ぼくはきみの目をふさぎたい

🫎藤月 こじか 春雷🦌

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翳目 ※

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 ソンジュさんはしばらく何も言わなかった。
 そうしてそれきりお互いに沈黙していながらも、彼は僕の太ももから引いた手で、俯きがちな僕の片頬をしばらく撫でていた。慈しむような、とても優しい手付きだ。
 
「…………」
 
「…………」
 
 正直な話、僕が咄嗟にと思うほど無意識に「恋なんかしたくない」なんて言ってしまったことで、僕はソンジュさんを憤慨させるかと思っていた。…はっきりいって僕は内心慌てたが、意外にも彼は怒らなかった。
 
 ただ僕の頬を優しくなで、なで…と撫でてくるその人は、今どんな顔しているのだろう。
 僕はついと瞳だけを上げて、ソンジュさんの顔を窺った。――彼はしゃがみこんでいるが、僕よりも体が大きいのと、僕が床に座っているために高低差があり、なかば僕を見下ろすようだった。
 その人の狼の顔は真顔に近しく、下へと向いている顔はもちろん、その淡い水色の瞳も翳っている。――翳っている…が。
 
「……キューピッドが放つは、普段理性的な賢者からをも理性を奪う。するとその賢者でさえ、恋することへの歓喜を、ただ本能的に求めるようになる…――それには確かに、愚かさが伴っているかもしれません。…」
 
「………、…」
 
 ソンジュさんのその大きな水色の瞳は今、見惚れてしまうほどに、美しい青白の光を自ら光っている。
 まるで夜中に狩りをする狼の目――自ら光を放っているその水色の瞳は、、とさえ思わせる。
 ソンジュさんは穏やかながらもどこか固い、静かな声でこう言う。
 
「…反発しあうほどに強すぎる本能と理性は、愛と疑念のように…共に在ることはできない。…はなから恋とは罪なことで、愚かなものなのです。…怖いかもしれませんね。ユンファさんにとっては、きっと大きな変化でしょうから」
 
「……、…」
 
 ゴクリと喉が鳴る。――本を読むことが好きな僕は、その海外の神話もまた物語として好きなのだ。…ソンジュさんはもしか、そのことすら知っているのだろうか。
 『愛は疑念と共に在ることはできない』――そう言ったのは、アモルという海外の神様だ。
 そして僕は、“カナイさん”としての彼と会ったとき、彼のことをまるで神様だ…――僕はソンジュさんのことを、、と思ったのである。
 それも今のように、暗闇の中で、自ら青白い光を放つその双眼を見ながら…――。
 
 妙だが、僕は何か目が覚めるようだった。
 そうして目が冴えると今度は、食い入るように彼のその光る瞳をじっと見つめてしまう。
 
「ですが、それでよいのですよ。そのように神は、人を創り出したのだから…――愚かなほど素直に、それでいて深く、強く…俺たちはただ、愛し合えばいい」
 
「…………」
 
 魅入っている。
 ソンジュさんの淡い水色の瞳は、もうと言わざるを得ない。…透き通り、光り輝き、あまりにも、あまりにも綺麗だ。――澄み渡った雲一つない青空のようでありながら、透き通った海水のようでもある。
 優しい朝の陽の光を全身に纏っているかような、ホワイトブロンドの豊かな体毛、その狼――太陽の大神おおかみ…それでいてそのアクアマリンの瞳は、夜の月明かりの元でこそやっと、本物の輝きを見せる、ようだ。
 
「恋など本当はしたくない…そうは言ってももうユンファさんは、恋をしてしまっているのだから…――どうせなら、楽しみませんか? 変化というものは往々にして怖いものだが、楽しもうと思えば、それだけで少し…気持ちも楽になるものですよ」
 
「…………」
 
 優しく光る青白い両眼、優しい木漏れ日の笑顔。
 また神様のように戻ったソンジュさん。――僕には時折、彼が悪魔にも見えるときがある。
 神様の中にある残虐性、暴虐性、破壊衝動――破壊と創造、壊せば壊すほど、何かを創り出す神様。――人を喜ばせ、安心させ、幸せにすることも容易い神様…それと同時に、人を殺し、壊し、不幸にすることも容易い。
 
 いや、神様だからこそ、善と悪の二元性を一つの体に内包しているのかもしれない。
 神様であるからこそ、理性と本能の二つを同時に持ち合わせている。…神様は、悪魔をも創り出せる。――いや、天使も悪魔も、もとは神様の中に在った存在なのだろう。
 生と死も、善も悪も…世の中にある二極的なものはすべて、そのどちらも神様が創り出したものなのだろう。
 
「キューピッドが放つは、確かに人を賢くする。しかし…それと同時に、恋なんて馬鹿なことだ、恥ずかしいことなんだと、頭で否定して、臆病にもなってしまいます…――鉛の矢を打たれたダプネーは、自分を追い掛けて来るアポロンの求愛が怖くて、逃げ回り…結局、月桂樹となってしまいましたでしょう。」
 
「…………」
 
 なかばは僕に問いかける形でのそれ…やっぱりソンジュさんは、僕があのギリシァ神話を好んでいることを知っているのだと思う。

「しかし、そうして熱狂的な求愛をしていたアポロンもまた、本来は理性的な神です。…その理性的な神が、キューピッドの金の矢に胸を打たれたせいで、ダプネーに恋をしてしまった…――ふふ…アポロンにそっくりなユンファさんの胸には、一体どちらが?」
 
「……、…ふふ……」
 
 僕をやわらげるように冗談っぽく穏やかに笑い、とんとん、と優しく僕の胸板の中央を叩いた、ソンジュさんの人差し指の腹。――僕に鋭い爪が刺さらないようにと、彼のその指はやや反っていた。
 
 自分の胸を見下ろす僕は、きっともうわかっている。
 溺れるほどの恋をしてしまう金の矢――理性的になって恋を嫌うようになる鉛の矢――そのどちらがいま自分の胸に刺さっているのか、その実は僕はもうわかっているのだ。
 
「…………」
 
 ただ…以前――モウラとのことがあったとき――に刺さってしまった鉛の矢が、まだ抜けていないのかもしれない。
 
 
 
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