胡蝶の夢に耽溺す【完結】

🫎藤月 こじか 春雷🦌

文字の大きさ
上 下
127 / 163

127 若旦那の気分で

しおりを挟む

 
 
 
 
 
 
 
 ――俺は傘を片手に王都を下り、よく栄えている街に出た。
 …ユンファ様つきの護衛――とはいえ、彼が部屋に閉じ込められている以上、俺は、部屋に鍵をかければ多少離れることを許されている。それは昼の暇の際もそうだ。
 
 というのもユンファ様は、その“鱗粉”の強いお力があるため、専属の召使いが無いのだ。
 使役できる者といえば、せいぜいが俺ばかりであり――まあ部屋の清掃やら、服を着せるなどの世話、食事を持ち込む下女こそあれども、その者たちが彼につくのは、ほんのひと時のことなのである。
 
 本なんかも結局俺が要望を聞き、下女に頼んで持ってきてもらう…という格好である。
 もちろん、どのような本があるやら知らぬユンファ様であるため、どのような本があるのか、という一覧の載った書を見て彼が題名から選び、それを図書室から持って来させるのだが。――つまり俺は、正式に認められている仕事ではありながらも、こうしてユンファ様の使いに出されたことは、初めて、というわけだ。
 
 それもこの度、俺が買ってこなければならぬものは――俺の目に一際美しく映った毛糸、あるいは俺の目に初めに映った色の毛糸、とのご要望なのである。
 
 ならば俺以外が行っても意味はなく、ほかでもない、俺こそが行かねばならぬ。
 
 
 
    ×××
 
 
 
 
 
 
 俺は正直、編み物のことは何も明るくない。
 そのため俺は、立ち寄った手芸店の店主の老婆に聞いた。――首巻きに必要なだけの毛糸の量を、そして俺の目に初めについたその毛糸が、それほどの在庫が有るのどうか、を。
 
 店主の老婆は、心配ない、それだけの在庫はある。
 と言う。が…しかし店主いわく、――ユンファ様には毛糸のみを頼まれたのだが――、首巻きを作るにはという道具が必要なんだそうだ。
 まあ手で編めぬこともないが、一般的にその棒針とやらを使ったほうが、初心者には易いものなんだと。
 
「…では、その棒針とやらも頼む。」
 
「…はいはい、首巻きをお作りするんでしたよねぇ。若旦那、ならばこれでいいかしら?」
 
「………、…」
 
 と、言われても、俺にはさっぱりわからぬ。
 …というのもその棒針とやらにまで、大小さまざまな種類があり、しかも材質まで木やら鉄やら、石製のものまであるそうだ。――正直俺には何が違うのか、どれが首巻きを作るのに相応しいのやら、全くわからなかった。
 
 そもそもその棒針とやらを、どうすれば首巻きを編めるものなのかさえわからぬ俺は、その終始柔和な顔をしている老婆に困りきり――「…あぁ…初心者が首巻きを編むのに、一番相応しいものをくれないか」としか言えず。
 
 結局はその店主に全ての判断を委ね、初心者かつ首巻き程度ならばこの大きさの、この木製で十分だろう、というので、それを頼んだ。
 
 
 そして店主の老婆は、俺が持ち寄った麻袋に棒針やら毛糸やらを詰め込みながら、やけにニヤニヤとしていた。

「奥様のお使いですか、若旦那? 随分感心な旦那様もいたものねぇ。――あたしらの時代の旦那なんか、なぁんにもしなかったわ。買い物すらしなかったものよ……」
 
「……、あぁ…さようで」
 
 普遍的には見えたか。
 そんなもの、なのか…――本当は違うが――俺はつい本音に従って、そのことを少しも否定しなかった。
 どうせ誰にバレるでもない。どうせこのときばかりの関係性であるこの老婆に、そうした些細で幸せな嘘をつくことくらい、許されるだろうと。
 
「ええ、本当に…最近の人は偉いのねぇ」
 
「…はは…、いや、それほどでも……」
 
 ユンファ様の――旦那、か。
 …この老婆にだけは、俺たちの関係性を認めてもらえているような、そんな馬鹿げた夢を見ている気分であった。
 
 本当のところは、ユンファ様の従者である俺が、その人に頼まれたものを買いに来た、という、ただそれだけの、使…ということではあるのだが。――配偶者の頼まれものを買いに来た旦那…不意にそんな浮かれた気分になっては、俺はそれきり、ずっとニヤけていた。
 
 
 
 そうして気分良く、俺は傘を片手にも早急に、足早に、毛糸、そしてその棒針を買って帰った。――雨に濡れた手が凍り付くようであった、寒さに足も縺れそうになったが、息が上がるほどに俺は早足であった。
 
 早くユンファ様の元へと帰りたい。
 …さながら本当に、お使いに出た若旦那の気分で――。
 
 そして俺が、部屋の扉をコンコンコンと拳の骨で叩くと、ややあってガチャリと鍵が開く。――そのままユンファ様は扉を狭く開き、そして帰った俺を扉の隙間から見るなり、「おかえり」と少し笑った。
 
「……た、ただいま…ぁ、ただいま帰りました」
 
 妙なことだ。
 あの店主の言葉のせいやもしれぬ。――いや、俺が愚かにも浮かれていたせいだろう。…変につがった伴侶同士のような空気感は、まだ此処に帰っても続いていた。
 そして俺を部屋の中へ迎え入れたユンファ様は、俺の手にある麻袋を見下ろしている。
 
「ありがとう…、今年の冬は冷え込むそうだから」
 
「…ええ、だそうですね。…はは…き、きっとジャスル様も、お喜びになられるかと……」
 
 やはり俺の言葉は、ユンファ様に届いていたか。
 ましてや、ましてや、…俺が期待感を噛み殺してそう言うと、ユンファ様は「うん」と小さく鼻で返事をした。
 ――俺はユンファ様へ、その麻袋を手渡す。…受け取った彼は、「ありがとう」と再度柔らかい声で俺に礼を言うと、踵を返した。
 
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

BL短編まとめ(甘い話多め)

白井由貴
BL
BLの短編詰め合わせです。 主に10000文字前後のお話が多いです。 性的描写がないものもあればがっつりあるものもあります。 性的描写のある話につきましては、各話「あらすじ」をご覧ください。 (※性的描写のないものは各話上部に書いています) もしかすると続きを書くお話もあるかもしれません。 その場合、あまりにも長くなってしまいそうな時は別作品として分離する可能性がありますので、その点ご留意いただければと思います。 【不定期更新】 ※性的描写を含む話には「※」がついています。 ※投稿日時が前後する場合もあります。 ※一部の話のみムーンライトノベルズ様にも掲載しています。 ■追記 R6.02.22 話が多くなってきたので、タイトル別にしました。タイトル横に「※」があるものは性的描写が含まれるお話です。(性的描写が含まれる話にもこれまで通り「※」がつきます) 誤字脱字がありましたらご報告頂けると助かります。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

営業活動

むちむちボディ
BL
取引先の社長と秘密の関係になる話です。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

処理中です...