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神の目は見ている※モブユン
15
しおりを挟むでも、僕は潤んでくる自分の目を、しかめられる自分の顔を俯かせ、…――泣いている。
感情がめちゃくちゃだ。――ガアアッと頭に血が上り、どこか怒りに近い熱さを全身に感じている。
「…っそんなこと、冗談でも言わないでくれ…っ! どうせモウラと同じで、貴方だって僕を騙すつもりなんだろ! 僕を利用して、……っ」
そして感極まり、こんな失礼で、粗野な言い方をしてしまった。――いや、本当は…これこそが僕の素だ。これは僕の、もとの口調なのだ。その実、ずいぶん久しぶりにこんな口調を使った。が…それが出てしまうくらい、自分でも一瞬驚いたくらい、僕は感情が昂っている。らしい。
「…いえ、冗談のつもりではなかったのですが…――事実、今朝“DONKEY”にて、代理で貴方の辞職交渉もして…」
「っもうからかうのはやめてくれ、…っ僕だってこれでも、…性奴隷でも…――裏切られたら傷付くんだ、騙されたら、…これ以上、誰かに騙されたら…僕、本当に、…死を選んでしまうかもしれない……」
僕はもう誰も信じられない――こんなに甘い話があるものか。…ありえない、ありえない、ありえない。――感情がコントロールできない、…ソンジュさんが悪いことをしたわけじゃないこともわかって、――でも…それはまだというだけだろうし、
「……。あのお話を聞いておいて、この切り出し方は我ながら軽率でした、申し訳ない。――しかし、私はユンファさんをからかっているつもりも、騙すつもりもないのです。…ただシンプルに、貴方を助けたいと…」
そう言うソンジュさんの声は、困っているふうのセリフの割に、いたって冷静沈着そのものという整った声と弁舌であった。――僕は逆に、その冷静な態度が癪だった。
「…っ僕は助けなんかいらない! 正直余計なお世話だ、こんな男が、…僕がっ? 悲劇のヒロインじゃあるまいし! 僕は助けを待ってるお姫様なんかじゃないんだ、僕はオメガでも、これで男として自立しているつもりだ、僕を助けるヒーローもヒロインも魔法使いもいらない、…」
「…念のため言っておきますが、――私はたしかに、真剣に貴方のことを自由にしたいと、あのようなことを申し上げました…、しかし、私は貴方のことを救うヒーローとして、そのように言ったわけではありません。」
淡々とそう言ったソンジュさんは「私も酷いエゴイストなのです。多くの人が、そうであるようにね」とぽそり、そして彼は、僕の片手の甲に手を添え。
「…ですが、貴方を自由にして差し上げたいというのも、また、ユンファさんを助けたいという気持ちも…――嘘ではありません。」
僕は俯いたまま、彼のその手がやけに邪魔に思えて、パッと払い除けた。
「…僕は、…っ本当に助けなんかいらないっ! どうせ救われない、僕なんか救われない、…っ僕は、誰かに自由にしてもらわなくたって、勝手に、自分一人でも自由になれる、…っもう放っておいてくれよ、もう…これ以上は……――もう、やめて…、…」
しかし、僕の怒りの感情はしぼむ。
今度は、体の底から震えがくるような恐怖に変わる。――頭を抱え、混乱し、勝手に涙がボロボロ目からこぼれてくる。
「もうやめてぇ…っやめて…やめて、やめて…! やめてください、ごめんなさい、ごめんなさい…、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「……ユンファさん」
「…ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい…」
「ユンファさん。」
「……っ?」
静かに僕の荒ぶった感情を制するよう、僕の名前を呼んだソンジュさんのその確かな声に、僕はハッとした。
もう一度――ソンジュさんは、僕のことを抱き締めて、僕の耳元で…僕の名前を、呼ぶ。
「ユンファさん。」
「…はぁ、は…、…は……」
「…私に――言ってくださいませんか」
「……、…は…、…?」
僕は、ソンジュさんの優しい声に自然、耳を澄ましていた。
「――…“助けて”、と。…」
「………、…」
僕の唇は迷う。――「助けて」と、今にも言いたそうに、唇が何度も彷徨う。
でも、言えるわけがない。
「言えない、…言えないです、そんなこと言えません、――僕には、言えない…っ馬鹿で、自業自得でこうなってる僕は、…そんな甘えたことを言う権利、ありません、…っ」
ましてや僕は、今助けなんかいらない、とソンジュさんに怒鳴って、拒んでしまったばかりじゃないか。
どうしてそんな僕が、今更、今更、今更、――言えない、
「助けて」なんて言えるわけがない。
泣きながらそう言った僕の耳元で、ソンジュさんは少し、やわらかくも少し呆れたように、ふふ、と笑った。
「…それはなぜです、ユンファさん? 助けを求めることに、権利なんか必要ありません。…それに、今いらないと言った貴方の言葉は、いわば病が言わせたことだ。…大丈夫――ですから、たとえ囚人であろうと、もう助からない病人、奴隷、たとえどれほどの罪人であろうとも、…“助けて”と言ってよいのです。」
