ぼくはきみの目をふさぎたい

🫎藤月 こじか 春雷🦌

文字の大きさ
上 下
290 / 606
Frozen watchfulness

20※

しおりを挟む
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「…………」
 
 すると僕の、そのなんとも言えないでいる顔を見ていたソンジュさんは、何か飄々としていながらも――どこか呆れたような笑みをくいと、傾ける。
 
「…ふっ…ユンファさんが今思っている疑問は、まあ、なんとなくわかりますよ。…俺の両親は、俺のことを心配してくれないような人たちなのか……そういった疑問が、今あるのでは?」
 
「…、…はい…正直、……」
 
 とてもじゃないが、そのことをはっきり口にすることはできなかったのだが。――しかしむしろ、ソンジュさんのほうがその件について、呆れた笑みを浮かべながらも、明かしてくれた。
 
「……ふっ…そうですね、――たとえば…俺が小学三年生の冬、テストで98点を取ってしまったときなんか、どしゃ降りの雨の中、家の外に一人で立たされまして……」
 
「………、…」
 
 僕は、思わず眉を顰めてしまった。
 冬…の、――どしゃ降りの、雨の中?
 それでなくとも気温の低い冬に、ただ外に立たされるだけでも酷いだろうに、――その上、雨の中?
 その冬の冷たい雨に打たれている、小学三年生の男の子が――たった一人で、立ちすくんでいる。
 
「…ちなみにそのとき、家族はあたたかい家の中、俺抜きで、食事を続けていました。夕飯時でしたので…――俺は外…家の庭からガラス越し、家族が食卓を囲んで笑い合ってる姿を、ただ見ていたな……」
 
「…………」
 
 息が止まるほど、聞いている僕が辛い。
 あたたかい家の中に灯った明かりを、どしゃ降りの雨が降りしきる暗闇のなか、窓の外から眺めている――小学三年生の、びしょ濡れの小さな男の子。
 家の中で、自分抜きで楽しそうに笑い合っている、幸せそうな自分の家族…――一方の自分は、たったの一問ほど間違えたテストの罰で、ガタガタ震えてしまうような極寒の中、それをただ眺めているだけ。
 
「………、…」
 
 お腹だって空いていたに違いない、寒くて寒くてたまらなかったに違いない、暗くて怖くて、悲しくて、悔しくて、寂しかったに違いない…――身も心も冷え切って凍え、とても辛かったに違いない。
 ソンジュさんは伏せ気味の、その切れ長のまぶたの下で、薄水色の瞳を暗く虚ろに、翳らせている。
 
「…そうして食事も抜きで、長いこと冬の冷たい雨に打たれていたものですから……当然俺はあのとき、風邪を引いてしまった…――ですが、俺の両親はそんなときにも、俺のことを心配をするどころか……」
 
 ソンジュさんは伏せた目線の先、翳った淡い水色の瞳を、まるで誰かを睨み付けるかのように険しくした。…しかし、それでいて、馬鹿にしたような歪んだ笑みを、その朱色の唇に宿すのだ。
 
「…高熱が出ている俺を叱りとばし、いつも通り学校に行かせました。――それでなくともテストで100点を取れなかったんだから、これ以上恥を晒すな、甘えるな、根性を持て…ってね。…」
 
「…………」
 
 僕は強くまばたきをして、熱くなった目をごまかした。
 僕まで悔しいような、悲しいような、なんとも言えないこの感情は、ただの同情にしてはあまりにも熱く、激しいものだ。――怒り、に近いだろう。
 
「…そして、もっと恨みがましいことを言えば、俺の妹や弟は、風邪でもちょっと引いた日には、大丈夫、辛くない? なんて、チヤホヤ甘やかされて…――一方の、九条ヲク家を背負う俺は、風邪ごときで甘えるな、そんな情けなくてどうするんだ、お前の体調管理がなってないからだ、と叱りとばされ、殴られる……ふ、…」
 
 ソンジュさんは鼻で失笑し、つぅ…と瞳を動かして、僕の目を鋭く射抜いた。
 
「…つまり、たちなのですよ、俺の両親というのはね。――九条ヲク家を背負う、俺の将来の心配こそしても、心配なんて、あの人らがするはずないのです。」
 
「……酷過ぎる、……」
 
 会ったこともない――ましてや他人様ひとさまのご両親を悪くいうのは違うかもしれないが、…はっきりいって、ソンジュさんがこれまでにご両親から受けてきた行為は、明確に児童虐待にあたると、僕なんかでもわかる。
 僕は軽蔑したような小声でそう言ってしまったが、するとソンジュさんはパッとその水色の目を強く光らせて、「おやおや」と何か、不敵な笑みを浮かべた。
 
「…すみません、また不幸自慢になってしまいましたね。…しかし、どうぞご心配なく。――形式上は俺の親ですが、俺はあの人らのことを、親だとは思っていない。」
 
「…………」
 
 したたかなようである。
 しかし、ソンジュさんは決して、したたかな人ではない。――いや、したたかな人というだけではない、というべきか…いまだに深く深く傷付いているからこそ、彼は手首を切ってしまうし、ああしてわんわん泣いてしまったのだ。――僕はそうわかっているからこそ、辛くて、何も言えない。
 
「…なぜって、俺はあの人たちに、長年虐待をされてきたのですから。――どうして親だと思えるでしょうか。…敵を、どうして普遍的な価値観でいうところの、味方だと思えるでしょうか? それこそ、あの人たちが俺を虐待してきたエピソードなんて、語ればキリがないほどありますよ。…」
 
「……、そう、ですね…、そうですよね……」
 
 唯一無二の、愛されたかった両親に、自分は虐待をされてきた、と――それを言葉にできるようになるまで、一体ソンジュさんは、どれほど傷付き、苦しんできたのだろうか。…あの人たちは自分の敵だ、敵だった…そう言わなければならない彼は、どれだけいまもまだ、辛いだろうか。
 
 “あの子”は、まだ泣いているのだ。
 悲しいことだ。――もはや、悲しいことだ、というだけでは収まりきらないほどだ。…悲しいこと、なんて言葉じゃあまりにも、軽率だとさえ思うほどなのだ。
 その言い尽くせない悲痛さに、僕は……――ほろ、と。
 
「……、…ごめんなさい…また、泣いてしまって……」
 
 勝手に、嗚咽するでもなく、勝手にまた…――涙が、僕の片目から、こぼれ落ちていった。
 するとソンジュさんは、優しい目をしてくれた。…穏やかな笑みを浮かべて、僕の涙に濡れた頬を、人差し指の側面で拭いつつ…彼はやや眉尻を下げて、僕の目をのぞき込んでくる。
 
「……いえ…、ユンファさんの綺麗な涙は、俺のことを癒やしてくれる…――救いだよ…。本当に美しいよ、ありがとう……」
 
「……いいえ…、…」
 
 僕はまぶたを閉ざして、顔を横に振った。
 するとソンジュさんは、「俺のために泣いてくれて、本当にありがとう」と――僕のことを抱き締めてくれた。
 
 
 
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

カテーテルの使い方

真城詩
BL
短編読みきりです。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

真・身体検査

RIKUTO
BL
とある男子高校生の身体検査。 特別に選出されたS君は保健室でどんな検査を受けるのだろうか?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

処理中です...