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ぼくはぼくの目をふさぎたい※モブユン
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しおりを挟む「……聞いてもいないことを、失礼いたしました。――ただ、ユンファさんがずっと、私の目に障がいがあると思って私に接するつもりだったなら申し訳ないですから、念のためお教えしておこうかと。」
「……そうですか、どうも…」
聞いてもいないことを、とは言うが、そりゃあ僕にしてみればむしろ教えてくれてよかったくらいだ。…その疑問がはっきりしていたほうがいいのは、もちろんそうに決まっている。――いや、むしろもっと教えてほしいくらいだ。
「………、…」
なぜそんなことをしているのか、僕の頭には次の疑問が浮かんできている。――とはいえはっきりと、その疑問をソンジュさんにぶつける勇気は僕にない。
「なぜ、とその理由が知りたいのなら…何でもはっきり聞けばよいのです。…私はその実、その理由を恥じてはいませんから。――それに…私は自分がそうしている理由を、ユンファになら話しても構わない」
「……、…」
そこまで言うのなら、と僕はソンジュさんのほうへ振り向いた。――そして聞いた。「なぜ、そんなことを?」と。…すると彼も、そういぶかしむ僕に振り向き、その艶のある若々しい青年の唇に微笑みを浮かべ、切れ長のまぶたをすっと細めて僕を見てくる。
「…これには、三つほど理由があります。――目が見えないことで、見えるものがあるのですよ。…」
「…………」
目が見えないことで、見えるもの――。
僕は興味を持ち、彼のその神妙な薄水色の瞳を見ている。
「…たとえば、本物の視覚障がいを持つ方だけが見えているもの、感じているものが見えてくる。――その人たちが普段、どのように生活をし…人からどのような扱いを受け、また、どのような世界で生きているのか……」
そう語るソンジュさんは、微笑んだままに前を向いた。
組んだ脚の、太ももの上に組んだ両手を置き、背もたれに背を預けながらもやはり姿勢は良く。
「…しかし、アルファとして生まれた私はもともと、耳も良く、鼻も効く…――五体満足の上で、さらに人よりも恵まれています。…耳栓をしても、この耳は聞こえてしまいます。鼻を塞いだら、息ができません。まさか、四肢を切断することなど、とてもできません。――そんな自分には、どうしても経験できないことがあるのです。ハンディキャップを背負って生きている人にしか、わからない世界がある…」
「…………」
ソンジュさんのスッとした横顔は遠くを見ているが、何かとても真摯なようである。
「…ですが、目を塞ぐことだけはできます。…私は、作品のためならば何でもするタチなのですよ。…深く知りたいことは、当事者に話を聞くよりも、実際に自分が経験したほうがよりわかるものだ。経験は、作品を豊かにします。――ただその実、私が目を塞ぐ理由は、何もそればかりではない。…」
「…と、いいますと…?」
僕は興味が深いあまりに自然と、そう更なるソンジュさんの言葉を求めた。――するとその人は、何か…悲しげな目を伏せた。…ほとんど目を閉ざしているような、かなり薄い開かれ方のまぶたの縁を彩る、その長めなまつ毛が彼の下まぶたに影を落とす。
「――私の目は、見えすぎるのです。」
「…………」
とても悲しげな横顔に見える。
儚げに、世を憂いているような、綺麗な横顔に見える。
「…目が見えることが幸いであることは、どこまでも当然のことだ。――しかし、過ぎれば何事も、不幸な要素にはなり得る……平凡的なほうが、幸せなこともあるのです。人の感情が、人の下心が、人の心の声が……何もかもが見える私の目は、その実厄介な目なのですよ…」
「…………」
「その上、この聞きすぎる耳が、利きすぎる鼻が、私に絶えず人の心を読み取らせます。――はっきり言って、かなり疲れてしまう…」
ソンジュさんは目線を伏せたまま、ふ、とその顎だけを僕のほうへと向けた。――そのまま彼は、小さくその朱色の唇を動かして。
「私は、見たくないのです。――見たくないものを、私は見ないのです。…そうして自分の目だけでも塞ぎ、弱い己を守っているのです。」