「…、………」
僕の頭を優しく撫でてくる、ソンジュさんの手――不思議と落ち着く、この人の低くおだやかな声。
「…貴方はこれまで…守りたいものを、その身を呈して守り、一人で、とても立派に戦ってきた。…そしてユンファさんは、その実勝ち続けてきたのです。だから今、貴方はこんなにボロボロになっても、それでも生きている。…――しかし思うに、人には負けるべき瞬間もあるものです。…次に、必ず勝つためにね。」
「…………」
どうして、か…――まぶたが重たくなるほど、僕は気持ちが落ち着いてきた。…気持ち良い、心地良い、と思うのだ。ソンジュさんの腕に抱き締められていると、彼に優しく髪を撫でられていると、…彼の、この神聖な感じのする低い声を聞いていると。
「…剣を振りかざすのみが、勝負に勝つための戦略でしょうか。いいえ、違う…――ときには逃げてもよいのです。休まず、何も食わぬ戦士が、戦場で敵に勝てることはありません。…もしユンファさんが、私の元に来てくださるというのなら…貴方がこの腕の中で憩うときには、私は必ず、貴方をお守りいたします…」
「………、…」
どうして…こんなに――ソンジュさんの声で紡がれる言葉たちは、こんなに…僕の胸に、心地良い小刻みな振動を、もたらしてくるのだろう。
「…それに…あくまでも当然の話ではありますが、一人では勝てない敵など、この世の中には多くいるものです。…つまり、ただ一人で剣を振り回していても、そのうちに貴方は――殺されてしまう。…」
「……、そん…ソンジュ、さん…」
駄目だ…僕、やけに眠くなってきた。
あまりにも、心地良くて――体の力が抜けてゆく。
「……っ、…ぁ…」
あまりにも脱力してしまった僕の上半身が、後ろへと倒れてゆく。
それを、僕の腰に手を回して支えてくれた、ソンジュさんに――抱きかかえられて、…僕は自力で体を起こそうとテーブルに手を着くが、…どうも駄目だ、力が入らない。ずる、ずる、と指が引っかかっては、落ちてしまう。
「……あ…、あ……ごめん、なさい…」
「ふふ…いいえ、謝ることは何もない…」
しかしソンジュさんは、そんな僕を愛おしげな目で見下ろし、微笑むだけなのだ。――脱力した僕の腰が、背中が後ろに反れ、ソンジュさんが僕の腰の裏を支えてくれているからかろうじてまだ、僕は椅子に座れている。
「……貴方は一人で、立派に戦ってきた。…ですから、その誇り高き姿勢に敬愛を示し、私はこう言っているのですよ、ユンファさん。――ときには人に、助けを求めてもよいのだ、とね。」
「……、…」
神様だ…――やっぱり、彼。
僕を見下ろすその薄い水色の瞳――美しい顔。
その優しい、神聖な響きの声――やっぱりソンジュさんは、僕のところへ来てくださった、…神様なんだ。
「…ユンファさんは、“助けて”と言ってよいのですよ。…もし、仮にそのことに権利の有る無いが存在していたとしても…――確実に、ユンファさんにはその権利があります。…」
「…………」
ソンジュさんは、僕の力の入らない手がテーブルの端でもがくのを取り、その手で僕の片頬をするりと撫でて、ふう…と美しく微笑む。
「…さ…もう大丈夫ですから…、安心して、私に体をゆだねて…――私の首に、腕を回して、ユンファさん…?」
「……、……」
そう慈愛に満ちた優しい声で言ったソンジュさんの顔が、…あまりにも美しい。…光り輝くような金色の髪、なめらかな象牙の肌――彫刻めいた顔、あまりにも美しいその、透き通った淡い水色の瞳に、僕の目は釘付けになる。
僕が敬愛する――神様のように、神々しく見える。
「……、…」
すると僕は自然に、ソンジュさんのうなじへと両手を伸ばしていた。
ゆっくりと、震えながら伸ばしたその青白い手――そして僕は、腕を、彼のうなじに巻き付けていた。
「…ふふふ…」
「…………」
ソンジュさんは、そんな僕の背中を抱いた。
そして…――僕の耳元で、そっと囁いてくる。
「ほら、私に言って、ユンファさん…――“助けて”、と…」
「………、…」
僕が今、しがみついている存在は――縋っている存在は、…神様なんだ。
ソンジュさんはアルファ――神の子孫。
彼はやっぱり――本物の、神様だったんだ。
「……、…」
僕はそっと重たいまぶたを閉ざした。――涙がまた、頬に伝ったが…悲しいわけではない。
むしろ今は、自分でも意外に思うほど、かなりおだやかな気持ちなのだ。
まるで――毎夜神に祈りを捧げている、あのときのような…今しかない、今の僕しかない、布団にくるまった自分しかない、…海に揺蕩う己を、空から眺めて省みる――祈りを捧げ、懺悔する。
やっと――貴方は、僕を助けに来てくださった。
やっと僕を救いに来てくださったんだ。…僕の祈りは、ちゃんと通じていたんだ。やっと貴方は、僕を迎えに来てくださったんだ。――疑ってしまって、ごめんなさい。
「…ごめんなさい…助けて、…ください……」
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