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第四部 一話 津波の予感
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大学を無事に卒業してから、俺はかつての海翔さんがそうであったように時間を見つけては志鶴の研究室を出入りするようにしていた。彼の真似がしたいわけじゃなく、そうしないと二人の時間が少なくなってしまうくらいに忙しくなってきたせいだ。
「え!? 考古学に客員教授!? マジですか!?」
「えぇ、本当ですよ。考古学の特別講座を希望する生徒も増えておりますし、具合よくアメリカの姉妹校から希望があったのです」
論文をチェックする手を止めて、志鶴の秘書のようなことをしている助教授のおっさんが律義に話してくれる。
「随分と暇な人もいたもんですね。いくらこの大学が名門の私立大学でもアメリカの気前良さには敵わないだろうに…」
「理事長がアメリカの大学と同じだけの給料は約束できないと説明したのですが、それでもかまわないとおっしゃって」
俺のツッコミに少し困惑した顔で明かしてくれる。そいつはよほど日本が好きなのか、それとも他の思惑があるのか…
「うさんくさいな。…なにか目的でもあるのかな」
「ないわけもないと思います。木下先生の古くからのご友人だということですし。アランさんの卒業式のようになるのでは? と危惧している職員もいるほどです。…そのこう言ってはなんですが、容姿がひどく…」
そこまで言って困惑を深めながら言葉を濁す。醜くて、と続くのなら言葉を濁したりはしない。この場合、言いたいのは逆の意味だろう。今はボディシェアのせいで美醜が人生さえ決めてしまう時代だ。
「写真あるんでしょ? どうせ」
「えぇ。私などはボディシェアで選ぶ側にも選ばれる側にもなりえませんのでね。美醜などに興味を持ったことはないのですが、大富豪であられる上に… こうですのでね。疑心暗鬼にかられずにいられません」
困った顔で言いつつ、デスクの引き出しから写真付きの履歴書を取り出す。美しい筆記体で書かれた履歴書で、俺は嫌な予感を禁じえないまま受け取り、目を落とす。途端に舌打ちしてしまう。
「ったく…! 志鶴の周りってのはなんでこうなんだよ!」
思わず吐き捨てる。そう言いたくなるほどイケメンで完璧なスタイルを誇っていた。履歴書にクリップで留められたそっけない写真でも、男の俺から見ても。
着ている服がシンプルな紺のスーツであるのが残念だが、一流のスタイリストでもつければ、必ず光り輝く。芸能人か俳優と言われても信じるほどに。
「アランさん、木下先生にお見せできない顔になっていますよ」
そう指摘されてもすぐには表情を変えられない。よく志鶴は俺に奪われる気になってくれたものだ。海翔さんの前に橘行親さんがいて、それと時期を同じくして、この男がいたのに。
『やあ、初めての講義から戻りましたよ。レディの研究室にしては簡素だね』
ドアを開ける音と共に聞こえてくる低く美しい男の声… 歌手でもできるのではないか? というほどに美声だ。実際、なにもしていなくはないだろう。声の美しさというのも時には交渉材料になるからだ。
『あんたが俺の女の幼馴染?』
思わずスラング交じりの英語を使ってしまう。
「アラン、そんな英語を使ってはいけませんよ。彼は考古学の客員教授で、日本名は上条樹といいます」
「初めまして。日本語を使うのは久しぶりだなあ。君の前でなければ、あまり必要としないからね」
そんな軽口を叩きながら俺に向かって左手を差し出す。俺はほとんどプライドだけで握手に応え、
「俺は桐生アランといいます。あなたはハーフでしょう? 俺もですよ。こう見えてイギリス人とのハーフらしいです」
と口元だけに笑みを浮かべて返す。やや吊り上がり気味の目尻と眉が甘くなりすぎな顔立ちを引き締めてくれている。…研究室の外で女の甲高い声が聞こえてくるから、早速女子生徒達を魅了してきたんだろう。
「まだ時間がありますね。三人でお茶にでもしませんか?」
「あぁ、それはいいね。メイドがコーヒー豆を持たせてくれたんだ。志鶴、君の腕前を見せてくれないかな」
優しく艶めいた表情で見下ろして、これ見よがしに志鶴の腰へ腕を回してエスコートしつつ命令してみせる。…大体のことは思い通りにしてきたんだろう。人を動かすことに迷いがない。
『愛しの姫がいつ誰のものになったのか? もう一度俺に教えてくれないかな。この俺、リカルド・フェルナンデスは認めていないのだから』
志鶴が研究室から出ていくのを見送ってから、俺の方を振り返って完璧な英語で告げる。口元に笑みを浮かべてはいるが、緑色の目は刃のように鋭くて。威圧感さえ感じるほどだ。だが…
『言葉より雄弁に語ってやるよ。いずれね』
スラング交じりになったが、遠慮なく見据えて答える。
『プリンスと呼ぶのには、聊か若すぎる気がするのだけれど… そのありようは嫌いじゃないよ。良い友人になろうじゃないか。今はね』
『喜んで。俺は大事な女の前では完璧でなきゃならないと考えているからね。その点だけはあなたとも仲良くできそうだ』
腹黒いのはお互いさまで、謀(はかりごと)や悪だくみにばかり頭が働くのもお互いさま… だからこそ、志鶴の前だけでも友人のように接していようと互いに決めあった。
いつ、どこまで守れるのか? 自信は全くなかったけれど。
研ぎ澄まされていく思考の片隅で、大事な女を奪われそうな不安というのはこんな具合かと海翔さんのことを思わずにいられない。そして、改めて思う。俺の罪深さというものを。それでも、だとしても……
