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――ドンドンドン!
けたたましいその音は、一家の安らかな眠りを引き裂いて家じゅうに響きました。
一番最初に、跳ね起きたのは父だったはずです。
その、寝巻の上からでも十分に見てとれる筋骨隆々とした体格は彼を武道の達人であると認識させましょう。
父は素早く土間に降り立ち、ジブンもそのあとに続きました。
「誰ぞッ?
こんな夜更けにこのような山奥に来るとはいかなことか?」
父の呼びかけに、答えは返ってきませんでした。
母が眠そうな目の妹をそばに引き寄せ、幾ばくかの緊張が走ります。
灯りを手探りで探しだし、母とジブンに目配せをした父はゆっくりと戸をあけました。
光源をいくら動かしてみても、人どころか夜空には星すら出ておりませんでした。
しかし、ジブンたちに来訪者の存在を教えたのは目ではなく鼻でした。
むっと鼻を衝く生臭さが戸の外から流れ込んできたのです。
――?
父が灯りを向けた方向、戸の横に倒れていたのは、ボロ雑巾のような男でした。
いえ、ここで言うボロ雑巾とは汚いという意味ではありませんよ。
汚かったのは確かですが……
「オイッ! どうしたっ?」
灯りをジブンに渡し、男に手を伸ばすと、ビシャリという濡れ布巾を触るような音がしました。
父は男の肩を揺り動かし、生死を確認しました。
どうにか息はしていましたが、その口から洩れる空気は言葉としての形を成すには至りませんでした。
ジブンもそれまで、指を切ったり、転んでひざや手を擦り剥いたことはあったので、その液体の味も匂いもは知っていましたが、頭から桶で被ったように大量のむせ返る鮮血の匂いを嗅いだのは初めてでした。
妹に至っては、その鮮血の生臭い香りが家の中に入ってこないように、母の裾の後ろから顔を出して手でパタパタと扇いでいました。
男の口元に耳を寄せ、途絶え途絶えの言葉を聞き繋げた父は、その太い腕で抱き上げ家の中に運び込みました。それまで自分たちが寝ていた囲炉裏の傍にゆっくりと下ろすと、母と一緒に看護を始めました。
体中にべったりとついた血をふき、体を清め、軟膏を塗りこみサラシを捲いて食事と水を与えました。
この人道的な介抱は三日三晩続き、その間ジブンは妹と共に父と母と男を見守り続けていたのでした。
四日目の夜、やっとのことで男は意識を取り戻しました。
「こ、ここ……は……?」
「ここは山の中の神社。わしらは神に使える一家だ」
眼の下に黒々と隈を作った父と母はそれまでの苦労が報われたと喜びを隠しきれませんでした。
「しかし、あんなに虫の息だったのに、よく息を吹き返したものだ。
さぁ、いきなりは無理かも知れんが食事にしよう。イオリ、ミネ、母さん、飯にしよう」
ガラガラと笑う父の声は、人一人の命を救えたのなら、こんな疲れなどどうということもないと物語っていたように思います。
母はそそくさと食事の支度にとりかかりました。
ジブンは母の手伝いをしていましたが、妹は父の後ろに隠れ、もじもじと声を掛けました。
「オジチャン、だいじょうぶ?」
男は唇にまで傷があるらしく、最初は口元をもごもごと動かしているだけでしたが、次第に声を形作っていきました。
「あぁ、ダイジョブだよ。
お嬢ちゃん、お名前は?」
妹は父の肩越しに答えます。
「アタイはミネだよ。オジチャンはどこから来たの?
なんでだるまさんみたいに真っ赤だったの?」
「オジョウチャン、僕はまだ、『オジチャン』なんて歳じゃないよ。
……アレ?
いくつだっけ……
ン?
どこから……
そもそも、僕は誰なんだ?」
ここで一時の間が空き、その間に入ってくるのは春先の冷えた空気を少しでも温めるために火をおこされた囲炉裏の薪が爆ぜる音だけでした。
ミネは言葉の意味をその幼さゆえに理解することができず、考え込んでしまいました。
「なんだなんだ、名無しで家なしの怪我人か。
まぁ、そのうちヒョッコリと思い出すだろ。
今は飯を食って怪我を直すんだな」
ガラガラと笑う父に、ミネも白い歯を覗かせていました。まぁ、意味は分からなかったんでしょうけどね。
母は台所で用意していた鍋を運び、囲炉裏に設置された五徳にかけました。
けたたましいその音は、一家の安らかな眠りを引き裂いて家じゅうに響きました。
一番最初に、跳ね起きたのは父だったはずです。
その、寝巻の上からでも十分に見てとれる筋骨隆々とした体格は彼を武道の達人であると認識させましょう。
父は素早く土間に降り立ち、ジブンもそのあとに続きました。
「誰ぞッ?
