35 / 163
35 蜜入り林檎は贈り物
しおりを挟む「…わかりました…」
「…………」
俺はうっかり、その悲しげなユンファ殿の翳った美貌に見惚れていたが、“わかりました”と聞ければいよいよ、さっさと持ち場へ帰ろうと立ち上がり――しかしまた俺の着物の裾を、縋るように掴むユンファ殿は。
「…ならばソンジュ様、せめて僕を、どうか一晩お側に置いてくださいませ…。それをお許しくださるなら僕はもう黙ります、もう一言たりと、何も口にはいたしませんから……」
と――切実な表情で、そう俺に。
どきり、と俺の胸の中で、心臓が小さく跳ねる。
「…ぃ、いえ、なりませぬ、…申し訳ないが…私はあの扉から、よっぽどのことがなきゃ動いてはならぬと、…」
「では、僕がそちらに参ります」
それでも切ない顔をして言い募るユンファ殿は、どうやら本気らしく、…そこでふっと立ち上がった。――警戒心から思わず俺は、とた、とたと何歩か後ずさる。
俺より拳一つ弱低いユンファ殿の背だが、…その美しい顔が近い、と――。
「……今宵だけ、どうか僕を、ソンジュ様のお側に置いてくださいませ……」
「……、な、なりませぬ…」
弱い拒否となってしまった。――いっそ、泣きそうなほど切実な顔して俺を見てくるユンファ殿に、俺は強く出られないのだ。
「…何故そのようなことを……」
ユンファ殿は――俺があちこちに目を泳がせているのにも関わらず――俺のことをじっと見つめ、胸のあたりでその両手に林檎を持ったまま、ずいとそれごと身を軽く乗り出して、…キッと強気なまでの真剣な顔を、赤らめる。
「……僕…、僕は、…ソンジュ様のことを……」
「なりませぬ。」
察した俺は、あわやユンファ殿がその言葉を言い切らぬようにと、すぐさま低い声を出した。――はっきり言って、幼子の相手をしているような困惑を覚えつつも、俺はふるりと顔を横に振る。
「…ユンファ殿…明日の“婚礼の儀”が昼からとはいえ、どうぞもう眠られよ、――いや、お体のためにもまず、何か少しでも召し上がれたほうがよい…、その林檎でも、あるいは他の……」
「いえ、とても。これはとても食べられません。」
ふるり、真剣な顔を横に振るユンファ殿は、胸の高さで持った赤い林檎を見下ろしふわり、顔をほころばせた。
「…この林檎、あまりにも大切で…、僕にとっては、いわば宝物でございます…――食べられません…。とても、もったいなくて……」
そう言っては、背丈の違う俺を、軽く見上げてくるユンファ殿――その薄紫色の瞳をキラキラさせて、彼は俺の目をじっと、見つめてくるのだ。
「…初めて、贈られたのです…――、…、…」
じわり…――潤むその美しい瞳、薄紫色の口布の下で震えている、そのふくよかな赤い唇。…可憐に小さく動く唇、蚊の鳴くような声が、泣きそうにこう言う。
「…贈り物は、生まれて初めて…、いえ…、…」
「…決して贈り物などでは、…」
俺は必死に違う、そのつもりでは、と顔を横に振る。…しかし、俺の声はその人の涙目にほだされて、か細い。
するとユンファ殿は、泣きそうな顔して微笑んだ。
「…わかっております…、ソンジュ様にとっては、この林檎…贈り物などではなかったことも…」――手に持つ林檎をふと寂しげに見下ろしたユンファ殿は、また俺を見て。
「しかし、僕にとっては…初めて、お慕いしている方に……」
「っ贈り物などではございませぬ、――そんなもの、端から此処にあった林檎でしょう、…」
俺は危機感に思わず声を荒げ、…眉やら目元に力を込めながら、ユンファ殿をキツく見た。――その人は険しいだろう俺のことを見て、あまりにも悲しそうな顔をする。
「……、……」
「っとにかく、とにかく寝台に横になり、目を瞑られれば、きっとたちまちお眠りになられますよ、――長旅のお疲れもあることでしょうから、きっと…まずはお試しに、……」
「…困らせて、ごめんなさい…」
悲痛な悲しみを、その美しい眉に宿しながら――ユンファ殿はそれでいて、潤んだ目を細め…俺へ微笑みかけてきた。…ごめんなさい、と俺に謝りながら、俺に微笑みかけてきたのだ。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説

BL短編まとめ(甘い話多め)
白井由貴
BL
BLの短編詰め合わせです。
主に10000文字前後のお話が多いです。
性的描写がないものもあればがっつりあるものもあります。
性的描写のある話につきましては、各話「あらすじ」をご覧ください。
(※性的描写のないものは各話上部に書いています)
もしかすると続きを書くお話もあるかもしれません。
その場合、あまりにも長くなってしまいそうな時は別作品として分離する可能性がありますので、その点ご留意いただければと思います。
【不定期更新】
※性的描写を含む話には「※」がついています。
※投稿日時が前後する場合もあります。
※一部の話のみムーンライトノベルズ様にも掲載しています。
■追記
R6.02.22 話が多くなってきたので、タイトル別にしました。タイトル横に「※」があるものは性的描写が含まれるお話です。(性的描写が含まれる話にもこれまで通り「※」がつきます)
誤字脱字がありましたらご報告頂けると助かります。





ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる