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夢と目合う ※ ※モブユン
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しおりを挟む両開きのクリーム色をした大理石風のエレベータードアは、ユンファさんの背後でぴっちりとほとんど隙間なく閉まった。…そのドアから二歩ほど前に進んだ彼は、その位置で一旦立ち止まっている。
なおユンファさんの黒い革靴を履いた両足は当然、まだこの部屋の出入り口にある玄関タタキを踏んでいる。これはエレベータードアと同じ幅のそれなりに広い正方形の、段差の浅いタタキである。またその光沢のあるタタキはエレベーターのドアと続いて見えるような、ドアと同じクリーム色の大理石風のものだ。
なおそのエレベータードアの両脇の壁には、クリームイエローの壁に取り付けられた黒いフックからぶら下がっている、ミニバーの棚を上から照らしていたあのランタン――聖堂にあるような東屋(ガゼボ)型の豪奢な金のランタン――と同じものが、ドアの左右の壁に一つずつかけられている。
そしてドアを背にしたユンファさんと対面する俺から見て左手側、エレベータードア横の壁に添うように、ドアとタタキと同じクリーム色の大理石模様の、黒い猫足の中身が見えない靴箱が置かれている。なおこの靴箱は背丈178センチのユンファさんの腰の高さほどまでしかない(だが、むしろダブルルームにしては大きいほうだろう)。
またその靴箱の上にはアンティーク調のデスクライトが灯っており、うなだれている花の形をしたそのライトの暖色の光が煌々と照らしているのは、ブックエンドによって縦に収納されたルームサービス用の黒いメニューブックやこのホテルのパンフレット、旅行用のガイド本など数冊の比較的薄い本類である。
そして、彼と向かい合う俺の足は(先ほどさんざんスリッパでそのタタキに踏み込んでおいて今更だが)室内の床――紺と褪せたオレンジのダイヤ模様のツルツルとした光沢のある床――とクリーム色のタタキとの境い目に、茶色いスリッパを履いたつま先を置いている――タタキと床の境い目を平野部と見立てて交互に連なる、紺とオレンジのシャープな山と谷に俺は両足の裏を置いている――ため、対面した俺と彼との距離間はおよそ三十センチといったところであろう。
ちなみに俺の左足の横には、ユンファさん用のもう一足の茶色いスリッパが彼向きに用意されている(チョコレートブラウンの綿製スリッパの足の甲には『HOTEL Bellissima TOKYO』と筆記体の立派な金糸付きだ)。
さて、そのクリーム色のタタキから先にはまだ踏み込まないユンファさん――そのしゃんと背を伸ばした気高い立ち姿、眉目秀麗の白い細面をより怜悧に引き締めて見せるのはその端麗なる凛々しい黒眉だ。しかしそれでいて、その黒眉の下で微笑にやわくなったやさしい切れ長のツリ目、透き通った薄紫色の瞳は俺の目を見てく……俺はさっと目を下げた。
「カナイ様、本日はご指m……」
「っあぁ、俺はどうしたらいいんだ…?! あまりにもお綺麗だ…!」
大変だ眩暈がする。比喩ではない、俺は本当に頭がクラクラしているのだ。――この尋常ではない美貌はいっそ目の毒である……俺は俯き、仮面の上から自分の顔を両手で覆った。…約十一年もの間憧れ続けてきた初恋の人、俺がまだ十三歳のときのあの日に一目惚れをしたその人の美貌を、その途方もない十一年という歳月を経たのち今日にやっとこの目で直に見られた――しかしその実、これはもはやそれ以上の衝撃である。
神々しい。
あまりにも完璧な美貌である――乱れのない優麗な楚々とした佇まい、小さな美しい細面、しゃんと伸ばされた首と背筋の気高さ、白いカッターシャツを纏う広い男らしい肩、しなやかな細い腰、逆三角形の上半身、黒いスラックスのよく映える、角張った四角に近い腰の骨から真っ直ぐに伸びる長細い脚、凛とした姿勢がよく映える手脚の長い細身、日々の陵辱の擦れを匂わせない瑞々しい艶気、その長躯から醸し出される育ちの良さ、上品さ、優雅さ、芯のある姿勢ではありながら、ユンファさんのその細身から匂い立つ繊細な壊れ物の気配……どうも参る。
闇夜の中で目を奪われるほどに皓々としながらも儚くおぼろげな、透き通った蒼白い月華を放つ、清廉でありながらも妖美な青い満月――まさしくそのような美貌、十一年前のあの日から何も変わらぬ、いや、いっそ霜のおりた雪室でその星霜を経てこそより熟成されて増したユンファさんの、その艶麗とした美貌を前にした俺は、思わずはにかんで顔を隠してしまったのみならず、ユンファさんという艶やかな赤ワインに酔ってしまったらしい。
あぁ、我が月の男神よ。――どうかこの俺に貴方という神聖な葡萄酒を飲み干す許しを下さい。
どれほど俺が貴方とこうして真っ正面から向かい合う日を夢見てきたことか、何度俺が届かぬと知りながらそれでも貴方に手を伸ばしてきたことか、どれほど俺がこれまで貴方に敬虔なる信仰を捧げてきたことか、しかし、俺のこの手はこれまでは決して貴方には届かなかった、俺は遠い場所から貴方を見つめることしかできなかった――俺は新月から満月に至るまでの貴方の顔の変化、貴方のその全てを遠くからただ見つめてきた。だけれど俺は、まだそれを知っているだけなのです――俺は長いこと貴方だけを見つめ続けてきたのだ、この俺が絶対服従の信奉を誓いし我が唯一神、至上の麗しき我が月の男神よ!
「…しかし…果たして人間の俺が、神の美貌を直に見て許されるものでしょうか…?」
「……は…?」
ユンファさんは俺の呟いたセリフに一切の理解ができなかったようである。
「貴方はまるで月の男神だ、本当に美しい……っ!」
「……、…あ、…はは、ぁ、ありがとうございます。…あのカナイ様、本日はご指……」
「俺、……」
「…? は、はい…」
「…っ何と、いうか、…ですね…――貴方は本当にお綺麗だ゛…っ」
あまりの感動に喉が潰れる。
両手で顔を隠しても、俺の両方の耳たぶは沸々と沸騰していく湯のように脈打ち、どんどんと熱くなってゆく。もはや自分の血液の熱に俺の耳たぶが火傷を負いそうだ。
「あぁ…ありが…」
「いや失礼…貴方があまりにもお綺麗で、ついこの顔を隠してしまいました…」
ところで顔を覆い隠すとは失礼だった。
そうして恐る恐るこの仮面の顔から両手を退かした俺だが、すると当然見えたのは、その困惑に翳る美しい微笑……。
「はは…いえ、あのありがとうございます、たくさんお褒めいただい、て…? ぇ、えっとー、カナイさm…」
「ぅあ、ぁあぁ…ぁぁあの、ぁ、ぉおおき、お綺麗だ、…お綺麗、ほんとにお綺麗ですね、ユnッ…ユエ、さん…」
もはや俺にはどうしようもない。ユンファさんの美貌に対しての畏怖にも近い感動が俺の胸から昇って喉を通り、そして抑えようもなく溢れ出ては結果こうなってしまう。…噴水の強い力で噴き上がる水柱を力技で抑え込める人など何処にいるだろうか?
まして危ないことに「ユンファさん」と言いかけた俺はドキドキとしながらも、気持ちを落ち着かせるために「興奮材料」などないであろうユンファさんの黒い革靴へと目を下げた。
クリーム色のタタキを、自然につま先の開かれた形で踏んでいるその黒い革靴は、履き潰されて擦れた艶のないくたびれた革靴である。
随分こればかり履いてきたのだろうか、型崩れまで起こしてはいるものの、これはノーズが尖り過ぎとも丸過ぎともない、一般的に革靴といわれてイメージの容易い安物のストレート・トゥ・キャップだ。
「何と安っぽいくたびれた靴を…お可哀想に…、このような靴は、貴方にはまるで相応しくありません…」
――しかしこれは全く月下・夜伽・曇華に相応しくない靴である――そのくたびれ具合にしても買い替えの頃合いとはいえるが、何よりもユンファさんに相応しいのはきちんとオーダーメイドをした、その美しいお御足に合わせて誂らえられた上質素材の靴である。
むしろすべからく彼が履くものはそのように高級な靴であらねばならない。
いえ、もちろんこの俺がご用意しましょう――。
「…え…? あぁ、もうこれ随分履いているもので……」
「…死にそうだ……」
とはいえ……このちんけな革靴の中にユンファさんの白く男らしい美しいお御足があると思うと、死にそうなほどに興奮してくる。
「へっ?」
「……いえ…、……」
俺は仮面の額を片手で押さえて顔を上向かせた。
ちなみに俺が見上げたこのスイートの天井は、高い勾配天井――このホテルは洋館、あるいは(ラブホなどのような下品さはない)西洋の城のような山型の屋根が横に連なる外観をしており、またこのスイートは最上階もその連なる山型の一つの独立した場所にあるため、天井もまたその山型の屋根に沿って五角錐形にへこみ、山の頂の一点へと向けて五角錐の五つの辺に張り巡らされた黒茶の木枠と、面には白の漆喰……とても立派な天井(ちなみに一番深くへこんでいる部屋の中央、山の頂からはシャンデリアがぶら下がっている)――である。