こんな夜更けにこのような山奥に来るとはいかなことか?」
父の呼びかけに、答えは返ってきませんでした。
母が眠そうな目の妹をそばに引き寄せ、幾ばくかの緊張が走ります。
灯りを手探りで探しだし、母とジブンに目配せをした父はゆっくりと戸をあけました。
光源をいくら動かしてみても、人どころか夜空には星すら出ておりませんでした。
しかし、ジブンたちに来訪者の存在を教えたのは目ではなく鼻でした。
むっと鼻を衝く生臭さが戸の外から流れ込んできたのです。
――?
父が灯りを向けた方向、戸の横に倒れていたのは、ボロ雑巾のような男でした。
いえ、ここで言うボロ雑巾とは汚いという意味ではありませんよ。
汚かったのは確かですが……
「オイッ! どうしたっ?」
灯りをジブンに渡し、男に手を伸ばすと、ビシャリという濡れ布巾を触るような音がしました。
父は男の肩を揺り動かし、生死を確認しました。
どうにか息はしていましたが、その口から洩れる空気は言葉としての形を成すには至りませんでした。
ジブンもそれまで、指を切ったり、転んでひざや手を擦り剥いたことはあったので、その液体の味も匂いもは知っていましたが、頭から桶で被ったように大量のむせ返る鮮血の匂いを嗅いだのは初めてでした。
妹に至っては、その鮮血の生臭い香りが家の中に入ってこないように、母の裾の後ろから顔を出して手でパタパタと扇いでいました。
男の口元に耳を寄せ、途絶え途絶えの言葉を聞き繋げた父は、その太い腕で抱き上げ家の中に運び込みました。それまで自分たちが寝ていた囲炉裏の傍にゆっくりと下ろすと、母と一緒に看護を始めました。
体中にべったりとついた血をふき、体を清め、軟膏を塗りこみサラシを捲いて食事と水を与えました。
この人道的な介抱は三日三晩続き、その間ジブンは妹と共に父と母と男を見守り続けていたのでした。
四日目の夜、やっとのことで男は意識を取り戻しました。
「こ、ここ……は……?」
「ここは山の中の神社。わしらは神に使える一家だ」
眼の下に黒々と隈を作った父と母はそれまでの苦労が報われたと喜びを隠しきれませんでした。
「しかし、あんなに虫の息だったのに、よく息を吹き返したものだ。
さぁ、いきなりは無理かも知れんが食事にしよう。イオリ、ミネ、母さん、飯にしよう」
ガラガラと笑う父の声は、人一人の命を救えたのなら、こんな疲れなどどうということもないと物語っていたように思います。
母はそそくさと食事の支度にとりかかりました。
ジブンは母の手伝いをしていましたが、妹は父の後ろに隠れ、もじもじと声を掛けました。
「オジチャン、だいじょうぶ?」
男は唇にまで傷があるらしく、最初は口元をもごもごと動かしているだけでしたが、次第に声を形作っていきました。
「あぁ、ダイジョブだよ。
お嬢ちゃん、お名前は?」
妹は父の肩越しに答えます。
「アタイはミネだよ。オジチャンはどこから来たの?
なんでだるまさんみたいに真っ赤だったの?」
「オジョウチャン、僕はまだ、『オジチャン』なんて歳じゃないよ。
……アレ?
いくつだっけ……
ン?
どこから……
そもそも、僕は誰なんだ?」
ここで一時の間が空き、その間に入ってくるのは春先の冷えた空気を少しでも温めるために火をおこされた囲炉裏の薪が爆ぜる音だけでした。
ミネは言葉の意味をその幼さゆえに理解することができず、考え込んでしまいました。
「なんだなんだ、名無しで家なしの怪我人か。
まぁ、そのうちヒョッコリと思い出すだろ。
今は飯を食って怪我を直すんだな」
ガラガラと笑う父に、ミネも白い歯を覗かせていました。まぁ、意味は分からなかったんでしょうけどね。
母は台所で用意していた鍋を運び、囲炉裏に設置された五徳にかけました。
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