奪うほどに恋焦がれた俺と、奪われることを許してくれた志鶴。この関係はただ道ならぬ恋に溺れてのことじゃないと言い切れるから。
「え!? 考古学に客員教授!? マジですか!?」
「えぇ、本当ですよ。考古学の特別講座を希望する生徒も増えておりますし、具合よくアメリカの姉妹校から希望があったのです」
論文をチェックする手を止めて、志鶴の秘書のようなことをしている助教授のおっさんが律義に話してくれる。
「随分と暇な人もいたもんですね。いくらこの大学が名門の私立大学でもアメリカの気前良さには敵わないだろうに…」
「理事長がアメリカの大学と同じだけの給料は約束できないと説明したのですが、それでもかまわないとおっしゃって」
俺のツッコミに少し困惑した顔で明かしてくれる。そいつはよほど日本が好きなのか、それとも他の思惑があるのか…
「うさんくさいな。…なにか目的でもあるのかな」
「ないわけもないと思います。木下先生の古くからのご友人だということですし。アランさんの卒業式のようになるのでは? と危惧している職員もいるほどです。…そのこう言ってはなんですが、容姿がひどく…」
そこまで言って困惑を深めながら言葉を濁す。醜くて、と続くのなら言葉を濁したりはしない。この場合、言いたいのは逆の意味だろう。今はボディシェアのせいで美醜が人生さえ決めてしまう時代だ。
「写真あるんでしょ? どうせ」
「えぇ。私などはボディシェアで選ぶ側にも選ばれる側にもなりえませんのでね。美醜などに興味を持ったことはないのですが、大富豪であられる上に… こうですのでね。疑心暗鬼にかられずにいられません」
困った顔で言いつつ、デスクの引き出しから写真付きの履歴書を取り出す。美しい筆記体で書かれた履歴書で、俺は嫌な予感を禁じえないまま受け取り、目を落とす。途端に舌打ちしてしまう。
「ったく…! 志鶴の周りってのはなんでこうなんだよ!」
思わず吐き捨てる。そう言いたくなるほどイケメンで完璧なスタイルを誇っていた。履歴書にクリップで留められたそっけない写真でも、男の俺から見ても。
着ている服がシンプルな紺のスーツであるのが残念だが、一流のスタイリストでもつければ、必ず光り輝く。芸能人か俳優と言われても信じるほどに。
「アランさん、木下先生にお見せできない顔になっていますよ」
そう指摘されてもすぐには表情を変えられない。よく志鶴は俺に奪われる気になってくれたものだ。海翔さんの前に橘行親さんがいて、それと時期を同じくして、この男がいたのに。
『やあ、初めての講義から戻りましたよ。レディの研究室にしては簡素だね』
ドアを開ける音と共に聞こえてくる低く美しい男の声… 歌手でもできるのではないか? というほどに美声だ。実際、なにもしていなくはないだろう。声の美しさというのも時には交渉材料になるからだ。
『あんたが俺の女の幼馴染?』
思わずスラング交じりの英語を使ってしまう。
「アラン、そんな英語を使ってはいけませんよ。彼は考古学の客員教授で、日本名は上条樹といいます」
「初めまして。日本語を使うのは久しぶりだなあ。君の前でなければ、あまり必要としないからね」
そんな軽口を叩きながら俺に向かって左手を差し出す。俺はほとんどプライドだけで握手に応え、
「俺は桐生アランといいます。あなたはハーフでしょう? 俺もですよ。こう見えてイギリス人とのハーフらしいです」
と口元だけに笑みを浮かべて返す。やや吊り上がり気味の目尻と眉が甘くなりすぎな顔立ちを引き締めてくれている。…研究室の外で女の甲高い声が聞こえてくるから、早速女子生徒達を魅了してきたんだろう。
「まだ時間がありますね。三人でお茶にでもしませんか?」
「あぁ、それはいいね。メイドがコーヒー豆を持たせてくれたんだ。志鶴、君の腕前を見せてくれないかな」
優しく艶めいた表情で見下ろして、これ見よがしに志鶴の腰へ腕を回してエスコートしつつ命令してみせる。…大体のことは思い通りにしてきたんだろう。人を動かすことに迷いがない。
『愛しの姫がいつ誰のものになったのか? もう一度俺に教えてくれないかな。この俺、リカルド・フェルナンデスは認めていないのだから』
志鶴が研究室から出ていくのを見送ってから、俺の方を振り返って完璧な英語で告げる。口元に笑みを浮かべてはいるが、緑色の目は刃のように鋭くて。威圧感さえ感じるほどだ。だが…
『言葉より雄弁に語ってやるよ。いずれね』
スラング交じりになったが、遠慮なく見据えて答える。
『プリンスと呼ぶのには、聊か若すぎる気がするのだけれど… そのありようは嫌いじゃないよ。良い友人になろうじゃないか。今はね』
『喜んで。俺は大事な女の前では完璧でなきゃならないと考えているからね。その点だけはあなたとも仲良くできそうだ』
腹黒いのはお互いさまで、謀(はかりごと)や悪だくみにばかり頭が働くのもお互いさま… だからこそ、志鶴の前だけでも友人のように接していようと互いに決めあった。
いつ、どこまで守れるのか? 自信は全くなかったけれど。
研ぎ澄まされていく思考の片隅で、大事な女を奪われそうな不安というのはこんな具合かと海翔さんのことを思わずにいられない。そして、改めて思う。俺の罪深さというものを。それでも、だとしても……
奪うほどに恋焦がれた俺と、奪われることを許してくれた志鶴。この関係はただ道ならぬ恋に溺れてのことじゃないと言い切れるから。
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