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夢と目合う ※ ※モブユン
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しおりを挟む「…貴方は綺麗過ぎるよ…――。」
もちろんその麗容もさることながら、…どうして彼は今、こんな俺のことを心から気遣えたのだろうか。
心が痛むほどである……ユンファさんにとっての俺とは、間違いなく出逢って一時間も過ごしていない初対面の男である。――ましてや俺は、…俺は根っからまともではないのである。
俺は決して「普通」ではなく、とても罪深い存在なのである。――俺はまさしく誰しもに気味悪がられ、恐れられ、避けられて然るべき、醜悪な「獣」なのである。
どれだけ自己正当化をしようとも、俺はこれでも痛いほどよくわかっている。
俺は普通ではない。俺はまともではないのだ。
殊に俺の中には、悪辣な「獣」が棲み憑いている。本来ならば堅固な檻に入れられたまま、そこで飢え死ぬべき凶暴、凶悪な「獣」が――俺の中で飼い馴らせないまま、ただ野放しになっている。
それも悪いことに、俺の中の「獣」は常に飢えている。
それは飢えた獣というように、腹が満ちれば大人しくなるというようなタチの存在ではない。俺の中の「獣」は、どれだけ何を貪ろうとも常に腹を空かせて唸っている――望んだものを得ても喰ってもなお満たされず、望んだものを得られぬのなら全てを恨み、全てを破壊し、全てを滅ぼそうとする――さながら餓鬼のような、俺の中に棲み憑いているそいつは、全く悪辣で醜悪な「獣」なのである。
むしろ俺は清浄なユンファさんの前であるからこそ、その醜く悪辣な「獣」の存在を強く感じた。…いや、むしろ相手がユンファさんであるからこそ、俺の中の「獣」は欲張りにも彼のことを強く強く求め、暴れてしまうのかもしれない。
すなわちユンファさんの思う通り、俺は我ながらまともではない。俺は「危険」だ。――彼の認識は全て正しかったのだ。
しかしユンファさんはどうやら、「見限る」という処世術を知らない。――とはいえ、だからこそユンファさんのその崇高なる無条件の「優しさ」は、もはや聖職者というのを卓越した、情け深い清らかな「神の愛」といえるのである。
「……きっと貴方は…その懐の深い優しさで、これまでにも多くの人に、“酷い勘違い”をされてきたことでしょうね…――。」
物凄く俗に平易にいうなら――とんでもない無自覚天然人たらしだ、恐ろしいほどだ、憎らしいほどだ、――これで惚れない人など、どこにいるだろうか?
しばしばユンファさんのその「神の愛」は、浅はかで欲深く、穢れている人間に俗な「特別な愛情」と期待され、彼の愛の根源たるは己へ向けられた「性愛」に違いないのだと、俗な勘違いをされてしまうものであろう。――それは相手がその崇高さになかなか理解の及ばない人間であり、また、あたかも人間の美青年の姿をもってこの俗世に受肉をしたのが、この月下・夜伽・曇華という月の男神だからである。
ユンファさんもまた人間と思えば、その人間らしい「俗な常識」を当て嵌めて考え、期待をし、勘違いをしてしまうのである。
しかし、どれだけの人が憎むほどその人を愛そうとも、誰しもがユンファさんの「特別な愛」を強く求めようとも、――ユンファさんにとってその「優しさ」というのは、いわばその慈愛の全てが「当たり前」のことなのであり、彼はもはや無意識的にもその「神の愛」を、惜しげもなく人に与えてしまう。
むしろユンファさんにしてみれば、「与えた」というほどのことでもない。彼にとっては何のことはない、単なるちょっとした親切心以上のものではないのである。
ユンファさんのそれら崇高なる、神らしい無条件の慈愛の精神というのは、彼の精神に神が在ればこそ、何ら「特別な想い」があってのことではない。
現にユンファさんは今も俺に対しての恋愛感情、つまり俺が彼にとっての「特別に大切な人」だからこそ、俺に優しくしてきたわけではないのだ。――今俺に向けられたユンファさんの「愛」とは間違っても「性愛」ではなく、ある意味では無味乾燥の、神聖なる「神の愛」なのである。
簡単にいえば、恋愛感情や親愛といったものが相手に対してあろうがなかろうが、ユンファさんにとっては人に優しく接するということに、いちいち理由など無いのである。理由が必要ないのではない、「理由が無い」のである。
突如として俺の脳裏に浮かぶこの聖書の一節は、なぜだか俺の頭の中、ユンファさんの声で再生されてゆく――。
『 求める者には求められた以上のものを与えなさい。
借りようとする者の要求は断らず、その者の要求以上のものをお貸しなさい。きっとあなたがたは、「隣人のことは愛し、敵のことは憎め」と聞いていることでしょう。
しかしわたし(イエス・キリスト)は、あえてあなたがたにこう言いましょう。敵も愛しなさい。あなたがたを迫害する者のためにも祈りなさい。
自分を愛する人だけを愛しても、あなたがたは何の報いをも得られません。敵にもキスをし、敵をも愛するのです。
天におられます、あなたがたの愛情深い父の子となるために。天の父は悪人の上にも善人の上にも、等しく太陽をのぼらせてくださいます。天の父は正しい者にも正しくない者にも、恵みの雨を降らせてくださいます。それ故に。
――マタイによる福音書5章 42~47(なおキリシタンにはかなり怒られそうだが、これには俺の意訳も含まれている)』
なるほどユンファさんにしてみれば「これ」なのだろうと、俺は思うのである。――神が人間を助ける、救うということに理由など無い。もはや「理由が必要か不必要か」というのさえないのである。利害も損得も何もなく、神は善人も悪人も等しく愛し、人間にならば誰へでも「与える」ものなのである――「神の愛」を、「お恵み」を、「ゆるし」を。
すなわち――もはやユンファさんは神なる習性のように、例え相手が初めて会った人であろうが、また、初めて会ったばかりで縁が途絶えるような人であろうが、例えば街中で泣いている人が目に入ったならば「大丈夫ですか?」と声をかけ、何時間でもその人の話を聞き、その人が泣きやむまで抱き締めて励ますような人なのである。
それこそそのような人は、この俗世では好奇の目で見られるほどにかなり珍しいだろうがね。残念なことにこの俗世は、無条件で「人を愛する人」ほど損をして、損得を踏まえて行動をする狡猾な者ほど得をするような世の中である。すると彼のような人はこの俗世で、その狡猾なる者にまず喰われてしまうのだ。
――しかしユンファさんは、実際にそれで自分が「喰われて」しまっていてもなお、根幹にある神性、その崇高なる慈愛の精神をまでは損なわなかったらしい。…あるいはその神聖なる精神が共鳴をして、今彼の左耳には十字架が輝いているのかもしれない。――穢れそうになるこの苦境の中でも、何とか己の神性を保とうという、その肉体に宿りし「神の御霊」の抵抗が故に……。
だけれどこのような俗世で生きるのなら、いっそ穢れてしまったほうが楽だろうに――俺のように、いっそこの俗世に合わせて穢れてしまえばいいのに。
「…とはいえ…その実俺もまた、気を抜くと今にも“酷い勘違い”をしそうなのですよ…、……」
こんなのは、十一年もの歳月に募り過ぎた俺の期待を裏切らない、それどころの話ではない。――どんどん貴方のことを好きになってゆく、どんどん貴方が欲しくなる、どうしても、俺はどうしてもこの神聖なる美しい男神が欲しい、――自分でも恐ろしくなるほどに俺は今、この清く美しい月の男神が欲しくて欲しくて堪らないのである。
俺は今およそ罪深くも、畏れ多くも、この清らかなる美しい男神を、ただ自分だけのものにしてやりたいと強く、強く、強く願っているのである――「人としての穢れ」をさえ知れば、俺のようにちっぽけで穢れた存在の近くに、穢れた醜い俺の元に、少しでもこの清らかな月の男神が降りてきてくださるような気がしたのである。
