胡蝶の夢に耽溺す【完結】

🫎藤月 こじか 春雷🦌

文字の大きさ
上 下
73 / 163

73 幻の火の花

しおりを挟む

 
 
 
 
 
 
 
 俺はすっと立ち上がり、寝台に腰掛けたままのユンファ様へと片手を差し出した。
 
「…もういいだろう。――貴方様を何年も何年もあんな狭い小屋に閉じ込め、貶し、勝手に罪を着せ、迷惑がって…その挙げ句の果てにはあのジャスルと結婚させ、そのまま惨くも死ねという。…貴方様は、ただ五蝶に利用されているだけだ。…そんな五蝶のため、ユンファ様が身を切られる必要など、どこにもありませぬ。」
 
「……、…ふ…」
 
 少し目を見開いて、俺を見上げていたユンファ様はふ…と幸せそうに、淡く微笑み――おもむろにまた月へと、その顔を向けた。
 
「…うん。それもいいね…」
 
「……本当でございますか?」
 
「…うん…、逃げて、…しまおうかな…?」
 
 笑みを浮かべた美しい横顔…ユンファ様の声は、泣き出しそうな気持ちを喉元までで堪えたように、少しだけ震えている。
 
「…逃げたら…、死ぬまでに、もっといろいろなものを見られるかもしれないし…。ソンジュ様…実は僕、一度でいいから…花火が見てみたいんだ。――はは…」
 
 笑顔で俺に振り返ったユンファ様は、やはりニコニコとして、俺を見上げる。
 
「…五蝶では、毎年夏に祭りをやるんだが…、そのときに、いつも花火、というのがあがっているらしい……」
 
「……、……」
 
 その薄紫色の瞳をキラキラさせて、ユンファ様は俺を見ながらニコニコしている。――彼は悲しいくらいに、無垢な笑みを浮かべているのだ。
 
「…どーん、という大きな音が聞こえて…裏庭がぱっとさまざまな色に染まって、明るくなる…夜なのにだよ? はは、面白い。そして、またじんわりと暗くなるんだ…――ソンジュ様は…、ソンジュは、見たことがある? 花火、夜空に上がっている花火…」
 
「……ええ。…」
 
 花火すら、見たことがないのか。
 …俺は切なくなり、しかし、正直この胸から込み上げてくるものは――五蝶への怒りである。
 俺は怒りを覚えている――だが、一方のユンファ様は決してそのように、恨み言を言っているわけではない。
 
 ただ純粋に――花火が見てみたい、と、はしゃぐ子どものような目を、彼はまた静かな星空へと向ける。
 
「…そう…。僕は、見たことがないんだ。――小屋に来た人に、昨夜のあれは何? と聞いたら、花火だと教えてもらって…、そういえば、物語の中にも出てきたけれど…本物を見たことはないから……」
 
「…………」
 
 ため息さえ出そうである。
 あの五蝶に呆れて、だ。――確かに蝶族が持ち得る魔力、その“鱗粉”の力が強いユンファ様に、普通の生活をさせることはできなかったのかもしれない。…それこそはじめは、彼を守るという意味もあったのかもしれぬが、…だからといって、あのリベッグヤ殿のように、軽蔑の眼差しでこの無垢な人を誰しもが見ていたというのは、どう考えてもおかしい。――それどころか、嫁ぎ遅れを厄介払いできる上に利用できる、という婚姻で、国のため、好きでもない醜男の中年に犯され尽くしてから死ね。
 
 何も知らぬ、穢れなき子供にそれを、言っているようなものではないか――。
 
 ユンファ様は目をキラキラさせて、興奮したかすっと立ち上がると、俺へ向かい合い――軽く小首を傾げる。
 
「…ねえソンジュ、夜空に、火の花が咲くんだろう? 花火って綺麗かい?」
 
「…ええ、とても」
 
 俺は思わず微笑み、ユンファ様に頷いて見せた。
 すると、俺の返答に目をより一層輝かせ、にっこりと笑ったユンファ様は。
 
「そう。僕、見てみたいな。――凄く綺麗なんだろうね。…二人で見たい。ソンジュと、二人で」
 
「……ならば、花火…二人で見ましょう、ユンファ様。この籠から逃げ出せば、花火を見られる機会もあるかと」
 
「……、そう…? そうか…、…ふふ…」
 
 ユンファ様は、逃げ出せば、という俺の言葉を聞くなり、はたと表情を失い――ややあって曖昧に笑いながら、目線を伏せた。
 俺はなかば慌てて、彼の手を取り、笑いかける。
 
「…明日の“婚礼の儀”を迎えるまでは、ユンファ様はまだ、独身でございます。――まだ貴方様は、ジャスルと結婚したわけではない。…逃げるなら今です、ユンファ様」
 
「……うん…」
 
 ほとんど愛想笑い…その顔をうつむかせ、ユンファ様はまたしおしおと、寝台に腰掛けた。――するり…俺の手から、彼の白い手があえなく逃げて行った。
 
「……、…、…」
 
 俺は直感した。
 この人は――俺の手を取るつもりはない。
 
 
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

BL短編まとめ(甘い話多め)

白井由貴
BL
BLの短編詰め合わせです。 主に10000文字前後のお話が多いです。 性的描写がないものもあればがっつりあるものもあります。 性的描写のある話につきましては、各話「あらすじ」をご覧ください。 (※性的描写のないものは各話上部に書いています) もしかすると続きを書くお話もあるかもしれません。 その場合、あまりにも長くなってしまいそうな時は別作品として分離する可能性がありますので、その点ご留意いただければと思います。 【不定期更新】 ※性的描写を含む話には「※」がついています。 ※投稿日時が前後する場合もあります。 ※一部の話のみムーンライトノベルズ様にも掲載しています。 ■追記 R6.02.22 話が多くなってきたので、タイトル別にしました。タイトル横に「※」があるものは性的描写が含まれるお話です。(性的描写が含まれる話にもこれまで通り「※」がつきます) 誤字脱字がありましたらご報告頂けると助かります。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

営業活動

むちむちボディ
BL
取引先の社長と秘密の関係になる話です。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

処理中です...