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神の目は見ている※モブユン
9
しおりを挟む泣いてしまった僕の気持ちが落ち着くまで、ソンジュさんは僕の頭を撫で続けてくださり――そして、優しく抱き締め続けてくださった。
それどころか、自分の懐からやわらかいハンカチ――これも凄く良い匂いがする――を取り出して、そっと僕の涙まで拭いてくださったのだ。
――なんて優しい人なんだろう。
「………、…」
でも…と僕は、彼の腕の中でうつむいた。
手渡されたその茶色いおしゃれなハンカチ――よく見たら、僕でも見たことのある高級なブランドのマークが刺繍されている――を太ももの上に置いて、それをやんわりと持ったまま、僕は水っぽくなった鼻をすすった。
僕なんかに――性奴隷の僕なんかに、無条件で優しくしてくれる人なんか、この世の中にはいない。
僕はもうそのことを、痛いほどよくわかっている。
こんなに優しくしてくださるソンジュさんが求めているものは――僕の、過去の話だ。
彼のこの優しさは、それが聞きたいためなのか、はたまた僕を、本当に家へと連れ帰って何かしらを目論んでいるのかはわからないが、――少なくとも、ソンジュさんには目的がある。…だからこそ、僕にこう優しくしてくださるのだと、僕はよくわかっている。
「…すみません、ありがとうございます…――そろそろ、話…、続けますね……」
「………、わかりました。お願いします」
ソンジュさんは僕がそう言うと、反応にやや間を開けつつも、また僕の隣の椅子へと腰かけた。――彼の、いささかの感情の揺れを感じた。…いや、メソメソ泣いていた男を慰めていたら、突然その男が話を続けようというのだから、それは当然のことだろうが。
「…そう…今はもう慣れましたけど、自分でこうなったくせに、自業自得のくせに…馬鹿だから、はじめは結構つらかったんです…――そんなとき、モウラと出会いました。モウラはじめ、このカフェのお客様として現れて……」
はじめモウラは、ケグリ氏の息子であることを隠して僕に近づいてきた。――『こんにちは』…はじめはそう、何気なく僕に笑顔を向けて話しかけてきたのだ。
そして、モウラは…――。
「…大丈夫って…、そんな格好させられてるけど、って――性奴隷の僕を、心配しているように声をかけてきて…」
首には赤い革の首輪、胸元は透けて、乳首が見えていた。…ただこのときにはまだ、ニップルピアスはなかった。――とはいっても、首輪をして、わざとらしくシャツに乳首を透けさせている僕は、誰がどう見ても性奴隷そのものであった。
そんな僕が性奴隷であることを、あたかもモウラは心配したようなことを言って――『顔も真っ青だし…、てか、よく見たら結構綺麗な顔してるね、お兄さん』
「…そうやって僕を心配したあと、モウラは…よく見たら、僕が綺麗な顔しているって…正直、そのときの僕にとってそれは甘い、言葉で……」
「…………」
「…ズテジ氏にはブスだなんだって言われ続けて、よく生きていられるなとか…僕を犯す人たちはみんな、僕の図体がデカいとか、…酷い人は、僕の頭に袋をかぶせて犯す人もいたし、――だから、そのときにモウラに言われた、何気ない容姿への褒め言葉は、…僕にとっては、本当に…嬉しいもので……」
泣きそうになるくらい、嬉しかった。
別に自分のことを綺麗だなどと、思い上がっているわけじゃない。――自惚れているつもりはないが、…それでも、嬉しかったのだ。
「…それで…モウラは店に来るたび、いつも僕のことを綺麗だとか、可愛いとか、…そうやって、扱って……」
そうしてモウラに優しく、甘く扱われているうちに、僕はいつしか…――モウラが店に来てくれることを、心待ちにするようになっていった。
普段はそれと真逆な扱いを、僕は毎日毎日、誰しもにされていた。――ただモウラだけが、僕のことを尊重し、好意的に、優しく接してくれる人であった。
モウラはあたかも、ケグリ氏と関係ない人の素振りで僕に近付き、あたかも僕に惚れたような顔をして――僕をデートにまで誘った。
「…モウラが来てくれると、彼と話していると、そのときだけは心が安らいで……そ、それに、僕、生まれて初めて、デートにも誘われたんです…――馬鹿ですよ、本当…そんなのに、浮かれて……」
ただ、僕ははじめこそ断っていたが、ケグリ氏が「たまにはいいぞ」なんて…今思えば、その時点で何か確実におかしかった。
でも、マスターでありご主人様であるケグリ氏が、僕とモウラのデートの許可を下ろしたとき、僕は――。
「…僕、…ほんと、馬鹿で…、ケグリ氏がデートすることを許したとき、――正直、…嬉しくて……」
そうして浮かれて行った初めてのデートのとき、どうせもう汚れた体だったくせに、毎日毎日、さんざん犯されてるくせに、――モウラにホテルへ誘われた僕は、『まだ、できないよ。貴方とは、まだ恋人じゃないから…』と。
馬鹿みたいだ。――そんな馬鹿な乙女めいたことを、モウラに、本気で言ってしまったのだ。
「…馬鹿で、本当に、…っ本当に、僕は、…っどうしようもない大馬鹿者で……」
モウラはそんな僕に『わかった。そりゃそうだよね』と引いた。――そうして、その日は本当に、何もなかった。
「…大事にしてもらえているって、…っ勘違いしてしまって、……」
何もなかったからこそ、僕はモウラに自分を大切にしてもらえたように感じて、嬉しかったのだ。――僕のことを性奴隷だとわかっていても、セックスを強要してこなかったモウラは、…モウラだけは僕のことを、性奴隷だとは思っていないんだ、と。
ツキシタ・ヤガキ・ユンファという一人の人として、尊重してくれているんだと――僕は勘違いしてしまったのだ。
「それで、…僕、三度目のデートのとき、僕は、モウラに交際を申し込まれたんです、…それに頷いてしまったんです、ほんと、…本当に、僕は救いようのない馬鹿だから、…」
恋人ができたんだ…こんな僕にも、優しくて素敵な恋人ができたんだ…――そう思って浮ついたまま、僕は、
「…馬鹿じゃない。」
「……、…」
太ももにある、僕の手首をそっと掴み――ソンジュさんは、少し怒っているような低い声で、そう言った。
「…貴方は、馬鹿じゃない。――なぜそう、…ユンファさんは、何も悪くないじゃないですか。…」
「……それは、…どうでしょうね…」
どうだろう…――僕がもっと世の中のことを知っていれば。…世間知らずの、甘ったれたお坊ちゃんであった僕は、自分の価値を見誤っていた。
僕が、自分の価値を、もっとよくわかっていれば。
自分は世の中で、自分が思っているよりもずっと価値がなくて、世の中の人にとっての僕の価値なんか、このオメガ属の体だけで、――そしてその価値は、しばしば人に利用されてしまうものなのだと、あのときにわかっていれば。
僕が、もっと賢い人間だったら…――きっと僕は、モウラに騙されることはなかった。
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