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152 守っておくれ

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「…っユンファ様、…ユンファ、…っユンファ!」
 
「……っは、…はぁ……、…ぁ……」――ユンファ様は、自分の赤くなった手を見下ろし、呆然としていた。
 
 正直にいえば、このあとどうしたのやら…あまりにも焦り、あまりにも悲観して俺は、どうもよく覚えていない。
 俺が無理を強いたからか、それとももう――ユンファ様の寿命の限りが、よりにもよってこの日に来てしまったのか。
 
 ユンファ様が吐血したのはその一度だけだったが、とにかく俺は彼に横になれと、――いや、風呂に入れてやったか、…どうだったか、――あまりにも気が動転していて、もう本当によく覚えていないのだ。
 
 しかし、意外にもユンファ様は、その白い手指から滴るほどの血を吐いたわり、その後はやけにピンピンしていた。…大丈夫だよ、ソンジュ、本当に大丈夫だ…――むしろその人のほうが落ち着いた様子で、慌てている俺に終始、そのように声をかけてくれていたような気がする。
 
 
 そして今はただ、お互いに着物を着直して――ただ並んで寝台に座り、あの窓から見える、…さまざまな色にぱあっと明るくなっては暗くなる夜空を、俺たちはただ二人、ぼーっと眺めていた。
 俺の頭は霞がかり、悲しい衝撃にいまだ、信じられない心持ちがしていた。――ただ俺は、離したくはないとユンファ様の片手を上から、ぎゅっと冷や汗にまみれた手で握っている。…俺のその指先は、珍しくひんやりとしていた。
 
「…………」
 
「…………」
 
 ドォォン…と打ち上がり――ばらばらばら、と散る。
 そうした花火の音は聞こえるが、この部屋からそれが夜空に打ち上がる様は見えない。
 するとここでユンファ様が、俺へと気遣わしげな声で話しかけてきた。
 
「……先は、驚かせてしまっただろ、ソンジュ……」
 
「……、いえ、そんな…お体は大丈夫なのですか…? 横になられたほうが……」
 
 はたと振り向けば、今はすっかりと落ち着きを取り戻した美しい横顔が、俺の真隣にあった。
 こんなときにもユンファ様は、相変わらずしゃんと背をまっすぐに伸ばし――その白い着物の衿元が肩口まで開き、赤い半衿に触れているその人の雪白の肌、浮いた鎖骨、流れるような長い首。――思えば何も、この婚礼の衣装を着せ直す必要はなかったな、…浴衣でも何でも楽な衣服を着せてやればよかったのだ。
 
「……心配は、いらないよ」
 
 そう言った彼は、窓の外がパッと赤く明るくなっては――すーー…と消え入るように暗くなる様を、何か神妙な横顔で、寝台からじっと眺めていた。…そのたび色付いた光に照らされては、すうっと陰るその美しい横顔が、俺の目にはどうも気丈で、儚げに映っている。
 
「…そんな…つまりもう、ユンファ様のお命は……」
 
 俺がこの胸に渦巻く悲痛に彼の手をぎゅっと握り、そう口走るなり――ユンファ様はきょとん、として俺に振り返ると、ややあってなぜか、可笑しそうにははは、と笑った。
 
「…ううん、違う。いや、確かにもうそろそろ、という証ではあるのだけれど…――あれはただの、前兆だ。…蝶はああなってもそうすぐに死んでしまうわけではなくてね…、こうして徐々に、僕の体が弱ってゆくというだけのこと……」
 
「………、…」
 
 しかし、吐血されていてはにわかにそのお言葉、俺は信じることができず、ただ眉を顰めて黙り込んだ。
 そんな俺のことを見て、苦笑を浮かべるユンファ様は。
 
「…本当だ。信じておくれソンジュ…、もしかしたら僕は、死ぬ前に君の子を産んでから死ねるかもしれない…」
 
「……、…、…」
 
 どちらにせよ、と――諸行無常の理とは、万物にもたらされるもの。我が命とていずれ散る。そう理解し、惜しんでも致し方ないとは思えども、俺は悲しくて目線を伏せた。…その伏せた俺の視界に映るのは、ユンファ様の首にあるあの首飾り――薄紫色の宝石は今、青みがかった濃い紫色となっている。
 
「…そうしたら、君が僕たちの子を、守っておくれ……」
 
「……、もちろんでございます、ユンファ…、…っ」
 
 奇しくも俺たちは――あのお伽噺とまるで同じような恋路を歩んでいる。
 
『 蝶と狼、永恋えいれんの誓いにつがい合う。
 たくさん卵を生むけれど、蝶は長くは生きられぬ。
 守っておくれ、僕らの可愛い卵たち。
 
 
 守ろう、必ず守ろう、僕らの可愛い卵たち。 』
 
 
 俺の頭の中で幼子の声、そのお伽噺が語られる――。
 するとユンファ様は、泣きそうなほど悲観した俺をはは、と笑い、…俺の頬をするりと片手で包み込んで、あまりにも易く、優しく俺の顔を、持ち上げた。
 
「……ソンジュ…ソンジュ、僕の狼…――僕の大神おおかみ…、どうか悲しまないで」
 
「……ユンファ…、我が胡蝶よ……」
 
 見つめるその薄紫色の瞳は、ユンファ様の胸元にある宝石と、まるで同じ色をしている。
 

 
「……きっとまた、逢えるから…――。」
 
 
 
 優しい胡蝶の微笑みは、その羽のようにとても儚い。
 
 
 
 
 
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