「…………」
そこでソンジュさんは、ゆっくりとまぶたを動かして、僕の目を見た。――寂しげに揺れる淡い水色の瞳が、僕のことをじっと見て捕らえる。
「この醜い世の中を。――醜く、罪深い人間たちを。――この世にはびこる美しくないものを。――この目に映す、価値もないものたちを。」
「………、…」
その瞳に宿った憎悪。――それでいてソンジュさんの顔は、人形のように整った無表情である。
「…見てしまえば、私は過剰に知ってしまう。それらを見てしまえば、私の目はそれをいつまでも覚えてしまう――カメラで撮った映像を、メモリーディスクに保存するように…その場面の映像を、この頭で、鮮明に記録してしまうのです。」
「………、…」
それは、映像記憶、というらしい。
もちろん僕なんかは持っていない能力だ。――ただ、いわく子供にはわりと、その良すぎる記憶力を持っている人はそう珍しくはないそうだ。……しかしその能力は、大人になるに従ってほとんどの人から失われる。
そして、大人になってもなお、その映像記憶の能力を持っている人のほとんどは、知的障がいのある人か、あるいは、かなりの高IQ者であると言われている。
たとえば辞書や教科書、本なんかを丸暗記する、たとえば以前に経験した記憶を、匂いや感覚、色合い、誰が何をしていたか…そういったものを事細かに記憶できる――そう聞くと、普通の人は羨ましく思うかもしれないが。
その能力を持っている人たちは――その実、覚えていたくはないことまでも、そうして鮮明に覚えてしまうのだという。…つらい記憶でさえも、忘れたくとも、忘れられないのだというのだ。
感情の失われたソンジュさんの表情――その目は、何かに怯える子供のように弱々しく揺らいでいる。…それでも彼のその美しい水色の瞳は、僕を見ている。
「…それらを見て、記憶してしまえば…そう思うと、私はとても恐ろしい…、すると先ほどのように耐えきれず、吐いてしまうようなこともしばしばあります。――残念ながら…その実、私の精神はかなり弱い。…私の脆い精神は、醜いそれらへの恐怖に、耐えきれないのですよ。」
「………、…」
ソンジュさんは変な人だ。
そう思っていた。――本物の視覚障がい者の方に失礼だ。――僕は、そう思っていた。
でも、今の僕は、そう思った自分を恥じている。…思慮が足りなかった。――しかしソンジュさんは、そんな僕のことをも、僕の顔を見て、察したようだった。
僕の気持ちを肯定するように、そして、なかばは自分を卑下するように笑うソンジュさんは。
「…ユンファさんが恥じることは、何もありません。――たとえ、私がわざと視覚障がい者のふりをしている、愚かしい変な男に見えていたとしても…それはその実、本当のことなのですから。」
「…、ごめんなさい、その理由を聞いたら…今はもう…」
「いえ、よいのです。…」
謝らなくて、というニュアンスで柔らかくそう言い、ソンジュさんはまた前を向いた。
「それと、三つ目の理由ですが…――盲目の男を演じると、…誰も私のことを、九条ヲク家の人間だとは思わないのです。…それが、大変心地よいもので」
「…………」
僕は言葉を失ったが――そこでふっと笑うその人の横顔は、どこかホッとした淡い微笑みがある。
「以上です。…ね。私は先ほど、貴方になら…と言ったでしょう。――ユンファさんにならご理解いただけるだろうと踏んで、私はこの話をしたのですよ。…よかったです、その実批難されるかと、内心はヒヤヒヤしていました。」
「…………」
彼、もしかして九条ヲクの名前が、重い、……いや、ソンジュさんもまた強く、そして弱い人なのかもしれない。
ソンジュさんは、アルファ属の――それも九条ヲク家に生まれ、あたかも人の目には完璧な人のように映っていることだろう。
しかしそれでも、やはり――そういったソンジュさんであろうともやはり、人は人なのだ。
生きている人はみんな、弱く儚くも、強くたくましい。
それは、たとえ傍目には完璧に見えるような人であっても、やはり変わらないことなのである。
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