46 / 163
46 己の牙を抜きたい
しおりを挟む俺は思わず、ユンファ殿をガバリと抱いた。
…ひく、と彼はやや驚いたようだが、――俺こそが泣くのを堪え、それでも俺は、その人の硬い背中を何度も撫でさする。
「……っ、…っ」
いや、そりゃあそうだ。
俺だって薄々、本当はわかっていたろう。
なぜわざわざユンファ殿が、ジャスル様のお部屋付きの浴室で、ご入浴なさったのか。
そう考えれば、いやに信憑性しかないほどだろう。
ジャスル様が怖い…――死にたい、だったのだ。
…俺と接吻ができぬなら死んでやる――そのような言葉の裏、それの奥底に隠れていたのはきっと――「いっそ死んでしまいたい」であったのだろう。
一夜の夢が見たい…――辛い現実を、今宵だけは忘れたい。
「……、…、…」
俺は、なんてことを、言ってしまったのだ。
わかっていたろう、わかっていただろうが、――いくらユンファ殿のためを思い、突き放そうと言った言葉であろうとも、――そりゃあ、…怖いだろう。
まさか嘘なわけもなく、甘えているわけでもない、…先ほどユンファ殿は――無理やりその身の純潔を、ジャスル様に奪われたのだから。
先だって乱暴に犯された人が、その悲しみにまぶたを閉ざすことさえ怖いと思うのは、どこまでも当然のことだろう。――目を瞑ればたちまち、そのまぶたの裏に、先ほどの辛い現実が浮かび上がってくるものだ。
しかしそうであっても、それほどの辱めに合っていたというのに、ユンファ殿は――俺に、ただ側にいてほしい、と。
話をしてくれなくとも構わない。
触れてくれずとも構わない。
ただ、側にいてほしい――。
どれほど悲しかったか、どれほど辛かったか、どれほど悔しかったかわからぬユンファ殿は――それでもたった、たったそれだけのことしか、俺に求めなかったのだ。
それこそ恥ずかしくてとても言えなかったのだろう、彼は何度も俺の「なぜ怖い?」に口ごもっていた。――ましてやユンファ殿は、俺に、その辱めのことを告発したってよかったのだ。
いくら英雄ジャスル・ヌン・モンスであっても、法を破ったということには違いない。そう思って然るべきであり、その人に酷いことをされたのだと、この縁談は破談だ、とまで、俺に、国に告発したってよかったはずだ。
それでいてユンファ殿は――ただ、側にいてほしいと。
甘ったれているどころかユンファ殿は、誰よりもこの婚姻に対して、固く覚悟をしているのだ。…だから、今ひと時の恐怖が紛れればそれで、それだけでいいと…――それだけ、たったそれだけのことを、切に願っていたのだろう。
それほどの辱めのあとに、俺のささやかな気遣い――たった一個の赤い林檎、それから愛想笑いの笑顔、…それだけのことでも、そりゃあその目が潤むわけだ。
それどころか彼は、せめて、初めての接吻だけは俺としたかった。――それができたら、もう思い残すことはないと。…自分の純潔を、汚辱の形で奪った男に、あの俺とのちょっとした接吻の一つで彼は、あのジャスルに、これで自分のすべてを捧げられる、というのだ。
――何ということだ。
正式にメオトとなった後のことなら、まだ彼も覚悟して挑めたろうか――いや、しかしおそらくは、だからこそあの男は、遅かれ早かれだ、などと言って――嫌がっているユンファ殿を無理やり暴き、それこそ本当に、犯したのだ。…それも、人の目の前で、その者どもはただ見ているだけで助けもせず、止めもしない。
そんな絶望の中、無理やり犯されたあとでもなお――ユンファ殿は、あの林檎に微笑んでくれたのだ。
「……っ、…~~っ!」
俺は確実に、先ほど言ってはならぬことを、ユンファ殿へ言ってしまった、――。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説

BL短編まとめ(甘い話多め)
白井由貴
BL
BLの短編詰め合わせです。
主に10000文字前後のお話が多いです。
性的描写がないものもあればがっつりあるものもあります。
性的描写のある話につきましては、各話「あらすじ」をご覧ください。
(※性的描写のないものは各話上部に書いています)
もしかすると続きを書くお話もあるかもしれません。
その場合、あまりにも長くなってしまいそうな時は別作品として分離する可能性がありますので、その点ご留意いただければと思います。
【不定期更新】
※性的描写を含む話には「※」がついています。
※投稿日時が前後する場合もあります。
※一部の話のみムーンライトノベルズ様にも掲載しています。
■追記
R6.02.22 話が多くなってきたので、タイトル別にしました。タイトル横に「※」があるものは性的描写が含まれるお話です。(性的描写が含まれる話にもこれまで通り「※」がつきます)
誤字脱字がありましたらご報告頂けると助かります。





ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる