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目覚める夢
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しおりを挟むしかし僕は、まさか冗談だろうと思った。…これもまた母さんの仕返しだと思ったのだ。
いや、きっと誰だってそうも思うことだろう――少し前に社会現象となるほど流行っていた作品の、その登場人物(それも主人公のうちの一人)が自分に激似だとか、まさかあり得ないだろ、そんなこと。と。
「…はは、まさか。そんなことあるわけないだろ? ヒロインが男の僕に似てるだなんて、そんなことあったら正直、奇跡だ。」
いや、たとえば普遍的なオメガ…つまり中性的な容姿のオメガ男性なら、あるいはヒロインに似ている可能性もあるだろう。しかし、僕は自分がその要素のあまりないオメガ男性であると、このときから既によくよく理解していたのだ。
178センチのまあまあな長駆にやや面長、鋭い切れ長の目、一見してアルファに間違えられることさえある僕が、まさかその作品のヒロインに似ているはずがない。
と、断言的かつ冗談はよしてくれ、という調子で返した僕に母さんは――え、と目をまん丸にしてきょとん。
「…はあ…? このお話に出てくるのはヒロインじゃなくて、ヒーローだーけよぉ。――オメガの男の子と、アルファの男の子の恋物語なの。やぁだぁ、私だってあんたのこと女の子みたーいなんて、すっこしも思っちゃいないわ。」
そして母さんはニヤッとしながら、「我が息子ながらイケメンではあるけどね?」と付け加えた。――が、僕としてはそんなこと(また母さんの親バカ炸裂)なんて、正直どうでもよかったのだ。
「え」
僕にしてみれば、それはかなり予想外な話であったからだ。――先ほどにも思っていた通り、ヤマトにおいて普遍的に存在しているロマンス作品は、ほとんどベータの男女のものか、あるいはアルファ男性とベータ女性のものであった。
ただこのときにはもう既に、例の社会現象は起きたあとだったものの…そもそも僕は、以前にちょろっとその普遍的なロマンス作品を読んで、『なんか違うな、いやこんなのの何がいいんだ? 矛盾点も多いし馬鹿みたいだ、気持ち悪い』と思ってから、そのジャンルを避けるようになっていた。
つまり…世の中のロマンス作品のトレンドなど、あえてそれを避けていた僕が知る由もなく…なんなら避けるようになった時点で、僕の中の(ロマンス作品についてのことの)時は止まっていたのである。
であるからまさか、『夢見の恋人』という作品の主人公たちが、アルファ男性とオメガ男性ということは、正直僕にとっては意外なことであったのだ。――そうして面食らった僕に、母さんはまたニヤァっと、僕をからかうような悪い笑みを浮かべると。
「ほらほら、気になってきたー? 気になってきたねーユンファ君? なら自分で読んで確かめてみなさいって。…ていうかねえユンファ、これ読んだらさ…――もしかしたら思い出すんじゃない? 何かほら…ね。…ねえ?」
「…は? 何、思い出すって…」
我が母ながら悪い笑みで、何かを――僕を置いてきぼりにするほど、勝手に――期待していた母さんは、ぽっと頬を染めてにんまり。…それでいて呆れたように「やぁだぁ」とぺしっ…空で手を振り、眉を顰め、目をきゅっと瞑って、彼女。
「…だからぁ、ほら…やだ、もしかしてあなたさ、カナエくんみたいな子に会ったことあるとか…ね、そういうのよぉそういうの。これは私の女の勘なんだけど…だって、…っだあってさあぁ~! わかんないじゃない? ね。」
「な、何が…」
何が、わかんない…?
まるで僕のほうがわからない、と――なかば嫌な予感に苛まれつつも――引き気味に尋ねてしまった僕へ、母さんは僕の胸板をバチンッと引っぱたき、かなりのハイテンションでニッコニコしながら。
「…だぁかぁらあ~! もしかしたらさあ、これ書いてる人にユンファ、惚れられちゃったのかもしれないじゃな~い?! なんて隅に置けないヤツだ、我が息子よ? あんたもうっ、いつの間に……」
「っは? いやまさか、っそんなわけ…!」
ないだろ!?
何いってんだよ、僕に小説家の知り合いなんかいない、ってかいるわけないだろ!? ただの大学生だぞ僕!
どんだけファンタジーお花畑思考だ、我が母ながら!?
と…僕は反論しようとしたが、母さんは呆れたように目玉を回し、まくし立ててくる。
「またいや、よ。でも偶然にしちゃあほんっとによく似てんだからね、ほんとよ? 嘘じゃないよ、ママ嘘は言わないでしょ? あぁもういいからいいから、もうとりあえず一回読んで自分でも確かめてみな。はいはい、ね、大体ユンファだってもういい加減、彼氏や彼女の一人や二人くらいいたっておかしくない年齢なんだから、――これ読んで。あ~僕も恋したぁ~い♡ って気持ちになるがいいわよ。」
「…………」
いやならんならん…――僕はうんざりしていたが、このときの母さんは完全に、『夢見の恋人』に夢見ているどころか、自分の息子のラブストーリーの希望的展開にまで期待して夢を見ていた。
…ため、僕にその『夢見の恋人』の二冊を押し付けて、『読み終わるまで私にそれ返すんじゃねえわよ』と母の顔で凄んできたのだ。
「ユンファなかなか良い顔してんだから、そのイケちゃってるにくい顔使ってさあ、恋の一つもしなっさい! カッコいいんだよあんた、大学じゃ選り取りみどりなんじゃないの? とりあえずデートくらいしなさいよ、誰でもいいから。もう」
「…いや、それこそほんとに時間の無駄…」
それでも返そうと揉み合いになると、母さんはムッとして僕の胸の真ん中に、バンッ! とその『夢見の恋人』を叩きつけてきた。
「いった、…」
「無駄じゃねえ! 恋愛ってのはねえ、あんたが思ってるよりも人生を豊かにするもんなの! ユンファ顔は良いんだからさー顔は。も~なんでも経験でしょ!?」
「顔は顔は…っていや、まさかそんなことないよ。親バカも大概に…」
どだい僕の反論は、母の早口の前には歯が立たなくなるものだ。…ましてやこのあとにされた、僕を睨み付けながらの畳み掛けには、とてもじゃないが…――逆にこれで一言でも反論しようものなら、母さんはプッツンしていよいよ手が付けられなくなるのである――。
「は? 何? ッチ…まったくうちの子はいつ恋するの。予定はないの? 予定がないなら作るんだな、早く予定作れ、急いで恋する予定を作れユンファ。いつまでも恋ができる年齢でいられるなんて思うな若いの、うかうかしてるとあんただってすーぐおじさんになっちゃうんだから、おじさんになってから恋をしようとか思ったらあんた後悔するわよ。あー心配になってきちゃった、…はいはい、もうそれ持ってさっさと二階行きな。ママご飯の用意しなくちゃならないの、あんたとおしゃべりしてる時間なんかママないんだから、忙しいんだからねまったく、専業主婦だって毎日毎日大変なのよ、わかってんの? ま~~ったくもおぉお……」
「…………」
ツッコミどころが多すぎる…もはや一つ一つにツッコミ処理をしていたら間に合わないほどだ。…ただ、別に専業主婦の母さんを馬鹿になんか一つもしていないし、僕は割と母さんに「ありがとう」というタイプである。
そうして、なかば無理やり僕に『夢見の恋人』二冊を押し付けると母さんは、僕の横をうんざり顔で通った…――のだが、すぐに「あっ!」と甲高く大きな声を出して、僕へと振り返った。
「ユンファ! ごめん、パパにとんかつ用の豚ロース三枚買ってきてって送っといて、あとキャベツも。――でもまた高いの買ってこないでって、切ってあるのじゃなくてキャベツは丸ごとって、ついでにデザートも。あっでもそれも! また高級店のケーキなんか買ってこなくていいって言って。あの人すーぐデパ地下とかで買ってきちゃうんだから、お肉もデザートもスーパーで十分なのに……」
「…………」
入る隙のない――嫌だ、自分でメッセージくらい送れよ、と僕に言わせるつもりのない――物凄い早口だ…いや、とはいえさすがに、こればかりはツッコまざるを得ない。
「母さん…もしかして今日、とんかつ…?」
「そうよ。嬉しいでしょー?」
と、母さんは目を丸くしてにっこり。
…なんだが…――またか、と僕は呆れている。
うちはリビングとキッチンが対面式なのだが、このときキッチンの入り口あたりの床に、荷物の入ったままの買い物袋が置かれていた。――つまり母さんはこの日、もう既に買い出しに行った…ということである。
「…うん、まあ嬉しいけど…いや、まさか今日とんかつなのに…豚肉買い忘れたの…?」
「そうそう。一週間分のお買い物したら、忘れちゃったのよー」
「…………」
しれっと何でもないように言いながら母さんは、キッチンへと歩いて行った。
いやまあ…この間よりはまだマシかもしれない、とは思った僕である。――というのもこの間は母さん、そもそも財布を忘れて、いざ会計となったタイミングでやっとそれに気が付き、慌てて家に帰ってきたのだ。…するとまあ、財布忘れるよりはマシだろう、とも思える。父さんを使えばフォローできる範疇の失敗であるからだ。
天然…つまりうちの母さんは、こういう人なのである――。
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