嬢セインティアは、王城の、王太子妃に宛がわれる部屋で、豪華なベッドにドレスのまま実にだらしなく横たわっていた。本来、この部屋を使う事が許されるのは挙式の後、正式に王太子妃と成って以降でなければならない。
しかし、三ヶ月前のあの日以来、セインティアはこの部屋の主として振る舞っていた。
「あー、めんどー」
夜毎のパーティーは、最初は面白かったがすぐ飽きた。
料理も、音楽も、話題も、出し物も殆ど代わり映えしないのだから仕方ない。
王太子他の貴公子攻略対象にちやほやされるのはいまだに楽しいが、こうも変わらない毎日ではスキップ機能が欲しくなる。
王太子妃に必要なマナーや、教育も面倒でしかない。
もっとも、彼女のマナーは教育係の侯爵夫人曰く
『五才児でも、もう少しマシ』
教養は
『よくここまで物を知らないで、今まで生きてこられた』
というレベルだ。
今となっては、その名を呼ばわる事すら憚られる存在である、公爵令嬢前婚約者が如何に優雅で、教養があったかという事を思い知らされる有り様である。
うっかりその名を口に出して、セインティアの勘気を被った侍女がどんな目にあったのかを知るが故に、誰も強く言う事が出来ない。
最近ではマナーと教養の勉強そのものを、セインティアは放り出して逃げ回っていた。
無論、王太子にも、宰相にも訴えはしているが、セインティア溺愛…いや、もはや崇拝している二人には、逆に疎まれてしまうのが現状だ。
セインティアの崇拝者は、皆、若く、美しく、才気溢れる逸材ばかり。
強引に父王を追いやり、来年には戴冠式を執り行う予定の王太子スタルトゥス。
かの悪女前婚約者の実兄でありながら、これを断罪した正義の人。公爵にして宰相のデューク。
近衛将軍の嫡男にして、勇猛果敢な騎士ナイティス。
筆頭魔術師の長男、天才と謳われる魔法使いマギウス。
王国大司教の次男で、光の聖霊の祝福を受けたという、ルクス。
王国最大の大商人の息子で、商売の申し子と言われるゴールド。
王国の学園で教鞭を取る、若き賢者ワイズ。
そして、一時は稀代の怪盗として名を馳せた義賊スティール。
綺羅星の如き貴公子達は皆、セインティアをまるで地上に降り立った女神の様に特別視した。
「あ~、聖金オルゴンじゃなくて魔銀ミスリルバージョンの方が良かったのかな~、でもあっちのシナリオ重めだしな~」



始めに、おかしくなってきたのはナイティスだった。
うら若き乙女達が黄色い声を上げる爽やかな笑みが消え、次第に周囲を異常に気に掛ける様になっていった。
鍛練に身が入らず怪我が増え、試合で連戦連敗する様になり、馬に乗れば落馬。ある日、学園の授業中に奇声を上げて走り去った彼は、ついに自室に引きこもった。

そうこうする内に、ルクスに異変が起こる。美少女と間違われる程の美貌を持つルクスが、目の下にくっきりとした隈をつくり、ブツブツと始終何事かを呟く様になった。
常に彼の側に寄り添っていた白い小鳥が、いつの間にか居なくなっている事には、気がつく者は少なかった。

マギウスもまた、学園から姿を消した。
元々、論文作成等で無断欠席を延々と繰り返す傾向がある為、周囲もさほど気にしていなかったが。
しかし、学園に来なくなる直前に彼に会った者は口を揃えて言った。
「信じられない程痩せた」と。

この話を聞いたセインティアは、ゴールド、ワイズ、スティールの三人と王太子を侍らせ
「へー、大変ねー」
と呟いた。




「ぎゃあ!」
およそ美形らしからぬ悲鳴を上げて、義賊スティールこと、クリシス・フォン・ヴォール伯爵はベッドから飛び起き、床を転げ回った。
「痛い痛い痛い!!」
何かが、顔面に、体のあちこちに噛みついている。
腕を振り回し、叫ぶ主の声に慌ててドアを開け飛び込んだ従者は、血を流しがら転げ回る主と、その主に集って噛みついている無数の蟻に驚き、とっさに脱いだ上着で蟻を叩き落としながら、伯爵を部屋からなんとか引きずり出した。
後から駆けつけた使用人と蟻を叩き、メイドに命じて持ってこさせたバケツの水を何度も掛けて、血と蟻を洗い流す。
「医者だ!治療魔法師も呼べ!!」


