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エレノアという女~エルンスト視点~

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「お慕いしています」

一人部屋で書物を読んでいると侍女にそう告げられる。
その女は確かに美しかった。
屋敷で働いていた数多いる侍女の中でも容姿は抜きん出ていたし、その長く伸ばされた黄金の髪は魔法士としての意思を感じた。

だが、それだけだ。

特に興味もない。
美女も優れた魔法士も掃いて捨てるほど俺の周囲にはいる。
俺にとってはその辺の侍女と結局同じだ。

俺は聞こえないフリをした。

しかし、ある日。 
ガラッとその印象が一変する。

「エルンスト様、お話があります」
その女は、俺が国史の家庭教師をサボって書庫で惰眠を貪っていた時に再び現れた。
「何だ」
また『お慕いしています』とかどうでもいいことを言いに来たのか。
「私と、取り引きをしませんか?」
「取り引き?」

そのまま無視しようかと思ったが、侍女風情が俺に取り引きを持ちかけるところが少し興味を引いた。
「何だ?」
「私を抱いて下さい。そこそこ、お気に召す容姿と身体ではありませんか?処女ですから、何か病をうつされる心配もありません」

何だ……結局同じか。
取り引きというから、何か面白い展開になるのかと思ったが、興醒めだ。
「女に困っていない。他をあたれ」
すっと瞳を閉じる。
「誤解しないで下さい。エルンスト様への報酬は私という訳ではありません。抱いて頂けたら、エルンスト様に優れた後継を」
「は?」
この女、俺の子供を孕むつもりか!?
しかも、それが俺への報酬だと?

正直、気は確かか?と思った。
だが、同時にこの女に少し興味が湧いた。

俺はその女の話を聞くことにした。

女は貧しい男爵家の娘で、多額の借金返済のために嗜虐趣味の男の元へ嫁ぐ予定らしい。
今はその男の前妻の喪が明けるまで、我が家に侍女として働いているが、前妻も貧しい家の娘でその男の嗜虐の果ての死であると。
このままでは、自分も同じように死にゆく運命。

「私はそんな運命のために、生まれてきたのではありません」
その瞳は怒りに燃えていた。
「それならば、自分の力で抗ってみせます」
「それが、俺に抱かれることか?」
「そうです。あの男の無駄な玩具として死ぬことなど我慢ならない。それならば、エルンスト様に抱かれ、このオルレラ家の後継を産む方が有意義でしょう?」

呆れる。
それと同時に、こんなに面白い女がいるのかと思った。

「お前が後継を産むとして、なぜ、それが俺への報酬だ?」
「私は魔力量が多い。良い後継が産めます。エルンスト様は権力を手にすることに集中されたいはず。私などでは正妻にはなれないことは承知しています。ただ、後継を産んだ生家がその力をオルレラ侯爵家に及ぼすことを危惧されているはず」
確かにそうだ。
父からも縁談は打診されているが、どの相手もその親が野心家ばかり。
あわよくば、と思っていることが窺える。

「私が盾になります。正妻はオルレラ家にとって都合の良いどなたか良家の方を娶ればいいのです。ただ、後継を私の子にしておけば、そこまでオルレラ家の執政に口は出せない」
「……お前は、女にしておくには惜しいな。貧しい男爵家になど生まれなければ、良い政敵になったかもしれない」
「ありがとうございます。これほどの賛辞はありません」
女は……エレノアは、それは美しく笑った。

俺はエレノアの望みを叶えてやることにした。
ほんの気まぐれだった。
もちろん、子を孕むかどうかなど分からない。
エレノアにとっても賭けだろう。
ただ、処女を俺に捧げた所で何の意味もない。

だが、エレノアは賭けに勝った。

エレノアが子を孕んだとクレインから報告が上がった時には思わず膝を叩いた。
すぐさまエレノアの元へ行くと、勝ち誇ったような顔をしていた。
ようやく、天が味方したのだと。

「私は一人、子を産み育てます。屋敷の離れにでも住まわせて下さい。エルンスト様は特にこちらのことは気にされなくてかまいません。この子が大きくなった時に、資質を見て後継か否かご判断下さい」
エレノアは子を孕んでも変わらなかった。
あの時のことは口約束で、子を孕んだ途端に意見を覆すかと思っていたのに。
俺はエレノアの望む通りにした。

