ぼくはきみの目をふさぎたい

🫎藤月 こじか 春雷🦌

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翳目 ※

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 なんなら――今思えば、…僕は、本当に大馬鹿者だ。
 ソンジュさんはあのとき、「避妊薬をお渡ししますね」とは確かに言っていたが――「避妊薬を飲んでくださいね」というように、僕に、それを飲むことを強要するような言い方ではなかったのだ。
 
 ソンジュさんは僕の頭を撫で、そして、するりと僕の片頬を包むと――ペロ、と僕の唇を一度舐めた。
 キスのつもりなんだろうか。――それから彼はふっと嬉しそうに笑い、また僕の頭を抱くようにして、自分の胸板に。
 
「……それとね…確かに俺も、貴方との子は欲しいけれど…今ではない、というのにはもう一つ、理由があります。…」
 
「……はい…」
 
 どうしてかな…――僕は今、初期とはいえども間違いなくオメガ排卵期がきている。――そしてソンジュさんも今、“狼化”している。
 つまり今、ソンジュさんがになればいつでも僕は、男の僕でも敵わないほどに圧倒的な力と、その大きくなった体に容易くねじ伏せられてしまう――そして、僕はそのまま無理やり、彼のつがいにされてしまう危機に瀕している、はずなのだが。
 いや…それこそ先ほどはそのように思って警戒し、怖いと感じていた――はずだったのだ、が。
 
「………、…」
 
 それなのにいま僕は、憩うようにゆるく目を閉ざしたまま――ソンジュさんの、その柔らかくてあたたかいふわふわの長毛に、少しだけ…すり、と擦り寄ってしまった。
 すると彼は、ふふ…と優しく笑って、僕の横髪を優しく、優しく撫でつつ。
 
「…その…理由というのはね…、俺が思うに――ユンファさんはまず、ご自分の心と体を休めて、治療に専念するべきだ。と…つまり、貴方は子供よりもまず先に、ご自身を癒やすことが先決ではないかと思っていたんです……」
 
「………、…」
 
 頭を撫でられると本当に幸せだ、本当にきもちいい…それに、なんて優しく、思いやりのある人か。
 狼…――おおかみ…――大神。
 ヤマトではその昔、王族ヲク家のアルファに娶られたオメガが、伴侶となったアルファのことを、こう親しみを込めて呼んでいたという。――“大神おおかみさま”、と。
 こうしていると…とくとく、胸が小さく高鳴ってくるのだ。――それでいて、全身を包み込まれて守られているという、とろけそうなほどの幸福感と安心感があるのだ。
 わかる…――“大神さま”と呼びたくなった、夜伽ヤガキたちのその気持ちが、今はとてもよくわかる。
 
「…貴方は…ご自分が自覚しているよりもずっと、肉体も精神も酷使し続け、絶えず虐げられ、ボロボロに傷付けられて、そして今日こんにちに至っている…――すると俺にはとてもじゃないが、今のユンファさんに妊娠、という大きな変化に耐えられるだけの元気があるとは、思えないのです…」
 
「………、…」
 
 僕の横髪を優しく撫でる、大きな手。
 どうして貴方に抱き締められていると、貴方に頭を撫でてもらえると、こんなに心地が良いのだろう。――どうして貴方の声には、僕を泣きやませる魔法がかかっているのだろう。…それでいて少し泣きそうになるのは、なぜなんだろうか。
 僕なんかがずっとこうやって、ソンジュさんに抱き締めてもらえるわけじゃないだろう…――きっとこの幸せの終わりは、僕が思っているよりも早く来るのだろう。
 明日かもしれない。――明後日かもしれない。――いや、今日かもしれない。
 
「………、…」
 
 本当、に…――? 
 今はこのときが、永遠のような気さえしている。
 なぜだろう。この恋は、永恋えいれんのような気がしている。――エイレン様が、僕たちのこの今を護ってくださっているような気さえするのだ。
 ソンジュさんの心拍音は、まるで穏やかな波音…――ソンジュさんの穏やかな低い声が彼の胸に響き、そこに片耳を押し付け…彼の胸を経由して、僕はソンジュさんの言葉に耳を、澄ましている。
 
「…子供というのは、母体の肉体にも精神にも、大きな変化をもたらすものでしょう。それにもちろん、周囲の環境においても…――つまり、今ユンファさんが妊娠してしまったら…内外ともに、貴方はご自身よりも先、お腹の子を優先せざるを得なくなってしまう…、しかし、俺はそれが嫌だった…。貴方を本当に愛しているからこそ…俺は子供よりも、ユンファさんを優先したかったんです……」
 
「…ごめんなさい…僕の考えが全然足りていなかった…、勝手に酷い勘違いをしてしまいました……やっぱり始めから、ちゃんと貴方に話すべきでした…、本当にごめんなさい…」
 
 僕はまるで大好きな、愛する親に叱られた子供のように、素直に謝った。――するとソンジュさんは、「いいえ、俺はとても嬉しかったですよ」と微笑みを含ませながらそう答え、僕のことをぎゅうっと抱き寄せると、更に。
 
「…ユンファさん、これは俺の勝手な希望ですが…俺は今後ぜひユンファさんに、医療機関等の受診をしていただきたいなと考えています。――マインドコントロールの件もそうですが、今の貴方はきっと…のみならず、さまざまな方面で専門家の治療が必要かと……」
 
 しかしソンジュさんはすぐ、「もちろん貴方がお嫌な場合は、無理に強要することはできませんけれど…」と付け加えた。――どこまでも僕のことを気遣い、僕の意思を尊重してくれる姿勢の彼に、僕は堪らなく胸を掻きむしられるような思いがした。
 
「…しかし、もしそうしてユンファさんが、医療機関に通うようになった場合…――投薬治療に発展する可能性も、きっとあります。…」
 
「……そこ、まで、僕のことを……考えていて、くださったんですか…」
 
 思わず泣きそうになる。
 僕は度々思うのだ。――あまりにもソンジュさんが好きだ、と。…ソンジュさんは柔らかい声で「ええ、もちろん」とすぐに肯定し。
 
「愛する貴方に、適切な治療を受けていただくのは、あくまでも当然のことではないですか。…それで、俺はこうも思ったんです…――これからユンファさんが飲む可能性のある薬…それの種類によっては、妊娠中に飲んではならないものもあります。ですから…」
 
「……、…」
 
 こんなに…よく、考えてくださっていたんだ。
 僕の…僕たちの、未来のことを――ソンジュさんは。
 
「…すると…やはりどうしても、今妊娠してしまうと…ユンファさんの治療が、後回しになってしまうかと…――とはいえ…すみません、貴方に相談もなく考え、俺が勝手に決めていいことではないんです、こんなことは…。俺こそちゃんと話をするべきでした。本当に、反省しています……」
 
「……いいえ…本当に、僕のほうこそ……」
 
 僕はソンジュさんのふかふかした胸板に顔を自らうずめ、自分の情けなさに熱くなった頬を隠す。
 
「…いえ…でも俺、ユンファさんのお気持ちはとても、…はは…正直、舞い上がるほど嬉しかった…――ありがとう…。俺のほうこそですよ、ユンファさんがまさかそこまで考えて、俺のことを想っていてくださったなんて……軽率だったのは、よっぽど俺ですから。」
 
「…………」
 
 どこまで…――どこまで優しいの、だろう。
 何度も何度も謝ってくださって、僕のほうがよっぽど馬鹿で悪かったのに、何度も謝ってくださる。
 ソンジュさんは時折怖い人になる。――しかし基本的には、どこまでも懐が深く、恐ろしくなるくらい優しい人なのだ。――自分が小さくて、本当にちっぽけで、どうしようもない存在だとよくよく認識してしまうくらいだ。
 
「…あんなこと言っておいて、結局俺は、ユンファさんのお体のことを二の次にしてしまった…――軽率に、貴方のナカに出してしまいましたから…本当なら俺は、こんなことを言う権利すらないんですよ…申し訳ない。」
 
「いいえ、そんな…むしろ僕があのとき、ナカに出してと……」
 
「いえ…だからといって、本当に出していいわけじゃありません。…そもそも、スキンを着けないこと自体が間違っていました。――今後はきちんとスキン着用の上で、俺は貴方を抱きます。…本当に、申し訳ありませんでした」
 
「…い、いえ、そんな…そんなそこまで……」
 
 ソンジュさんの胸板にうめた僕の顔が、きゅっとなる。…擽ったいとさえ思う。
 僕にとっては、スキンを使わないセックスこそが普通で、それこそがいつも通りで、本当に…――いつも僕のナカには、常に誰かしらの精液が入っているのが普通のことだった。
 避妊薬を飲んでるんだからいいだろ、と言われ、いつもナマで挿れられて、当然のように奥の奥で、いつも射精されていた。――だから僕は、ソンジュさんのことをナマで受け入れたときも正直、なんら疑問にすら思わなかった。
 
 いつか父親のわからない子を孕んで、その子を遊び半分で産まされる可能性だって、僕は正直、察していたくらいだったのだ。…だからか…――そこまで尊重していただけると正直、僕はどうしたらいいのか、なんと答えたらよいのか、わからなくなってしまうくらいだ。
 もしソンジュさんと結婚できたら…――幸せだろうな。
 
「…さて…とにかく、俺としては…今はまずユンファさんには、ご自身のことを最優先にしてほしいんです。…もちろん金銭の要求などは一切せず、俺は貴方に、避妊薬と抑制剤を、貴方に必要なだけお渡しいたしますから」
 
「……、…」
 
 だけ、ど…――。
 凄く安心した。――やっぱり僕は、ソンジュさんが好きだ。本当に愛してる…そして、僕があまりにも幸せで怖くなるほどに、ソンジュさんもまた僕のことを深く愛し、思いやり、僕のことを考え、慮ってくださっている。
 
「…本当に…俺こそが本当に軽率でした。今回の件は、俺が悪いんだ。…俺のその軽率さでユンファさんを追い詰め、傷付けてしまったんですから…――本当に、ごめんなさい……」
 
「……、……」
 
 僕はふるふる、とソンジュさんの胸の中で首を横に振った。――僕は、…いいのだろうか。こんなに幸せで。
 許されるのだろうか…――ソンジュさんは更に、柔らかい笑みを含ませた声で、僕にこう言った。
 
「…そして、ユンファさん…――いずれ必ず、俺の子を産んでください。…俺も貴方に…貴方にこそ、俺の子を産んでほしい。…俺もまた、ユンファさんの血を引いた子が欲しいです。…貴方を本当に愛してる……」
 
 
 
 

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