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無償の愛~バーン視点~
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一瞬見せた哀惜をはらんだ表情を一変させ、猊下は私に微笑みかける。
「何か聞いておきたいことはあるか?私は基本的に私邸から出ない。この大聖堂にもそう訪れることはないのだ。お前と言葉を交わす機会もないだろう。私はお前のことが気に入った。お前の問いに答えよう。大神官であるこの私に直接問えるような機会はないぞ?」
倪下はいたずらっ子のような無邪気な顔を見せた。
「そう、ですね……。教義についてお聞きしても?私が聖教の教義で一番心を捉えた言葉は無償の愛、です。それは母が子を思うようなものだと認識していますが、猊下の考えられる無償の愛とはやはり神が信徒に対して与えるもの、ですか?」
「無償の愛、ね……」
先程までの軽やかな雰囲気が一変した。
一気に空気が重くなったような気がする。
猊下は、何か嫌なものを見る目付きになった。
何か気分を害するようなことを言ったのだろうか?
「ルカ……我が神の話は、あまりしないんだけどね。でも、お前ならば私の気持ちを分かってくれるかもしれないな。そう、無償の愛とは……神が、ルカが、我々に与えたものだよ。お前もルカの話は聞いているだろう?神は実在した。私の目の前に。……本当に美しい人だった。お前が間違えた、私など遠く及ばない。容姿だけではなく、心も美しかった。ルカを知る誰もが愛した。そして、ルカも分け隔てなく皆を愛した。だからこそ、その身を捧げ、この国を、全ての民を救うべく、防護壁で国を覆った。そして、今もこの国を護り続けている……本当に無償の愛、だ」
淡々と話される内容は幼い頃から聞いている救国の騎士のお話。
誰もが感謝し賛辞し、まだ私が生まれる前とはいえそこまで年月は経っていないというのに、神のように崇められる存在とまでなった一人の騎士。
私が生まれてきてから何度も触れてきたはずのこの話が倪下を通すと、なぜか意味合いが異なるように感じた。
淡々と話される中に、この行動が不本意であるかのような……咎めるような意図を感じる。
いや、そんなはずは……。
この騎士のお陰で、国も民もこうして在るのだから。
「私はね、あの瞬間、ルカの側にいたんだ。ルカに会いたくて、今日は登城しないのかな、と無駄に城内を歩いていたら、フォルクスが慌ててどこかに向かっていた。何事かと思って後をつけたんだ。そこで、見たのは……」
倪下のその天色の瞳から涙が伝わり落ちる。
「あ……」
何か、言葉をかけるべきだと思うのに、何も浮かばない。
アクラム倪下にとって、きっと騎士は大切な存在だったのだろう。
国のためとはいえ、大切な人を亡くしたのだから、その悲しみは理解できる。
しかし、瞬きもせず、静かに涙を落としている倪下は静謐な美しさを湛え、ここで私がかける慰めの言葉など届く気がしなかった。
宗教画のような、触れてはならない神聖さがそこにはあり、倪下のそのお姿に思わず跪き、頭を垂れる自分がいた。
ああ、信仰心とはこのような気持ちをいうのだろうか?
倪下のお言葉は静かに続いた。
「どんなに泣き叫んで止めても、ルカは平然とその身を捧げ、消えた。本当に静かに。そこに何もなかったかのように。確かに今までそこに居たはずなのに、炎が消えた後のような残り香すらない。そして、それと同時にこの国のすべてにルカの愛が降り注いだんだ。平等に。僕にもルカのことを知りもしない民にも同じ愛が与えられた……無償の愛が。……そんなことが、許せるか?」
はっ、と顔をあげる。
そこには、その天色の瞳を見開き、怒りを滲ませた倪下のお姿があった。
「神の愛なんて無情で無慈悲だ。こんなに愛している僕にも、虫けらのような平民どもにも同じ愛を注ぐ。なぜ?なぜそんなことができるんだ!僕は、僕はっ、こんなにっ、こんなに愛しているのにぃ!……欠片も渡したくなんかない。ルカの愛は……ぼくのもの」
倪下が焦点の定まらない目で私を見ると、幼子のように微笑まれる。
ゾッとした。
身体が意図せず震える。
今、目の前にいるのは誰だ?