賢者ワイズは、教授室で愛しい少女に想いを馳せながら、仕事に勤しんでいた。
学園上層部の腐敗に失望し、教育を、学問をただ金の為に使う他の教師共に憤っていただけの、無力な自分を救ってくれた少女。
賢者としての幾多の名誉も称賛も、彼女と出会い、認めて貰えた喜びに比べれば塵芥の様なものだった。
いずれ王太子妃となり、王妃になる事が決まった彼女の事を一度は諦めたが、彼女はワイズこそを『本当に愛してくれた』のだ。秘密の関係になった今は、後ろめたくはあるが、真実の愛に生きる毎日が楽しくてしょうがない。
だが、王太子と宰相以外のライバルが体調を崩している好機だというのに、冬季休校期間前の、定期試験の採点と評価作成にどうしても時間を取られてしまい、もう三日も会いに行けていない。
逸る気持ちを抑えながら、採点作業最後の一束に取りかかる。
「まったく…学問をなんだと思っているのか…」
有力貴族の嫡男の答案を見て、苦々しく顔をしかめる。
そこにはろくに答えも書かれておらず、代わりに父親貴族当主からの良しなに下駄を履かせろという親書脅迫が金貨と共に添えられている。
よくある事だ。彼女と出会う前は反発して、余計な反感を招いた事もあったが、今は適当にあしらっている。何もトップにしてやる必要はないのだ。
彼女が言う通り、金貨は彼女への贈り物を買えば、市場経済に還元出来る。実に合理的だ。
「セインティア…」
愛しい少女の答案だ。設問の解答など無くても良い。代わりに、そこには彼女からの秘密のメッセージがあった。
『本当に愛しているのは貴方』
世界で一番の喜びだろう。明日こそは彼女の元に駆けつけなければ。
特優の評価を書き込み、いよいよ最後の答案を手にする。
「ほう!これは凄い…」
完璧な正答。ワイズが仕掛けてあった設問の引っ掛けを読み解き正答したばかりか、何処からの引用かの注釈までが添えられている。
「これ程の学力がある生徒など、居たのか…いや、待て。」
覚えがある。
この完璧な答案を、何度も目にした記憶があった。それは学園入学以来、常にトップに君臨していた人物のものだ。
そして、ワイズ自身が正しい答えにバツをつけ、トップから引き摺り落とした。
愛しい少女をトップにする為に。
悪女に正当なる罰を与える為に。
「…バカな!」
名前欄には、有り得ない、有ってはいけない名前。そして…



「…た、助けて…」
開かない窓。
開かない玄関。
一縷の望みで使用人用の勝手口に来てみたが、その扉も閉まったきり押そうが引こうがびくともしない。
……そっちに居るな……
…逃がさない…
「ひいぃぃぃ!」
聞こえてきた声に、慌ててその場を離れようとする。だが、ここは勝手口。つまりは行き止まりだ。
「か、隠れられる所は…」

ガチャリ。

……居ないか……
…居るはずよ…

追ってきた男女は、緩慢な足取りで勝手口に向かう。
……ゴリゴリゴリゴリ……
…カリカリカリカリ…
男が引き摺るハンマーと、女が手にする大鉈の先端が、床にすれる。
さほど広くない室内をゴリゴリ、カリカリと音が移動してくる。
緩慢な動きの男女だが、見つかればかなり素早く動き、殺しにかかってくるのは、此処まで逃げる間に思い知った。
ゴリゴリと、カリカリが勝手口前で止まる。
飛び出して、廊下に出られれば全力疾走で撒けるが、隠れて居る場所はむしろ勝手口に近い。

ゴン!

隠れ場所のそばをハンマーが叩き、咄嗟に悲鳴を飲み込む。
見つかった訳じゃないはず…
……居ないか……
…居ないわ…
……ゴリゴリゴリゴリ……
…カリカリカリカリ…
音が遠ざかり、完全に聞こえなくなるまで息をするのも忘れていたゴールドは、身を潜めたまま必死に脱出法を考えていた。
住み慣れた屋敷だ。外に出られる箇所は既に試した。使用人の使う出口は此処しか知らないが、探せば他にもあるかも知れない…
ダメだ。相手は『元使用人』だったのだ。自分よりこの屋敷の構造には詳しい。
愛しいセインティアの訴え通りあの女悪女を陥れ、罪を着せる為に用意した証人だったが、用済みになったので処分した…いつもの通りに。
まさか黄泉返り屍人になるなんて…
どうすれば………
…………………
……………
パチパチ
「ごほっ!」
いつの間にか寝てしまった?
此処は?
「ごほっ!ごほっ!」
煙!?ヤバい!!
「うわぁ!」「きゃあ!」
「なんだ!?どうした!」「竈から人が!」
「火を消せ!水だ!!」
「一体、何者だ!?」「…坊っちゃん!?」
「誰か!誰か医者を!!」



「なんだと?」
「本日、陛下が謁見を許されました。王太子殿下、宰相閣下、ヒーロニア男爵令嬢セインティア様は午後の謁見場での謁見式に参じて頂きます。」
侍従が読み上げる『本日の予定』に、王太子スタルトゥスは不満の声を上げた。
「父上に会う用事など無いぞ。」
「殿下、これは陛下の命で御座います。」
嘆かわしい。
来年に戴冠式譲位の予定とは言え、今はまだ王太子に過ぎない。
本来、国王陛下のお召しに文句など言える筈はないのだ。
長く仕えた侍従であればこそ、いつからこの様な愚鈍に成り下がったのかと残念でならない。
「それに、セインティアの事を男爵令嬢などと呼ぶな。俺の妃だぞ。」
「勿論、婚姻がつつがなく成された暁には、王太子妃殿下とお呼び致します。」
その様に人を睨む様な真似をされるとは…本当にあの令嬢小娘と出会ってしまった事は、悪魔の仕業としか思えない。
些か感情的になりがちな王太子殿下が、理知的なあの方前婚約者を苦手にしていたのは知っていた。しかし、いずれ王と成ればその意味を理解してくれる。あの方の支えが必要不可欠な事を判ってくれると思っていたのに…
「…午後の謁見だな。」
「はい。謁見順は午後の最初となります。」
「当たり前だ。」
本当に、どうしてこんなに愚かになってしまったのか…
今日の謁見が済んだなら、自分はお役御免だ。家督は息子に譲った。心残りは妻を悲しませるだろう事だが、これはけじめという奴だ。
致し方ない。

時間ギリギリになってから玉座の間の控え室に赴き、そこで謁見の場所が玉座の間では無く、謁見場であると指摘され、王太子は爆発寸前という様で、廊下を進む。
ドカドカと足音を立てて、大股で歩く姿は実にみっともない。
何とか定時に控え室にたどり着いた彼は侍従の胸ぐらを掴み上げたが、場所は朝の予定確認時に伝えられている。
指摘されれば、その通り思い出せるので、口だけの謝罪で済ました。
「セインティアと、デュークは?」
「勿論、其々の控え室におられます。間もなくお時間ですので、お会いに行かれませぬ様。」
「…分かっている!」

