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夢と目合う ※
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しおりを挟む床の上、あぐらをかいた俺の上に跨って座るユンファさんは――いわゆる「対面座位」の体勢である――俺の両肩をそっと掴んで支えにしながら、その妖艶な微笑でやや俺のことを見下ろし、
「……カナイさん。もしよろしければ是非…僕のこと、此処で襲ってくださいませんか…?」
などと……とんでもないことを仰られた。
……それこそ俺が思っていたよりもかなり早い段階で、あまりにもエロ…いや、ユンファさんからの「お誘い」という官能的なシチュエーションに至っているが、もちろん俺は初恋の人であるユンファさんにこう誘われて、嫌な気はしないどころか歓喜にも近しい興奮から、今はなかば混乱をしている。
「……、…、…はい…?」
しかし、俺は今その歓喜と興奮のさなかで、何か手放しにはこの夢のような状況を喜べない、ストッパーともなる違和感をもまた覚えている。…というのもユンファさんは今、あくまでも「仕事として」俺を誘惑しているのだ。
いや、個人的な感情でいえばそれが切なくないこともないが、今俺を誘惑している彼の、その「(セックスをすることが仕事の、風俗店のキャストの)仕事として」という動機自体には何ら間違いはなく、また何ら問題も無い。――もちろん俺のほうもまた、その辺りはきちんと割り切って此処へ来ているつもりである。
「…さっき…カナイさんは僕のお尻の感触や、胸を見て…勃起、してくださったんですよね…? 嬉しいな…」
ただ…欲情しているふりをした、ユンファさんのその切れ長の目に見下げられている俺は、
「……? いやまあそれは……ただあの俺、まだ……」
勃起はそうだ、全く事実である(今も尚)。
ただ、曰くこういった風俗店にはプレイ前に、うがいや入浴によって性病予防の殺菌を実施する、というルールがあると聞いている。…しかし、俺たちは未だうがいもしていなければ、もちろんシャワーもまだ浴びてはいないのだが……何ならユンファさんのほうはまだ、この部屋に一歩も踏み入っていない状況である(彼はまだ革靴も履いたままである。まあ革靴を履いたままの彼とするセックスとはなかなか魅惑的だと、俺もそうは思うのだけれど……)。
とはいえ奇しくも、俺個人においては先ほどシャワーを浴びたには浴びた(先ほどタバコの臭いを気にして浴びた)し、うがいや歯磨き・舌磨きといった行為もまた、ユンファさんが此処に来る直前まで滑稽なほど繰り返してはいたがね……だからといってももちろん俺のそれら行為においては、恐らく彼が此処へ持ち寄っているであろう殺菌効果の高いうがい薬や、またそうしたボディーソープを使ってのことではない(業務用であろうそれらを俺が持っているはずもない)。
要するに、いくら俺がここまでに自ずから(必要以上の)口腔ケアをしていようが、(今日は計二度も)シャワーを浴びていようが何も関係はなく、お互いの体のために厳守すべきルールとして定められた、専門的なうがい薬やボディーソープを用いての性病予防行為は、どの観点から見たところでも必要なはずなのである。
ましてやユンファさんはそもそも、まさか俺がもう既にシャワーを浴び、ついさっきまで口腔ケアに取り憑かれていたとは知りもしないはずであろう。
……しかし、なぜかその「風俗店のルール」を破ろうとしているのが、――客の俺が我儘をいって破ろうとしているのならばまだしも、――まさかの「仕事として」俺を誘惑している、そういった「ルール」とてよほど俺よりも熟知しているはずの、その店のキャストのユンファさんなのである。
「……ふふ…」
妖艶に目を細めて笑ったユンファさんは、俺のうなじにぎゅうっと抱き着いてきた。そして彼は俺の耳元でこう、吐息っぽい切ない声で囁いてくる。