あの、神々しくもあったアクラム倪下か?
先程まで透き通った光を帯びていたように感じていたそのお姿が、今では白い泥の中で歪に笑っているようだった。
「……あぁ、すまないな。どうも昔を思い出すといけない。聖教の教義について詳しくはこの大聖堂にいる者達に聞くといい。私などより導かれた答えをくれる。お前には聖教側が誰か側使えをつけるだろうから、何かあればその者に要望を。……エルンストがどう動くつもりか、楽しみにしている。ではな」
倪下は先程の異様な雰囲気などなかったかのように柔らかく微笑まれ、椅子から立ち上がると同時に目の前から消える。
転移されたのだろう。
空気がまるで重くのし掛かるような疲労を感じた。
この場から動くこともなく、短時間でこんなに神経をすり減らすとは。
あのお方……アクラム倪下の変貌を思い出すとまた身体が震える。
まだ、立ち上がることもできない。
思考も、追い付かない。
口調もまとう雰囲気もガラリと変わられた。
それに、そのお考えも聖教の教えと完全に反していた。
民のための救いであったはずなのに、その民のことを、虫けらとまで……。
私は、とんでもないものを見聞きしたのでは?
父上にはどう報告すれば……口止めなどはされなかったが、ことによっては口封じをされてもおかしくはない。
早々に領地に帰るべきか?いや、それでは父上の命に反する。
しかし……。
波のように次々と考えなければならないことが押し寄せる。
自らを落ち着かせようとその場に蹲ったまま深呼吸をしていると、謁見の間の扉が開かれる音がした。
「あのー、もう入っていいって言われたんですけど……」
背後の扉を見ると、そこには見知らぬ少年が立っていた。
「何か聞いておきたいことはあるか?私は基本的に私邸から出ない。この大聖堂にもそう訪れることはないのだ。お前と言葉を交わす機会もないだろう。私はお前のことが気に入った。お前の問いに答えよう。大神官であるこの私に直接問えるような機会はないぞ?」
倪下はいたずらっ子のような無邪気な顔を見せた。
「そう、ですね……。教義についてお聞きしても?私が聖教の教義で一番心を捉えた言葉は無償の愛、です。それは母が子を思うようなものだと認識していますが、猊下の考えられる無償の愛とはやはり神が信徒に対して与えるもの、ですか?」
「無償の愛、ね……」
先程までの軽やかな雰囲気が一変した。
一気に空気が重くなったような気がする。
猊下は、何か嫌なものを見る目付きになった。
何か気分を害するようなことを言ったのだろうか?