ただ己の安心のためだけに、己の独善的な欲望のためだけに、俺は罪深くも神を独占するために、清らかなる彼を冒涜し、いっそ穢してしまいたいと思った。あまりにも俺は穢れていたからである。
今の彼のことが穢れを知らない、遠く遠くの天にいる神というようにしか思えなかった。俺とは真反対というほど、ユンファさんがあまりにも清浄であったためである。――だがきっとユンファさんは、もはやその程度のことで穢れてしまうようなことはないのだろう。
「……、酷い、勘違い…ですか…?」
「……そう…――あまりにもお綺麗な貴方はきっと、殊更罪深い人間にまで“酷い勘違い”をされてしまった…。そして貴方は、その人間の醜い独占欲のせいで…――地獄にでも、堕とされてしまったのでしょう……」
しかし何があろうとも、例え地獄に堕ちようとも、この月下・夜伽・曇華という月の男神が穢れるようなことはない…――それで穢れないからこそ神なのだろうが、何よりもう既に、あるいは彼の精神が穢れてしまってもおかしくはないような、そのような「罪深いこと」を実行した男がいるのである。
それでいて彼という月の男神は今にも見るように、内に秘めたるその神聖性を損なってはいないのである。――ともすればケグリもまた、俺と同じようなことを思ったのかもしれない。
あのケグリもまた、何かしらユンファさんにとっては「当たり前」の神聖なる「神の愛」をいつか、「与えられた」のかもしれない。――しかしユンファさんのその神聖なる「神の愛」が、どこまでも彼にとっては「当たり前」の範疇から出ないことをもまた、ケグリという醜い男はよく知っていた。
間違ってもユンファさんの「愛」は、人間である限り誰しもが無条件で与えられる「神の愛」なのである。――しかしだからこそ、その深く慈悲深い愛を受けた人間は、その月の男神の寵愛を独占したいと欲深くなってゆく。
そうして煮詰まった毒、蠱毒、孤独、――願わくば、この月の男神の神聖なる「神の愛」が己にのみ注がれることを、あのケグリもまた長年、俺のように渇望していたのかもしれない。
しかしケグリはわかっていたし、今もあれでよくわかっていることだろう。
自分のように穢れた醜い中年男が、そのような自分よりもうんと若く美しく、どこまでも清らかなるユンファさんに、「特別な愛」――「性愛」を抱かれるはずもない――この月の男神に、己のように穢れた人間の手が届くはずがない――と、ね。
しかも、あまつさえその月の男神は美しかった。
世にも美しい青年の姿をしている、清らかな「優しさ」を己に「与えた」月の男神――神くらいであった。あたかも人間の美青年の姿をしているその男神くらいであった。
まるで神様のように、醜く穢れた自分なんかにも優しくしてくれるのは、その美貌の青年――この俗世に受肉をして人間の姿をもった、月下・夜伽・曇華という月の男神――だけであった。
そのような清く尊い月の男神を、人間が人間たる穢れた手段を取ろうとも何としてでも、とにかく神を自分だけが独占するためには?
だからあのケグリは、まずユンファさんの弱味を握った。…そしてユンファさんを狡猾な手段で脅迫し、彼を己の「性奴隷」へと堕とした――相手が地にでも堕とさねば、まず触れるも叶わぬ神だからである――。
神とは時に、人を「悪魔」にもするのであろう。
――神は「悪魔」のことを、到底愛しはしない癖に…ね。
「貴方は…醜い人間に堕とされたその地獄で、その人間の性奴隷にでもされているのでしょう…? ――ならば貴方はもっと恨み、憎めばよいのですよ…、人間というものを…ね」
だけれど――果たして、神を穢れた地獄へ堕とし、のみならず己の「性奴隷」としたなんて大罪にまで、神は「ゆるし」を与えるのだろうか?
……「神の怒り」は地獄の炎……情け深き慈愛を持つ神であっても、どうやら――何もかもを「ゆるす」わけではなさそう。
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