「…僕、カナイさんのおちんちんが大きくなっているのを見てしまったから、もう我慢できないんです…――おちんちんの膨らみを見たら凄くムラムラしてきちゃって…もう僕のおまんこ、じんわり濡れちゃっています……」
「……っ」
なんてことを言うの……俺は思わずぞくぞくと体を震わせた。俺の耳の近くで切なく響いたユンファさんの吐息とその声が、瞬時に脳をもどかしく愛撫されているかと思うほどの、強い性的興奮に繋がったためである。
――するとユンファさんは「ふふふ…」と、俺のその反応を可愛がるような含み笑いで俺の耳を擽ると――ひんやりとした優しい指先で俺の耳殻(耳の外側のライン)をじっくりとなぞるように、俺の横の髪を耳の裏にそっとかけつつ、……俺の耳元で、
「…どうか僕のことを抱いてください…。僕の体…もう貴方の好きにして…、僕をめちゃくちゃに愛して……?」
と懇願に近しいような、切ない声で言うのである。
「…え…っあ、いやだから、…」
俺、まだうがい…シャワー…――と言うだけの強い意志がもう既になくなりつつある俺は、はぁ…はぁ…と俺の耳元で静かに息を乱しはじめたユンファさんに、甘えた「おねだり」のよう、またうなじにぎゅうっと抱き着かれながら、
「…お願いします…もう我慢できないんです…。此処で今すぐ僕たち、ちょっとだけいけないえっち…しちゃいましょう…?」
「……、…、…」
そのような嗜好ブチ刺さりセリフを囁かれた俺は、目の前がチカチカするほどの激しい興奮を覚えている。
――――ちょっとだけいけないえっち――――
……ですって…?
いや、そのあたかも興奮したふうの呼吸にしろセリフにしろ、およそ彼の演技には違いないのだが、やはり堪らないものはどうしても堪らない、色っぽいものはどうしても色っぽいのである――例えばAV俳優が俳優である以上演技をしているとはわかっていて、それでもそのAV(及びAV俳優)でヌケるのと同じような理屈であろうか――。
俺がゴクリと喉を鳴らすと、ユンファさんは「これはもうひと押しでイケるな」と判断したらしく、俺の首筋にそのやわく湿った唇を触れさせてきた。
「…大好き…早く貴方が欲しい…、僕、貴方が欲しいです…。もう駄目…――貴方が欲しくて欲しくて、貴方のおちんちんのことしか考えられない……」
「……ぅ、…」
俺の首筋に唇を触れさせたまま話すユンファさんの、そのやわく濡れた唇に首筋を擽られ、その吐息の湿り気にぞくぞくとしている俺は、――更に俺の股間をやさしく撫で回してくる彼の手に、いよいよ腰をビクつかせた。
「……ぁ…カナイさんのおちんちん、凄く硬い……おちんちん、大きいですね…? ふふ、凄くご立派です…♡」
「……ゃ、……」
もはや詰まっている俺の喉は、「一旦やめて、ちょっと待ってくれ(俺はまだシャワーもうがいも何もしていない)」と言うことを拒否している。俺は肉体から、魂から、ユンファさんとこのまま「ちょっとだけいけないえっち」をすることを望んでいるのであろう。――というか育ちの良いお坊ちゃん、いや優美な「王子様」のお上品なこのお口から「貴方のおちんちん、凄くご立派です♡」はさすがにエロすぎる。…貴方にそんな可愛いことを言われたら今にももっとご立派になっちゃう…。
「…もう駄目…僕の子宮がキュンキュンしちゃってる…♡ いっぱい濡れてきちゃいました…――へへ…カナイさんのおちんちん触っていたら、もう僕、おまんこがとろとろの、キュンキュンです…♡ …早くこのおっきなおちんちんで気持ちよくなりたいな…、早くナカに欲しいです……僕の奥の奥までおちんちんを挿れて…この立派なおちんちんでいっぱいいっぱい、僕の子宮を突いてください…♡」
「……ぅぅ、…~~ッ」
そのセリフの内容、首筋を擽るその柔らかい唇、湿った熱い吐息、そして何よりも、ユンファさんの手が俺の勃起を布越しにさわさわと撫で回してくることに、――いや…大好きな人に勃起を触られて、理性を手放さない男などこの世にいるはずもない。
……もうここは潔く諦めようか……世間のルールというものは、縛られるべきものと縛られるべきではないものがある。人はいつしも柔軟であるべきなのだよ、どれほど変えたくはなかろうが、自分のtheoryを変えねばならないときはいずれ来るもの…――というか…別にうがいもシャワーも、俺のtheoryではないしね……何なら今すぐ変えられるものなら変えたいくらいで、何も今すぐ変えたくないなんてそんなこと……有り得ない。
したがって、ユンファさんが「いいよ♡ 抱いて♡」と言っているのだから、俺は「いいんだね♡ わかった♡ 抱くね♡」と答えるのがそう、この状況における今回の場合は間違いなく大大大大大正解……といったところ。
「…でも僕……」
とここで唇を上げたユンファさんは俺の耳元で色っぽく、こう尋ねてくる。
「…えっちしながらカナイさんって呼ぶのは、ちょっとだけ寂しいかも…――カナイさんはどうですか…? カナイさん…僕といちゃいちゃしながら、僕になんて呼ばれたい……?」
「……あぁ…、……」
なるほどいちゃいちゃラブラブのえっちとはまた最高に勃起がとまらな…いや、――もう既にプレイは始まっているようだが、その「恋人プレイ」の雰囲気を崩さないようにとユンファさんは今、あくまでもプレイに「必要な質問」をかなり巧妙に聞いてきたのである。
ユンファさんは、あくまでも俺のことを「本当の恋人」として扱うにおいて、この先も本当に「カナイさん」という呼び方のままでよいものかどうかと思ったらしい。
まあ「ユンファさん」「ソンジュさん」といったように、いわゆる「さん付け」で呼び合うカップルがいないということもないだろうが、しかしそれは一般的な感覚でいうと、むしろそのほうが少数派といえることだろう。
それこそ、例えば職場関係においても上司、部下、同僚と立場を問わずして使える「さん付け」だが、であるからこそ恋人同士という親密な関係性ともなれば何か、「さん付け」はよそよそしい感じがする、という人のほうが世間的には大多数ということである。
そしてユンファさんもそのように思い至ったほか、彼は、客の俺が求めている「本当の恋人(を演じるプレイ)」を今夜演出するにおいて、少しでも「それらしい親密な雰囲気」を作り出すためには、「カナイさん」よりももっと「(俺が呼ばれたい)恋人らしい呼び名」のほうが、(恐らく経験則からも)効果的であると踏んだ。
しかしかといって、例えばいきなり「カナイ」と呼び捨てにするというのも失礼であると考えたユンファさんは、いよいよプレイを始めようというこの段階で、上手いこと「なんて呼ばれたいの?(あだ名や呼び捨てなどご希望の呼び方があれば教えてください)」と尋ねてきた、というわけだ。――それも「恋人としてなんて呼ばれたい?」ではなく、
なるほどね…――。
「……じゃあ、カナエで」
今はとても「ソンジュ」という本当の名を明かせない以上、俺の選択肢にはこれしかあるまい。
というか聞いてもらってよかった。そもそもなのだが、(名前と身分を借りておいて俺が言えたことではないにしろ)やはり、いつまでもあの「カナイ」という男の名で呼ばれるのはさすがにね……違和感も凄いが、何より、
何か嫌……それこそあの冷血漢の赤い目が度々思い出されていては、ユンファさんとのせっかくの蜜月の時に水を差すようでもあるし、ましてこれでユンファさんとベッドインした後にも、「あっ…♡ あっ…♡ カナイさん…♡」なんて喘ぎながら呼ばれてしまった際には、実際に彼を抱いているのは俺だというのに、恐らく俺、次あの男に会った瞬間に(憤怒にも達する嫉妬で)かの人の生っ白い頬が真っ赤に腫れ上がるまでぶん殴りそうである。
まあ欲をいえば俺の本音としては「ソンジュ」と呼ばれたいに決まってはいるが、それも今夜は無理なことである。――ならば妥協案ではあるものの、どうせなら俺のユメミであるユンファさんに(俺の妄想ではなく)実際、「カナエ」と呼ばれるのもまた乙なものであろう。
むしろ考えようといえばそうだ。
