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夢と目合う ※ ※モブユン
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しおりを挟むまた俺は、小児性愛には断固反対派だ――未完成の人体に性的興奮を覚えるという点でまず俺には全く理解ができない。また時折、同性愛が世の中に認められるのなら小児性愛も認められて然るべき、とそれら二つを並べて語る論調の者がいるが、基本的に成人同士の恋愛、性行為である同性愛に比べて、(同性愛者の小児性愛者もいるが)そもそも小児性愛とは「(肉体はもちろん恋愛感情も未発達の、ともすれば性欲をすら知らない子供へ向けられた)大人からの一方的な性欲と恋愛感情」ではないか? まず根本からして違うだろう、同列して語られても困る――。
何なら俺は、人よりセクシャルハラスメントにおいても常日頃から十分に配慮しているつもりであるし(ユンファさんに嫌われない男になるためにだ)、セクシャルにおいても自身がゲイであるので、異性愛者から同性愛者、両性愛者など全てのセクシャルに、深く理解を示してゆきたいとも考えている――これは俺個人の考えではあるが――もちろんさまざまなジェンダーや属性別においてもそうだが、いずれにしてもマジョリティとマイノリティが共に取り組むべきは「討論や分断」ではなく、まずもって「横並びの建設的な話し合いと和平」ではないだろうか。そのどちらに、何に属していても人はみな社会に属する一員であり、また、そのどちらもが人として社会で「幸福になる権利」を平等に有している。
かの有名なマーティン・ルーサー・キング(キング牧師)はスピーチの中で、『我々(黒人)は特権を求めてはならない』と言った。――『黒人であるからと優遇されることには、我々は“NO”を突き付けなければならない。黒人であるから差別をされ、チャンスを与えられないということは無くさなければならないが、黒人だからというだけで優遇をされてしまえば、黒人はみな甘えて努力をしなくなる。過去に祖先が迫害と搾取、差別に合っていた見返りに、“これからは自分たちに特権を与えろ”というのは違う。我々に特権は要らない。我々は平等を求める』と(尚これは意訳である)。
俺が思うに今の時代、マジョリティにせよマイノリティにせよ、ことマイノリティについての議題を論じるにおいて、キング牧師のこの言葉を肝に銘じるべきではないだろうか。
まあおよそマジョリティの一部の人々は、今主張の激しいマイノリティたちに「これを肝に銘じろ」と思うのだろうし、実際マイノリティサイドの俺の目から見ても、やり過ぎた主張をしている一部のマイノリティは、はっきりいって目に余るものがある。
また、実際「特権」を求めているマイノリティも一部いるのだが、そもそもマイノリティはマイノリティであるからと「優遇」などされるべきではなく(甘い目で見られ、だからと許されるべきではなく)、もちろんマイノリティが今の多様性の時代に求めるべきは「平等」であって、間違っても「特権(や優遇)」を求めるべきではないことは確かだ。――マイノリティはそれというだけで「弱者」なのではない。決して自分たちを「弱者」にはするな。これで「特権(や優遇)」というものを得られてもそれは所詮、「弱者」が「強者」から与えられた「施し」でしかないのだから。
そしてお互いのためにも「おかしい主張」には、その主張をした者がマイノリティサイドの者であろうがマジョリティサイドの者であろうが、すべからく「それはおかしい」とはっきり言われなければならないのである。
多様性を重視することは大切なことだが、それ以前にまず、誰しもが迫害や差別をされない、安全な社会でなければならない。誰しもがだ。――それには過去も多数派も少数派も何も関係無いのだ。
どだい善悪とはマジョリティ、マイノリティ、属性別という人が属するカテゴリで決まるのではない。そもそも善悪とは極めて倫理に基づいているものなのだから、「倫理的に(人として)おかしいこと」以外に判断基準などあるだろうか? ゲイの犯罪とヘテロの犯罪、男の犯罪と女の犯罪、ベータ属の、オメガ属の、アルファ属の、誰がどんなカテゴリにあろうとも、同じ罪を犯したのなら、罪の重さもまた同じであるはずだ。
いずれにしても善人と悪人がいるのだ。どちらか贔屓で是正されるべきことが是正されない、というのは、平等を志す社会として絶望的に不健全な状態である。
そう、俺はアルファ属のゲイと社会的にみればマイノリティに属している者ではあるが、その実、マジョリティサイドの言い分にもわかる部分が多くある。
だがその一方で、「目障りだ、表に出てくるな、影で勝手にやっていろ、我儘だ、我慢しろ、特権を求めるな」とマイノリティにそう強く言ってくる一部のマジョリティの人々を、マイノリティサイドの目から見ると、そうしたマジョリティの一部の人々こそ、いわば「マジョリティの特権」に固執し、それを求めているようにも見えてしまう。
なぜなら、マジョリティの人々は自分たちが与えられていない権利を持っており、そのうえで、その(マジョリティに与えられている)権利を求めたマイノリティに対して、「特権を求めるな」と言っているように感じられるからだ。
確かに行き過ぎた「特権」を求めているマイノリティの人々も一部いるのだが(それには大いにみなが「おかしい」と言うべきだ)、しかし、その一方でほとんどのマイノリティは、多くのマジョリティに認められている権利を求めているだけで、「(カテゴリだからの)特権や優遇」を求めているわけではない。
自分たちが欲しがっている権利は「特権」ではなく、マジョリティの人々が初めから持っている権利というだけである、とね。そしてこの国の、この社会の一員として、同じ「幸福の権利(を享受できるチャンス)」を自分たちにも平等にくださいと言っているだけ、とそのように思っているマイノリティも多くいるのである。
まあ要するに、キング牧師のあの言葉は、マイノリティサイドの者の目から見ても結局、(一部)マジョリティへ対して「これを肝に銘じろ」と思えるものともいえるのだ。
さて、ではそのマジョリティとマイノリティ、どちらが正しいか?
その実、どちらも正しいのだよ――ごもっとも。
すなわちお互いに、誰しもがキング牧師のあの言葉を自戒として、肝に銘じなければならないのではないか。と、俺はそう思っている。それこそが平等なのだからね。
……なおここで、「いやあいつらこそ」と思うようなら、それはきっと個々が持ち得る「アンコンシャス・バイアス(無意識的な偏見)」のせいである。――「マジョリティ(マイノリティ)とはこういうやつらだ、自分が属するもの(の仲間や自分)のほうが絶対的に正しい」という、無意識的な決め付けや思い込みがあるということだからだ。
カテゴリだけで人格は決まらないし、思考も思想も、善悪も、それだけでは決まらない。
とはいっても、マジョリティの中には「Ally」と呼ばれる、(自分は異性愛者かつ性別の不適合もない、またベータ属ではあるが)さまざまなマイノリティたちに理解を示し、支援してゆきたい、また具体的な支援まではできないが、理解し受け入れてゆきたいと考えてくれている人々も多くいる。
しかしその一方で――マイノリティのことを「嫌い」であるマジョリティの人々も多くいる。
俺はその個人的感情をまで否定するつもりはないが、その嫌悪感情に色々と理屈を付けて「……だからマイノリティは社会的に排除されるべきである」と、あたかも正論ぶって自分の「嫌い」を正当化し、のみならず「(多数派の共感を求めることで)マイノリティの社会的な排除」を試みている者も、残念ながらマジョリティの中には存在しているのだ。
俺が思うに、「嫌いだ、気持ち悪い」という自分の感情を正当化するまではよいとしても(それはそのままでよいと思うし、無理に受け入れる必要もないし、誰に否定されることでもないとは思うが)、「(個人的な)嫌い」という感情だけで、マイノリティを受け入れようという社会の流れを論じてよいものかと、それは疑問なのである。
――もっといえば、個人的な「嫌い」という感情だけで、マイノリティが社会に存在することを認めない(排除しようとする)、結局は「マジョリティだけが社会的に認められて然るべき存在、社会的に幸せになれるのはマジョリティだけ」という状況に持っていくというのは、はっきりいって今の時代、もはや不毛ではないだろうか。
しかしそうは言っても、――これはお互いに言えること、というか、結局は権利問題におしなべて言えることではあるが――マイノリティがマジョリティの考えや価値観を否定すればするだけ、自分自分でマジョリティを軽んじ、マイノリティが自分たちの権利ばかりを主張すればするだけ、マジョリティの人々はマイノリティを断固受け入れたくないと考える。だがそれは当然である。
自分たちの権利を主張する前に、マイノリティが心得るべきはまず、これまで築き上げられてきたマジョリティの人々の権利や安全、生活などを脅かしてはならないということ、そして自分が敬意を払われたいのならば、まずはマジョリティに対して敬意を払うべきだ、ということなのである。――その上で自分たちの幸福も追求させてくれ、と主張をするべきだ。
但しそれは、逆にも同じことが言えるのだ。
自分に敬意を払わない相手に、敬意を払う人はいない。
また、マジョリティがマイノリティを否定し、受け入れられないと激しく反論をすればするほど、マイノリティの主張もまたより激化してゆくことであろう。
今多様性の追い風が吹いているなか、同一性のある幸せよりも個々の幸せが認められ、個人が声をあげることが容易になってきているこの世の中で、誰だって自分の存在や、人として追求したい健全な幸福(広く社会に認められている当たり前の幸福)、また社会的な不幸を否定をされて、大人しく閉口することなどできない(もちろんそれはマジョリティの人々も同じことだろうがね)。
そうして否定しあい、ああだこうだと「自分の立場の正当化」ばかりをしていてはお互い意固地になり、「横並びの建設的な話し合いと和平」から、どんどん遠ざかっていってしまう――俺は今の社会の流れを見ているとどうも心が痛い。世論としてはお互いに「自分の立場からの主張」ばかりで、はっきりいって一部水掛け論になりつつある。
人間はこの浮き世で生きている以上、誰しもが「悲劇の主人公」の側面を持って必死に努力し、生きている――なおこれは「悲劇のヒロイン」というふうに馬鹿にしているのではなく、誰しもが尊重されるべき「自分の人生の主人公」であり、誰しもが辛いことや悩みを抱えて生きている、誰しも時に我慢を強いられながらも、それでも必死に生きている、という意味だ――。
だからどちらもの「権利」が侵害されてはならないのである。どちらも人としての敬意を払われて然るべきである。どちらの幸福も不幸も軽んじられてはならない、どちらも迫害してはならない、何に属していても、誰しもが「人としての幸福の権利」を社会に認められて然るべきであるし、そのどちらもが被害者にも加害者にもなってはならない。
どちらかの優遇ではなく、どちらかの幸福や安全、権利を切り捨てるのではなく(できればどちらかが「我慢すればよい」のではなく、どちらもが「我慢しなくてよい」ほうが良いじゃないか?)、誰しもが平等に、同じカテゴリの幸福を得られる機会のある社会こそが、俺の理想の社会なのだよ――。
さあ――どうだ?
「…ふっふふふ、いや完璧ではないかな…? どこが変態……?」
「……、…ぇ…? …か、かん…ぇ、へんt……ぇ…?」
「やっぱり俺は、物凄く健全……んふふふ……」
きっと俺のこの健全なる思想を聞いたなり、ユンファさんの誤解、彼の「(俺に対する)変態」という間違った俺への印象も、180度変わるに違いない。……し――そもそも俺がこのような思想を抱くに至ったのは、約十一年前のあの日、ユンファさんが俺におっしゃられたあの「聖句」――「属性別など何も関係ない、お互いが属するカテゴリとかそういうのは抜きにして、まず人と人とが敬意を払い合い、お互いに一人の人として向き合うことが重要なんだ(要約)」――が契機となり、そのユンファさんの哲学に基づき形成された思想である以上は、何かしら今の彼でも同感してくださるところはあろうし、何ならもしかするともしかして、ユンファさんが俺のこの全く健全なる思想を聞いたなりもしかすると、「わぁ僕と同じ思想の人だ…! 見直した…! 素敵! 何なら好き! 惚れた! 僕たち相性ピッタリ! 結婚したい!」とタンザナイトのお目々をキラキラさせてくださるかもしれないしね…?
何より、これほど常識的も世の中の流れに合わせて「常識」を刷新し続けている俺の、どこが「変態」なの?
「――どう考えても俺は“変態”ではないだろう!」
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