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翳目 ※
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しおりを挟む「…ソンジュさん…僕、――ごめんなさい…」
僕は謝った。
ただ、今回のこの「ごめんなさい」は、それでもソンジュさんのお側にはいられません、という拒否の意味ではなかった。…もちろん僕は今も、彼の側にいたらいけないとは思っているのだ。――しかし、今回はそうではなく。
かねてより謝りたいと思っていた――裏切ってごめんなさい、嘘をついてごめんなさい、誠実性を貫き通さず、貴方から逃げてしまってごめんなさい――その意味合いでの、「ごめんなさい」であった。
「もう謝らなくていい、俺は、ユンファさんに謝ってほしいんじゃないんだ、ただ…」
「すみません、まずはちゃんともう一度、改めて謝りたいと思って…――その、ソンジュさん…」
そう、僕はまず謝りたいと思った。
それから、こう言いたかった。――僕は目線を下げている。…ぼんやりとテーブルの上の、白い食器を眺めているのだ。そうして…思わず笑ってしまいそうなほど、擽ったい胸をなだめている。
なだめなければ僕は今にも、笑ってしまいそうだった。それを堪えて、言葉を紡ぐ。
「…僕たちって、変な関係ですね…」
「…と、いいますと、…」
詰まってどこか水っぽいソンジュさんの声に、結局僕は少しくすりと笑ってしまった。…いや、可笑しかったというんじゃない。――彼が可愛らしかったのだ。
伏せた目線の先には、なんの動きもない。――固そうな艶のある白い食器と、薄茶色の俵型のお茶菓子がある。紅茶はもう冷めてしまったのか、湯気はない。
「……“恋人契約”…契約上の恋人であるはずなのに――お互いに、本当に…恋を、しているような気がして…」
「……、正直、そうでもしなきゃユンファさんは、俺と恋人になんてなってくださらないかと……」
「…ふふ……」
そう自信なさげに呟いたソンジュさんに、僕は苦笑する。――貴方はどうして、何もかもが見えているようなのに、…僕のこれが見えていなかったんだろう。
「…それは、どうかな…――カナイさん…」
僕はするりと、自分の腹に回ったソンジュさんの太い腕を撫でた。――ふわふわとした細くも長い毛で覆われた彼の腕は、今は先ほどよりもよっぽど愛しく思える。
「…カナイさん…僕、ずっと待っていたんですよ…――恋を、してしまったから…」
貴方に――神様の貴方に、僕はおこがましくも恋をしてしまったから。…一夜の恋だとはあのとき思っていたが、それでも僕は、やっぱり本気ではそのように思えていなかったのだろう。
「…暗闇の中で光る、貴方の美しく光る目に…、僕なんかに、とても優しくしてくださった貴方に…――神様のような貴方に、僕はおこがましくも、恋を…してしまったから。…待っていました。また僕のことを、貴方がいつか指名してくださらないかと、ずっと……」
待っていたのだから。
指名の連絡が入るたびに、僕はそわそわしていた。
指名のときは、僕のスマホにメッセージが届くのだ。…というかむしろ、僕は飛び込みの接客をするより、指名されることのほうが多かった。――すると僕はいつも、あるいはカナイさんじゃないだろうか、と。
名前は違う…でも、また別名義で彼が、僕を指名をしてくださったんじゃないだろうか。――なんて…馬鹿みたいに期待しては、結局違う…カナイさん、…ソンジュさんとは、あれっきりだったが。
「…でも貴方はあれっきり、僕を指名してはくださらなかった……正直、勝手にき、キスマークをつけたせいかな、とか…やっぱり、至らないところがあったのかなと、僕は思っていました…――ふふ…でも、まさかこんな形で迎えに来てくださるなんて…正直、思ってもみなかったな……」
僕が照れながらそう言うと、ソンジュさんは、は、と小さく息を呑んだ。
「…き、キスマーク、正直嬉しかったです…なんて可愛らしい人だろうとも思ったし…消えるまでずっと、毎日鏡で見ていました…」
「…そう、ですか……じゃあ僕たち、もうあのときから両想いだったんですね」
「…そのようですね、…じゃ、じゃあユンファさん、今からでも、」…ソンジュさんは何かを言いかけるが、僕はそれを遮る。
「いえ、これでよかったんです。僕たちは契約上の関係であるからこそ、辛うじて…――こうだからこそ辛うじて、僕は、貴方の恋人になれたんだと思うから…」
そうじゃなきゃ僕は、結局ソンジュさんの恋人にはなれなかった…――いや、ならなかったことだろう。
モウラのことがある、というのもあるし、何より僕は、見上げるほどの立場のソンジュさんに、突然「付き合ってください」なんて言われた暁には、やっぱり彼のことを深い猜疑心をもってして見てしまったと思うのだ。
それに、契約上の恋人であるからこそ、僕たちはまだ…言い訳ができるから。――恋をすることに、のめり込まなくて済むのだから。
「このままでいましょう。このままであるほうがきっと、僕たちにはよっぽど丁度いい関係性なんだと思います。」
頭で考えるなとソンジュさんはいう。
だがやっぱり僕は、これ以上ソンジュさんにのめり込んでしまうのがどうしても、恐ろしい。
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