俺が「カナエ」とユンファさんに呼ばれる機会とは、およそ今夜くらいしか実現を見ないことで間違いない。
なぜなら、次ユンファさんと会いに行くときの俺は、もちろんまさかあのカナイに扮するつもりなどなく、俺は正々堂々正真正銘、九条・玉・松樹として彼を迎えにゆくつもりであるからだ。――すなわちある意味ではこのような機会でもない限り、(俺のユメミである)ユンファさんには「カナエ」などと呼ばれることもないだろうから、むしろこれもちょっとしたチャンスかもわからない。
そして何と、俺がそうして「カナエで」と答えると聞こえたのだ、ユンファさんのドキッと跳ねた心臓の音が――それから彼は俺の耳へ、やや不安げな声でこう囁いてくる。
「…カナ、エ…? カナエさん…で、いいの…?」
「…まあ敬称は何でもいいけれど…とにかくカナエ。で……ふふ」
これは――嬉しい。
ユンファさんはあの『夢見の恋人』を知っているようだ。…彼、あの作品のカナエを知っているようなのだ。
まあこれだけでは、ユンファさんのそれへの認知度がどれほどのものなのかはわからないがね。――あの作品の原作者であるpineとして嬉しいような、初恋の人が俺の書いた作品を認知してくださっているということが嬉しいような、散々ユンファさんにあの作品を認知してほしくてほしくて堪らなかったからこそ、いよいよ念願叶ったりというような、これはどうも名状しがたい喜びである。
しかも…ユンファさんは途端にはにかみ、その高揚感からやや上擦った声を震わせながら、俺の耳元――。
「わ、わかりました…――カナエ、君…」
「……ん゛グ…ッうぅぅ゛…――ッ」
これは大変、…思いのほか危ない――俺は奥歯を噛み締め、痛みでも堪えているかのように唸った。
ユンファさんはなぜか「カナエ」という名を呼ぶにおいて、いやにしっとりとした哀艶の感情を乗せてその名を呼んだのである。…言うなればその声においては、甘酸っぱくも切ない「恋心」が乗っていた。まるで叶わないとは諦めながらも、カナエに恋をしているユメミのような…――もしやユンファさんは、あの『夢見の恋人』を読んでゆくうち、自分によく似たユメミに感情移入をして、結果実在しないカナエ(ある意味では俺)に恋をしてしまったのでは、などとあわや勘繰って期待をしてしまいそうな…――つまり、彼のその「カナエ君…」というしっとりと色っぽい声がまた何とも、また何とも俺が想い描くユメミの声そのものであった……いや、それは当たり前か。
――あのユメミのモデルはそもそもこの人、このユンファさんなのである。
むしろユンファさんがユメミに似ているのではなく、あのユメミが、ユンファさんに似ているのだ。
すなわち、当たり前のことながら月下・夜伽・曇華という人こそ、正真正銘(俺の)リアルユメミなのである。
しかしひょんなことから、まさか俺のユメミであるユンファさんご本人に、この俺が「カナエ君」と呼ばれる日がくるとはね、……
「……大丈夫…? 大丈夫ですか?」
「…んん゛…っ、んっんん…っ、…失礼。大丈夫、喫煙者なもので、ちょっと喉がいがらっぽくてね…、……」
わざと咳払いする俺の顔を、ユンファさんは心配して覗き込んできた。…が、俺は顔を真横に背けた。俺はわざとらしく喉仏を指先で抑えながら、たじたじと視線を彷徨わせている。――とても今の自分の顔はユンファさんには見せられない、いや、彼には見られたくない……今俺の顔は締まりなくニヤついている上、情けないほどの茹でダコ状態なのである。
「……カナエ君…?」
「……、…――。」
だが顔を背けたその先で俺は、非常に滑稽なことに気が付いた。
顔を背けようが背けまいが、俺の顔はいま全顔仮面で覆われていて、ユンファさんにはニヤリも茹でダコも何も見えていないのだ――俺は今日に初恋の人を前にして、かなり馬鹿になってしまっているようである。
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