「ルカ……我が神の話は、あまりしないんだけどね。でも、お前ならば私の気持ちを分かってくれるかもしれないな。そう、無償の愛とは……神が、ルカが、我々に与えたものだよ。お前もルカの話は聞いているだろう?神は実在した。私の目の前に。……本当に美しい人だった。お前が間違えた、私など遠く及ばない。容姿だけではなく、心も美しかった。ルカを知る誰もが愛した。そして、ルカも分け隔てなく皆を愛した。だからこそ、その身を捧げ、この国を、全ての民を救うべく、防護壁で国を覆った。そして、今もこの国を護り続けている……本当に無償の愛、だ」
淡々と話される内容は幼い頃から聞いている救国の騎士のお話。
誰もが感謝し賛辞し、まだ私が生まれる前とはいえそこまで年月は経っていないというのに、神のように崇められる存在とまでなった一人の騎士。
私が生まれてきてから何度も触れてきたはずのこの話が倪下を通すと、なぜか意味合いが異なるように感じた。
淡々と話される中に、この行動が不本意であるかのような……咎めるような意図を感じる。
いや、そんなはずは……。
この騎士のお陰で、国も民もこうして在るのだから。
「私はね、あの瞬間、ルカの側にいたんだ。ルカに会いたくて、今日は登城しないのかな、と無駄に城内を歩いていたら、フォルクスが慌ててどこかに向かっていた。何事かと思って後をつけたんだ。そこで、見たのは……」
倪下のその天色の瞳から涙が伝わり落ちる。
「あ……」
何か、言葉をかけるべきだと思うのに、何も浮かばない。
アクラム倪下にとって、きっと騎士は大切な存在だったのだろう。
国のためとはいえ、大切な人を亡くしたのだから、その悲しみは理解できる。
しかし、瞬きもせず、静かに涙を落としている倪下は静謐な美しさを湛え、ここで私がかける慰めの言葉など届く気がしなかった。
宗教画のような、触れてはならない神聖さがそこにはあり、倪下のそのお姿に思わず跪き、頭を垂れる自分がいた。
ああ、信仰心とはこのような気持ちをいうのだろうか?
倪下のお言葉は静かに続いた。
「どんなに泣き叫んで止めても、ルカは平然とその身を捧げ、消えた。本当に静かに。そこに何もなかったかのように。確かに今までそこに居たはずなのに、炎が消えた後のような残り香すらない。そして、それと同時にこの国のすべてにルカの愛が降り注いだんだ。平等に。僕にもルカのことを知りもしない民にも同じ愛が与えられた……無償の愛が。……そんなことが、許せるか?」
はっ、と顔をあげる。
そこには、その天色の瞳を見開き、怒りを滲ませた倪下のお姿があった。
「神の愛なんて無情で無慈悲だ。こんなに愛している僕にも、虫けらのような平民どもにも同じ愛を注ぐ。なぜ?なぜそんなことができるんだ!僕は、僕はっ、こんなにっ、こんなに愛しているのにぃ!……欠片も渡したくなんかない。ルカの愛は……ぼくのもの」
倪下が焦点の定まらない目で私を見ると、幼子のように微笑まれる。
ゾッとした。
身体が意図せず震える。
今、目の前にいるのは誰だ?
あの、神々しくもあったアクラム倪下か?
先程まで透き通った光を帯びていたように感じていたそのお姿が、今では白い泥の中で歪に笑っているようだった。
「……あぁ、すまないな。どうも昔を思い出すといけない。聖教の教義について詳しくはこの大聖堂にいる者達に聞くといい。私などより導かれた答えをくれる。お前には聖教側が誰か側使えをつけるだろうから、何かあればその者に要望を。……エルンストがどう動くつもりか、楽しみにしている。ではな」
倪下は先程の異様な雰囲気などなかったかのように柔らかく微笑まれ、椅子から立ち上がると同時に目の前から消える。
転移されたのだろう。
空気がまるで重くのし掛かるような疲労を感じた。
この場から動くこともなく、短時間でこんなに神経をすり減らすとは。
あのお方……アクラム倪下の変貌を思い出すとまた身体が震える。
まだ、立ち上がることもできない。
思考も、追い付かない。
口調もまとう雰囲気もガラリと変わられた。
それに、そのお考えも聖教の教えと完全に反していた。
民のための救いであったはずなのに、その民のことを、虫けらとまで……。
私は、とんでもないものを見聞きしたのでは?
父上にはどう報告すれば……口止めなどはされなかったが、ことによっては口封じをされてもおかしくはない。
早々に領地に帰るべきか?いや、それでは父上の命に反する。
しかし……。
波のように次々と考えなければならないことが押し寄せる。
自らを落ち着かせようとその場に蹲ったまま深呼吸をしていると、謁見の間の扉が開かれる音がした。
「あのー、もう入っていいって言われたんですけど……」
背後の扉を見ると、そこには見知らぬ少年が立っていた。
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