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41 淫蕩な僕に、初心な接吻を

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「…なんにも、言わなければよかったな…、ただ遠くから眺めているだけで…満足していれば…――そうしていれば、少なくとも、ソンジュ様に嫌われることは、なかったのだろうに……」
 
 小さく詰まり、しゃくり上げながらそう呟いたユンファ殿は――はぁ…と薄いため息を吐く。
 そして、彼は赤い林檎をぐっと胸に押し当て、悲しげに眉を顰める。
 
「……ソンジュ様、ごめんなさい…、子どもみたいに甘ったれた、情けない我儘ばかり、本当にごめんなさい…。貴方様に、そんなのは甘えだと言われて、確かにと、恥ずかしながらハッといたしました…――ですが、僕は本当に、貴方様に、可愛いと思われたかったわけではありません…。しかしご不快に思われたこと、本当に、申し訳なく思っております……」
 
「…………」
 
 そう切実に、真摯に俺へ謝り、ユンファ殿はまぶたを閉ざしたまま、更に涙で湿った声を小さく出す。
 
「…しかし…、僕は本当に…本当に、ソンジュ様を困らせたかったわけではないのです…、もちろん誘っていたわけでもなく…――想い合えるなんて、そんな酷い勘違いをしていたつもりもなく…触れてほしいと、…抱いてほしいと思っていたわけでも…ありません……」
 
 胸に林檎を抱き、目を瞑ったままのユンファ殿は、はぁ…と震えながら浅く息を吸い込むと、眉をぎゅっと顰めて、その顎を軽く引く。
 
「いえ、ごめんなさい…きっと、それは嘘です……」
 
「……、…、…」
 
 ユンファ殿はやはり目を開けず、それでいて悲しげに、その半透明の薄紫色の布の下で、自嘲し笑う。
 
「…叶うなら…貴方様に、触れてほしいと…。たとえ想い合えずとも…それでも、ソンジュ様がもし、僕のに、誑かされて――僕に…触れてくださったとしたら、どんなに……」
 
「……、…」
 
 俺はもう、これでは…先ほど以上の酷いセリフは、これ以上はもう言えぬ。…とてもじゃないが、もう言えぬ。何も、言えぬ。――きゅ、と歪むユンファ殿の美しい目元。…長く黒々としたまつ毛が、その人の白い下まぶたに張り付いて艶めき、美しい扇のようである。
 
「…ソンジュ様に触れてもらえたら、どんなに幸せか…、どんなに、嬉しいか…。ソンジュ様を見て、そう思ってしまったのは、正直事実なのです…。なら僕は、結果的に…――貴方様を、はしたなくも誘っていたということだ…、ごめんなさい…本当に、気持ち悪い……」
 
「……、…、…」
 
 頭を下げるように、うなだれたユンファ殿。
 気持ち悪いなどと、本当は少したりとも思っちゃいない俺だ。…むしろ…いや。少なくとも、そう何度も謝られると、俺は、どんどんユンファ殿にほだされそうになってゆく。――むしろ、あんなに酷いことを言ったのだから、むしろ俺のほうが、何度も何度もこの方に謝らなければならないはずだ。…そうとすら、思えてくるのだ。
 そしてユンファ殿は、蚊の鳴くような小さな声で。
 
「…しかし、僕のは…よりにもよって、本当にお慕いしている方には効かぬようです…、いっそ、ソンジュ様にこそ効いてほしかった…――むしろ、貴方様にだけ効けばよかったのにな…。…いえ、…だからこそ僕は、ソンジュ様をこれほどお慕いできるのかもしれません……」
 
 ゆっくりと持ち上がる、その切れ長のまぶた――その人は、林檎を持つ手をおもむろに下げてゆき、…その林檎を捨てるように、ゴトンと床へ落とした。
 
「……これは、ただの林檎です…、ただの、林檎……」
 
 ぽそり、ぽそりと悲しげにそう呟き――そして、キッとしたユンファ殿は俺の目を見て、またはらりと、涙をこぼした。
 
「……、…」
 
「…………」
 
 俺をじっと見つめてくる、その薄紫色の瞳は真剣そのもの――あまりにも透き通った美しい瞳に、つい魅入っていた俺は、…ハッとした。
 
「……っ!」
 
「…なっ何を、…」
 
 にわかにユンファ殿が、…バッと俺に、その身を寄り添わせてたのだ。
 首を傾けてその顔を俺の耳の隣へ、俺の上体に身を寄せ、俺の胸板に手を着いて――その人はきゅっと思い切ったように顔をしかめていた、白い頬を紅潮させながら、…今もなお、小さく震えている。
 
「…しかしお願いが、どうせ嫌われてしまったなら、…はしたなくも、…」
 
「…っなりませぬ、…」
 
 俺はドキドキと胸が逸るが、――そっとその人の肩に手を添え、…優しく、引き離した。
 しかし、彼は俺の胸元の布をきゅうと掴み、また…ぐっとその身を寄り添わせてきた。
 
「…っソンジュ様、ならもう一つだけ我儘が、…」
 
「…いえ、いえ、もうお願いなどきけませ、…」
 
 
 
 
 
「っ僕に接吻をしてください、…」
 
 
 
 
「……、…は…っ?」
 
 
 
 何を、言って…――。
 
 
 
 
 
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