なんだ、これは…
散々待たされ、やっと名を呼ばわれ、足を踏み入れた謁見場は、異様な雰囲気だった。
ここで王が座する玉座は謁見室の様な造りではなく、謁見場を見下ろす形だが、そこにはすでに王の姿があった。謁見式の作法としては異例だ。通常は参加する全員が入室してから、最後に入室する。
その傍らには、前宰相ユース。デュークの父親だが、二年も前に家督を譲って宰相の座を退き、隠居していた。そしてあの女悪女の父であったが故に立場を無くした筈だが……
玉座の隣に座るのは学園長でもある、ドクトゥス大公。
更に近衛将軍と、その傍らに控えるのはその妻であり、ナイティスの母である女騎士隊長グラディオラ。
ルクスの父であり王国最高位の聖職者、アルビテール大司教。
マギウスの父で、筆頭魔術師であり王国魔術師団長のアルカヌム師。
貴族席では無いが、貴賓席に姿が見えるのはゴールドの父親、豪商サール。
そして伯爵以上の爵位を持つ上位貴族が定められた席に着席して、不遜にも次期王の自分を見下ろしていた。
「…こ、」
「控えよ。スタルトゥス。」
なんの茶番かと、声を荒らげようとした時、玉座から声を掛けられる。
決して大きくは無い。
怒気を孕んでも、威圧的でも無いその声に、しかし、今まで感じた事の無い程の威厳を感じる。
気がつけば、跪いて頭を垂れていた。
『まず、王として諸君に謝らねばならぬ事がある。』
垂れた頭を上げる事が出来ない。
傲岸不遜を絵にかいた様だとさえ揶揄されている王太子は、今、この場では震えながら裁きを待つ罪人の如く、ただ王の言葉を聞くしかなかった。
『余の過ちにより、この国を危ぶませる事になった。また、その為に流れなくて良い血が流れ、失われた命が出てしまった。すべて、余の不明、不徳の成したる事である。すまなかった。』
驚き、どよめく気配は広い謁見場全体を揺らす程だ。
王の謝罪。それは其ほどに重い。
スタルトゥスには、判らなかった。
何故、王が謝罪したのか。
何故、自分が跪いているのか。
何故、謁見が行われたのか。
何故、何故、何故…

スタルトゥスが葛藤する間も、謁見式に名を借りた何事かはその垂れた頭上で、粛々と進んでいく。
『陛下、本日この場にてご報告申し上げます。』
年老いた大公の声は、しかし、謁見場の隅々まではっきりと聞こえる。
『我が学園にて教鞭を取り、賢者の一人とされていたワイズを、罷免いたしました。』
それは史上最年少で賢者となり、公明正大にして清廉潔白。いっそ潔癖過ぎるとさえ言われる人物。日頃から不正や腐敗を声高に追及し、学園でもっとも人気のある教師でもある。
そして、スタルトゥスにとっては同じ少女に惹かれ、共に悪女に正義の鉄槌を下した同士でもあった。
『…これをご覧下さい。』
僅かに場内がざわめく。
魔法により何かが映し出されたのは間違い無いだろうが、頭を垂れたままのスタルトゥスにはそれを見る手段は無かった。
『かの者は、教師でありながら一人の女生徒と通じ、その者の為に成績を操作し、その女生徒に言われるまま、ありもしない事件いじめをでっち上げました。』
…な…
教え子と、関係を?
成績を操作?
いじめを、捏造?
そんな馬鹿な!
何時だって堅物で!不正と腐敗を嫌っていた!
セインティアだって、最初はあんなに勉強が出来なかった…のに…
…当然、成績が上位に…
あの女悪女を、抜いて?
トップに…

『私からもご報告が御座います。』
前宰相ユースの落ち着いた声が響くと、謁見場が速やかに鎮まった。
退いたとは言え、未だに王国の重鎮。
その影響力は、まさに絶大である。
『愚息デュークを廃嫡し、デュカキス家の家督を次男クレスクントに継がせる事と致します。』
『許す。』
謁見場は静まり返っていた。
既に公爵家の家督は、現宰相デュークに譲られていた。
如何に政治的発言力が絶大であろうとも、前当主が現当主を廃嫡し次男に家を継がせるなど、出来る筈がない。
しかし王が許した以上、それは成立する。
しかし、何故?
『恥ずかしながら、愚息もまた一人の女と通じ、国への忠誠を忘れ果てました。酒色に溺れ、国に虚偽の報告をするなど、決して許される事では御座いません。』
『陛下。私共からも、ご報告致したい事が御座います。』
近衛将軍レギオの声だ。
『長男ナイティスを廃嫡し、家督を娘ミーティアの婚約者、カリブルヌス伯爵家三男コンキリオの婿入りを持って譲りたく。』
『我が息子は、愚かにして騎士の矜持を、人の心を喪いました。誠に申し訳御座いません。』
ナイティスが!?
違う!
あいつは理想の騎士たらんと、何時如何なる時も己を高める努力をしていた!
『ナイティスは一人の女に篭絡され、その女の勘気に触れた侍女を、仲間と共に殺害。証拠隠滅を行いました。』
…あり得ない…
『実際に証拠隠滅を実行したのは、マギウス。』
『そして、その侍女が這い出てこ屍人化しない様にしたのは、ルクスでした…』
アルカヌム師が、アルビテール大司教がグラディオラに続ける。
そんな…
だが…