「…俺はどうかしてしまったようだ…」
ちょろちょろちょろちょろ……遠い水の音が虚しい。
いや残念なことに――俺は滑稽なほどたじたじである。
あれから約十一年もの月日が流れているというのに、相変わらずユンファさんはお綺麗なままであった。
俺が何度忘れたほうがよいと、いっそ忘れてしまえればそのほうが楽だとさえ思ってきたその圧倒的な美貌は、俺のこの目や頭のみならず、俺の魂が諳んじているばかりに、結局いつになっても忘れられるどころか少しだって色褪せることもなく、俺が思い出そうと思えばいつだって、その伏せられた黒く長いまつ毛の一本一本とディテールに至るまでもがくっきりと鮮明に、俺のこの瞳の中に幾度となく甦ってきた。
いや、別にわざわざ思い出そうとなどしなくたってふとした瞬間に思い出され、夢にまで出てきて、忘れさせてくれ、諦めさせてくれと何度願えども、美しい月の男神は俺の願いを聞き届けてくれることなど決してなかった。
これを宿運と呼ぶほか俺の人生には手立てもない。
もはや妄執していたともいえる、俺が一目で惚れたユンファさんのその完璧なる至上の美貌は――しかしあの日……高校一年生のときの彼にも増して、今のユンファさんのほうがむしろもっと美しい。
ある意味ではそのほうが俺の願いは叶ったともいえよう――当然一目惚れをした美貌が褪せているよりかは増していたほうが嬉しいものだ――が、今の彼は俺が平静を保てないほど、元の美貌にも増して、青年らしく若くも瀟洒した落ち着きのある色気を纏っている。
増しているのはそれのみならず、より強く冴え冴えと銀に光る剣先のような鋭さが増してまた狼らしい男の色気ともなり、またやつれ気味とはいえ、彼の若々しく繊細な生花の艶めいた美しさはいまだ健在――いや、却って以前よりもその生の瑞々しい白い花びらは熟れて満開となり、今に月下・夜伽・曇華は、より洗練された色気を放つ艶治な月下美人そのものというほど艶めかしい美青年となっていた。
俺の人生を大きく変えた月下・夜伽・曇華という人の、俺が一目惚れをした目映いその美貌――いわば俺の人生を変えたのは、この美貌にも一つ大きな要因があるわけだ――が、今に生で見たその美貌は、あの日の彼よりも格段に増して美しく洗練されていた。……ともなれば、
「俺はもう駄目だ…」
……どうなるか?
「…え…? ぁ、あの、どうし…」
「っぅあ、あぁあぁああまりにもっ…う、うぅうっうっ美し、すぎる…っ!」
残念ながらこうなるのである。
俺はチラと見てしまったユンファさんの心配げな顔から目を下げ、彼の黒い革靴を視界に映してから目を瞑った。
それでなくとも俺は、約十一年ぶりにも初恋の人と再会できたというだけで酷い緊張をしている。
その上で更に、その十一年前に俺が一目惚れをしたほどの美貌が、約十一年の成熟期間を経て円熟し、より凄艶なる美貌となっている――まるで熟成されてより艶やかな風味の増した赤ワインのように…人が上手く年を取るというのはすなわちこういうことなのだろう…――あぁどうしよう……直視できない。綺麗すぎる。
「はは…あの、カナイさん…?」
「…ッうああ゛…っ!」
「……あっご、ごめんなさい、…」
神経が過敏になっている俺がビクンッ! とした上大声を出したために驚いたユンファさんは、すぐ俺に謝ってきた。
俺が目を瞑っている隙に、何と彼のほうから俺の体にぎゅうっと抱き着いてきたのである。
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