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44 接吻
しおりを挟む俺は、この部屋の出入り口へと戻った。
一方のユンファ殿は、寝台に腰掛けたまま――しばらくの間、ずっと赤い林檎の表皮をなで、なでと慈しむように、撫でさすっていた。
そして彼は、その林檎を見下ろしながらときおり、「ふふ…」とほんの小さな笑みをこぼしていた。
…それはまるで、何度も何度も――俺があの林檎を手渡した場面を、何度も頭の中で、反芻しているかのように見えた。
その赤く色付いた林檎を、また平たい胸の中央に抱き、ふぅ…とため息をつくこともあった。
そうかと思えばユンファ殿は、その半透明の口布の下へ、おもむろにその林檎を持っていった。――いよいよそれを、召し上がられるのかと思いきや。
ユンファ殿は、その真っ赤な林檎に口付けた――ただ、それだけであった。…まるで、愛しい人と接吻を交わしているかのようにまぶたを閉ざし、その白い頬をほんのりと薄桃色に染めて、…林檎を離せば、ユンファ殿は薄くまぶたを開け、またその林檎を胸に抱いた。
彼は…俺と、接吻をしているように思いながら――あの林檎に、口付けたのだろうか。
痛々しいまでのお気持ちだ。――俺はその実、今にもユンファ殿から目を逸したかった。…それくらい、見ていて辛い光景であった。じわじわと、言い過ぎたと、あまりにもこの無垢なユンファ殿を貶めすぎてしまったと、後悔している。
しかし、「ならば死にます」と言ったユンファ殿のあれが、どうも脅しですらない――本気のような、そんな嫌な予感がしていては、その人から目を逸らすことができなかった。
そうしてしばらくはずっと、ユンファ殿は、その赤い林檎と戯れていた。
しかしそろそろ、本当に休むつもりになられたか――そっと大切そうに、赤い林檎を寝台の枕元に置いたあと、彼は先ほど、薄水色の羽織りを脱いだばかりだ。…ちなみにその羽織りの下に着ていた、彼のその薄桃色の着物には袂がなく、まるで俺が着ている着物の袖のように、筒状となっていた。
そして今ユンファ殿は、するり…頭にかぶっていた白い頭巾を持ち上げた――すると…ふぁさ…と現れたたおやかな黒髪は長く、パラパラとその人の薄桃色の肩に落ちた。
「…………」
「…………」
あぁ、寝間着にお着替えなさるのか…――ならば俺は、目を背けなければならぬ、とは思うのだが。
しかし、先ほどこの二階から身を投げようとしたこのユンファ殿から、目を逸らすということはどうも、やはりはばかられる思いがある。――万が一、ということが、なくはないようにも思えてたまらぬのだ。
それにしても――。
「…………」
「……、…」
やはり、…美しい…――。
雪のような白肌に、真っ黒な髪。――憂いを帯びた薄紫色の瞳、伏し目がちの美しい、切れ長の白いまぶた。
続いてユンファ殿は、薄く透けた口布の紐を、耳から外した――はらり…外されれば、見えた。
ふっくらとした、艶めく赤い唇。…今しがたまで泣いていたばかりにか、やや薄桃色に染まった鼻の頭は、高い。
「…………」
「…………」
やはり…美しい。
いや、それどころか――妖艶だ。
今は虚ろな表情をしているが…――先ほどユンファ殿は、笑ってくださった。…嬉しそうに、はにかんで、楽しそうに、ニコニコとして…可愛らしく無垢に、綺麗に、儚げに、それでいて…誰よりも美しく。
先は言い過ぎた、…か…しかし、あれくらい酷いことを言ってしまわねば、ユンファ殿を無闇矢鱈に期待させてしまったやもしれぬ。――俺と彼は、結ばれることが許されないどころか、想い合うことさえ…許されない。
しかし…まるで人形のように虚ろな顔をしていても、それでもユンファ殿は美しい。…目が釘付けになるほど、…いや、これならばたしかに、ジャスル様の目にも特別留まる、という意味である。
つぅ…と潤んで光る、その薄紫色の瞳が虚ろに、おもむろに、遠くの俺を見て、俺を見据えている。…まるで獲物を見つけた獣のような、そんな鋭く妖しい切れ長の目、その薄紫色の瞳――ハッとした俺は、顔を伏せる。
「…………」
「……、…」
ユンファ殿が、と、と、と、――彼は俺のほうへ、足早に歩み寄って来る。
まだ何か、まだユンファ殿は、俺に用があるのか。
いや、大丈夫か? あるいは俺にではなく、――あの大きな窓のほうへ行っているのではないか。
そう思い、俺は顔をはたと上げた。
ハッとした。
「……っ!」
目の前に立っているユンファ殿は、ぎゅっと目を瞑り、眉も寄せ、…その気配に逃げようとした俺だが、――。
「――……っ!?」
ふに、
と――次の瞬間にはもう、彼の柔らかく熱い唇が、己の唇に押し付けられていた。
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