あの女悪女の事を褒める侍女がいるの。」

「侍女?辞めちゃったみたいなの。でもあの女悪女を褒める様な人だもの。居なくなって良かった♪」

あの後から、ナイティスの様子がおかしくなった…
ルクスが眠れないと、マギウスが物を食べられないと言い始めた…
いや、違う。絶対違う。そんな筈が無い。
あの女前婚約者は、セインティアを階段から突き落とし、持ち物に毒虫を仕込み、挙げ句には暗殺者を差し向けたじゃないか。
それでも、優しいセインティアは耐えていたんだ。
彼女の気持ちもわかるって…

『三人共、同じ女と関係を持っていました。そして全員が、自分だけ、と思っていました。』
『畏れながら、発言をお許し頂けますでしょうか?』
この声はゴールドの父、サール殿か?
『発言を許す。』
応えるのは、前宰相。だが、王の許しがあったのだろう。
『私の息子、ゴールドもその女性と関係を持ちました。そして、その女性に請われるまま使用人に命じ、その女性が被害者であるかの様な事件を起こさせ、その罪を別の令嬢に着せる様、工作を行わせました。そして、用が済んだ使用人を証拠ごと処分していたのです。』
『…処分とは?』
『毒を盛ったと。事実であると確認致しました。』
あのゴールドが…
明るく笑う少年としか思えなかった。
金に汚いのかと思っていたら、あまりにもさっぱりした性格なのに驚いた。
年下だが、耳が敏くて…
あの女前婚約者の悪事の証拠も、証人も、いつもゴールドが探しだしてきた…
そうだ。
いつも、ゴールドが見つけて来た…

「ゴールドが、現場を見ていた夫婦を見つけてくれたの♪」

「彼女が刺客を雇ったってゴールドが。わたし、恐い…」

そんな…
そんな筈が…

そうだ。
あのナイフは!

『先達って我が家の一室から、ヒーロニア男爵令嬢を襲った刺客の物と思われる短剣が発見されました。』
前宰相ユースの声が、やけにはっきり聞こえる。
『クリシス・フォン・ヴォール伯爵より、その件に関する書状が届いております。』
謁見場の空気は、ますます冷たいものに変わる。
恐らく、書状が映し出されたのだろう。
そして内容は…

『スタルトゥス。』
「…はっ。」
『判るな?』
「…はい。」

全て、まやかし物だった。
滑稽などと、生易しいものではない。
最低、最悪の愚者だ。

『良かろう。沙汰を申し渡す。』
空気が引き締まる。
『デュカキス家デュークは永世蟄居申し付ける。子を成す事、まかりならん。』
『畏まりました。一族全ての戒めと致します。』
前宰相が一礼した気配が伝わった。
『ドゥクス家ナイティスは家預りとする。鍛え直せ。可能か。』
『如何なる手段を持ってしても、ご下命果たしてみせましょう。』
『万一果たせぬ時は、役立たずの二親と愚物の命を持って、購う所存。』
鋼の如き忠誠心を持った夫婦は、一欠片の迷いも無く宣誓してみせる。

『アルビテール大司教。ルクスは今、どうしておる?』
『光の聖霊の加護を喪い、著しく精神のバランスを欠きました。生涯、修道院の奥で過ごす事になるでしょう。』
教会に属する以上、王と言えども勝手な裁定は下せない。
しかし、王国最高位聖職者は、父としての情には流され無かった。

『アルカヌム。マギウスの容態は?』
『長くは無いでしょう。食べ物を受け付けません。』
『そうか。では回復出来たなら、追って沙汰する。』
『はっ!勿体無い事に御座います。』
きっと、回復しないのだろう。
もし回復したなら、その時はアルカヌム師自らがマギウスを灰にするかも知れない。

『ヴォール伯領は召し上げる。ユース、速やかに適した者を選出せよ。』
『畏まりました。』
『クリシスは国外追放とする。二度と我が国の土を踏ませるな。』

『元賢者ワイズは10年の懲役とする。即刻、捕らえよ。』

『ゴールドは商人免許を永遠に停止する。その上で余罪を明らかにせよ。法の元で厳正な裁きを下せ。』

『ユース、宰相として働け。王として命ずる。』

『レギオ、グラディオラ、アルカヌム。己の責務を果たせ。』

『アルビテール大司教、我が国の信仰の要として、これからも宜しく頼む。』

粛々と、王の采配が振るわれる。
覇気の無い、ぼんやりした王だと思っていた。
いつでも、宰相や他の者の言う通りに動いているだけの、愚鈍だと。
王妃母上や、側妃叔母上に頭が上がらない、子煩悩なだけの父だと。
間違っていたのは、何も見えて居なかったのは、自分だった。
式が始まってから今まで、一度も声を上げて驚く事も、荒らげて怒る事もない。
だが、ただただに圧倒される。
そして不思議な事に、心が落ち着いている。

俺は、なんと愚かだったのか…

『クーラ・ド・ヒーロニア男爵の爵位及び領地は召し上げる。ただし、嫡男アロが国に貢献した場合、再び与えるものとする。励め、と伝えよ。』

ああ、彼女セインティアの家族だ。
確か弟は十歳だと聞いた。
彼女セインティアの訴えた前婚約者公爵令嬢の犯罪が、全て虚言だった今、その娘を育てた男爵家実家の責任は重大だ。
むしろ、この裁定は温情あるものだと言える。
だが、きっと…
きっと、彼女は…
………

『ヒーロニア男爵令嬢セインティアは死罪とする。』

思わず唇を噛んでしまう。口に血の味がして、握った掌は、食い込んだ爪で裂けた。

「…ふざけないでよ!」
「あたしは、悪くないわ!みんなが、勝手にやった事よ!!」
やめろ…
「全部、あの女が仕組んだ茶番よ!あたしがヒロインなんだから!」
やめるんだ…
「スタルトゥス殿下!助けて!みんなが、あたしを虐めてるのよ?!いつもみたいに助けてよ!!」
やめてくれ…
「あたしを愛してるんでしょう!?なんでもして上げるから、ねえ!」

「陛下に…お願いが御座います。」
『申してみよ。』

「セインティアに…彼女に、どうか、沈黙をお与え下さい。」
「殿下!?なに、それ!意味分かんない!!」
『認めよう。』
「ありがとうございます…」

「ちょっと、何!?ふざけんじゃねぇよ! さわんな! てめぇ、何が王太子だよ! このヘタレ野郎! ふにゃチ…!」

速やかに、遠ざかる喧騒罵倒
あれが、地か。
そうか…
デューク、ナイティス、ルクス、マギウス、ワイズ、ゴールド、スティール…
俺達は、なんと愚かなんだろうな…

『最後に、スタルトゥス。お前に沙汰を申し渡す。良いな?』
「はっ!」
全て、己の行いだ。
『…来年の譲位は無い。余が戴冠式を認められる程に成って見せよ。』
「!」
『ケルタ。スタルトゥスの手綱を握れ。余の許し無く果てる事はまかりならん。』
侍従の爺?
果てる?
まさか、俺の不始末に責任を感じて自害する気だった?
「…勿体無きお言葉…」
小さく震える声が、後ろから聞こえてきた…
本当に、陛下は素晴らしい方だ。
その血を引きながら、この身のなんと愚かで、卑小な事だろう。

『以上だ。』



「殿下、陛下がお呼びで御座います。」
「…分かった。すぐに伺う…爺。本当に済まなかった。愚かな俺を、此れからも宜しく頼みたい。」
憑き物が落ちた様な、そんな気分だ。
「…勿体無いお言葉でございます。殿下…」
ありがたい。心底そう思いながら廊下を進む。
しかし、ただ一つ。胸に痛みが生じていた。
つい先ほどまでは、感じなかったその痛みは、大きく、大きくなっていく。
セインティアの事ではない。
既に彼女に対する思慕の念など、自分でも不思議な位に消え去っていた。
代わりに芽生えたのは、前婚約者公爵令嬢に対する罪悪感だ。

「私が、そんな事をする意味がありません。」

「セインティア様?ヒーロニア男爵家のご令嬢ですね。その方が如何されましたの?」

「何一つ、覚えがありません。」

全て、言い訳だと思っていた。
傲慢にも、王太子である自分の詰問にすら、まともに答えない気だと。
セインティアを、いつでも見下すかの様な言動に怒りを覚えていたが、冷静になって見れば見下すどころか、本当に知らなかったのだと気付く。
どちらかと言えば小柄で可愛らしい顔ベビーフェイスで明るい印象のセインティアに対し、前婚約者公爵令嬢は冷たく、暗い感じがして辛気臭いと敬遠していたが…
「…なぜ、そんな風に思った?」
お互いに、生まれる前から婚約者だった。
顔合わせは、記憶にある限りで三歳位。
銀の髪の、綺麗な子と思った。
そこから一年に一度か、二度…
「…彼女だって、明るかった。」
十歳位からは、会うと胸が高鳴ったのに…
「…痛っ!」

ぐにゃり

一瞬、ズキリと頭が痛み、視界が歪んだ気がした。
思わずふらついた所を、爺が支えてくれる。
「殿下!大丈夫ですか!?」
血相変えて声を上げる爺…
大丈夫…
少し…めまい…が…

「…では、殿下は…ぶなので…ね?」
「はい。しばらく……てお……………」
…聞いた事のある声だ…
一人は、アルビテール大司教様だろう…
だが…
「良かった…」
この、声は…
ああ、知っている…
この…声は…………


ベッドで横たわる王太子の目から、涙が溢れた。
傍らの人物はその涙をそっと拭うと、まるで幼子をあやすかの様に王太子の頭を撫でる。
「…生きて、いて、くれたのか…」
「…はい。ただ今、戻りました。」
どうやって命永らえたのか。
その問いに、公爵令嬢は答える。
「父が、全てを整えてくれました…」
いち早く息子デュークの異変に気付き、その周辺を探らせ、ヒーロニア男爵令嬢の存在を掴んだのだという。
それは不思議な少女だった。
大した美貌では無い。
男爵令嬢という身分も、家格も貴族としては下級。
天真爛漫と言えば聞こえは良いが、礼儀作法は滅茶苦茶。
算術だけは突出しているが、あとの教養は無いに等しい。
貴族でなければ、学園に通う事すら出来ないレベルの令嬢であるにも関わらず、周囲の男性からの受けは妙に良い。
そして周囲の女性からの評価は最悪だった。
「魅了の魔法を疑ったそうです。」
「だが、魅了魔法避けの護符なら…」
「はい。私達貴族ならば、常に身につけているものです…」
だが、調査に差し向けた者達にさえ、彼女に惑わされかけている者が出始めた。
公爵はアルカヌム師に相談し、密かに探り真実に辿り着いた。
「彼女は、生まれながらに三種の魅了体質なのだそうです。」
「三種?」
「魅了の魔眼、魅了の魔声、魅了の吐息と言うそうです。彼女自身が知っていたかどうかは判りませんが、彼女と直接接触のあった男性のみに強く作用して、反対に女性は彼女に反感を覚える力なのだと。」
「…そうだったのか…」
悪意があったかどうかは、判らない。
「父がそれを突き止めた時、既に止められる段階では無かったのです。」
無実の罪を着せられ、処刑寸前の娘を助ける為、前宰相は娘が呷る毒杯の中身をすり替える事に成功した。
「まるで死んだ様になる薬だったそうです。埋葬された後助け出されましたが毒性も強く、抜けるまで数ヶ月掛かりました…」
「…そんなにか。」
魅了されたデュークに気取られぬ様に、密かに領地で静養していた。
その間に、王都では魅了された者達へ様々な事が起きていた。
それは、精神を強く揺さぶって正気に戻す事だったり、娘を殺されかけた報復であったりしたそうだ。
「詳しくは、教えて貰えませんでした…」
「それはそうだろう。後で俺が聞く。それを知らねばならんのは、俺だからな。」
「殿下…」
王太子は少し震える腕を伸ばし、令嬢の手を握る。
彼女の髪は記憶にあるより、かなり短い。
「…髪を切ったのか…」
「毒のせいです…その、恥ずかしいので、あまり見ないで下さい…」
「…すまん。今更、言えた話では無いのは百も承知だが…帰ってきてくれて、ありがとう。出来るならば、また俺と婚約して欲しい。」
「…殿下。私は、いつまでも貴方様のお側に。」
「ありがとう。今度こそ、お前を幸せにしてみせる。」
「はい。」

かくして稀代の悪女、最低最悪冷徹非情の悪役令嬢と呼ばれ、一度は処刑された筈の公爵令嬢は王太子妃と成った。
数年の後には子宝にも恵まれ、立派な王と成った夫と共に、王国を治めていく事となる…



『王太子スタルトゥス』
五年の後に、王位を継ぐ。側室を持たず、王妃との間に二男三女を設ける。
後年、その愛妻家っぷりから庶民の、特に女性から支持を集めた。

『デューク・デュカキス』
終生デュカキス家所領の館にて過ごす。
享年98歳。

『ナイティス・ドゥクス』
長らく殺害した侍女の亡霊に悩まされるも、両親の徹底的な教育の中で立ち直る。
王になったスタルトゥスに忠誠を誓い、国境付近の砦で国土防衛の任に生涯を捧げた。

『ルクス』
セインティアの魅了に抵抗をする為に光の精霊が消滅し、聖霊の加護を喪う。
反動で強く魅了が掛かった為、著しく精神を病む。
スタルトゥスの王位継承を待たず、修道院にて自害。

『マギウス』
侍女殺害事件の遺体処理を担当。
遺体の処理に肉を食い尽くすカニバリズムワーム肉食魔蟲を使用する。
事件後、食べ物にワームが混ざっているという強迫観念に苛まれ、食べ物を受け付けなくなる。
謁見式より四日後、栄養失調による衰弱死。

『元賢者ワイズ』
逮捕され、懲役刑に服する。
スタルトゥス即位の恩赦を受けて赦免された後は、行方不明。
後年辺境にて、よく似た人物が医療に従事しているのが目撃されている。

『クリシス・フォン・ヴォール』
国外追放となり、即日遺体で発見される。
その死に様は凄まじく、両腕がもがれていた事から、盗賊としての仁義を弁えなかった故の制裁にあったと噂された。

『ゴールド』
余罪として更に数件の殺人に関与していた事と、商売上の不正行為が発覚。
裁判の結果、30年の禁固刑となる。
ある日、牢内で不審死しているのが発見された。
鉈で腹を抉られ、頭をハンマーで潰されていたと報告されている。犯人不明。

『アロ・ヒーロニア』
優秀な成績を修めて庶民枠から学園に入学。学園で冷害に強い麦の開発に尽力した為、ヒーロニア家再興を果たす。

『セインティア』
調査、尋問の結果、三種の魅了に加え魅了の魔石で作られたアクセサリーを多数所持。更に魅了の魔法を驚くほどのレベルで習得しており、日常的に使用していた事が発覚。
魔封じ紋を厳重に焼き付けても、魅了が漏れだす程だったという。
結局、自分の異能を自覚した上で、王国を意のままにしようと考えていた事が判明。
王国史上、最低の悪女として処刑される。遺骸は灰になるまで焼かれた後、大司教の祈りを持って封印され、王国共同墓地に埋葬された。
スタルトゥスの命により、誰一人花を手向ける事も禁じられたが、もとより家族すら悼もうとしなかったと、王国史に刻まれている。



余談だが、この一件について王国宰相ユースが残したとされる謎の言葉がある。

「わが娘ながら、恐ろしい。もしデモーリアが男であったなら、どれ程の事になったか、想像も出来ない。」











































































































































   
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