エレノアのことはすべてクレインにまかせ、俺は着実に登り詰めていった。
身代を食い潰すことしか能のない父から早々に家督を奪い、オルレラ家の地位を磐石なものにする。
ある侯爵家での夜会に出席していた際、クレインからエレノアが男児を出産したと報せが入る。

本当に後継を産んだ。

エレノアの執念のようなものを感じた。
俺の片腕に相応しい女だ。
地位の高いだけの女などいらない。
夜会からすぐにエレノアの元へ向かう。

そこには珠のような男児と今にも絶命しそうなエレノアがいた。

エレノアは自分が病弱であることを隠していた。
子を産めば、命に関わることも。
「エレノア……なぜ」
「賭けに、出たのです。また私は勝ちました。こうしてまだ生きていますから。この子はオルレラ家の後継になります。絶対に」
蒼白い顔をしながらも、その瞳はあの時と同じく燃えていた。

俺は子にバーンと名付ける。

日に日に弱りゆくエレノアに対し、バーンはすくすくと育った。
俺は皆が寝静まった後離れに向かい、寝ているバーンと寝台に臥せているエレノアの元へ通った。
「早く、正妻を迎えて下さい。私のことなど捨て置いて。バーンの治めるオルレラ家のために」

エレノアの望み通り、正妻を迎える。
もちろん、名ばかりの妻だ。
夜会などには伴い、贅沢はいくらでもさせた。
バーンとは幾度となく顔を合わせることはあったが、俺のことも正妻のことも敵を見るような目で見ていた。

俺が流した噂でも耳にしたんだろう。


もう、エレノアは長くないとクレインから報告があった夜、離れに向かうとエレノアの部屋から女の叫び声がした。
クレインと駆けつけると、そこには正妻の侍女が息絶え床に転がっていた。
エレノアは血濡れた短剣を手にしている。
「お前……」
「子ができぬのはお前のせいだと襲ってきましたが、返り討ちにしてやりました」
「ふっ……」
もう、明日にも命すら危ういというのに。
やはり、俺の片腕となるべき女だ。
死なせたくない。

「エルンスト様……この短剣で私を刺して下さいせんか?」
「!?」
「私はもう、長くない。ただ臥して死ぬことに意味などない。それよりも、ここで侍女に襲われ死んだとなれば、瞬く間に噂は広まります。……バーンを正式に後継だと発表して下さい。そうすれば、後継の生母を殺害したと正妻の生家に対し有利にたてます」
「お前は……自分の命すら……」
「もちろんです。私はこの命も無駄にしない」
やはり、その瞳は燃えている。
いや、輝いていた。

俺は短剣を手に取る。
「お早めに。バーンが来てしまう。父が母を刺す所は見せたくありませんから」
最期まで揺らがない女だ。
俺は短剣をエレノアの胸に突き刺す。
エレノアは小さく呻いた。
手に生暖かい血が流れてくる。

「貴方の……手で、死ねるなんて……おしたい、して……」

息絶えた、小さな身体。
あぁ。
俺としたことが、すべてエレノアの手の中で踊らされていた。
愛しい男に抱かれ、子を産み、その子が大貴族となる。
自らの死すら使い、貧しい男爵の娘がここまで成り上がるのだ。

「完敗だ」
エレノアの亡骸を寝台に横たえると、俺は跪き、その手の甲にそっと口付した。

バタバタと音がした後、扉が開かれる。
息を切らしながら部屋に飛び入ったのはバーンだ。
部屋の惨状を見て、目を見開く。

「女は恐ろしいな?子が出来ないのはカトレアのせいだと恐ろしい形相で叫ぶので、煩くて殺した」
バーンが真実を知る必要はない。

バーンは怒りの余り、俺に掴みかかった。

「なぜ、母が死ななければならない!」
それがエレノアの望みだ。
お前の母は、自らの死すら望み通りに使った。

「なぜ、母だけを愛してあげられなかったんだ!」
「お前もこうなる」
俺とエレノアの子だからな。

……愛か。
俺はエレノアを愛していたのかもしれない。
今となっては、それすら些末なことだ。

バーンを軽くいなし、後はクレインに一任した。
俺は忙しい。
エレノアの死を、最大限に活かさねば。


その後、バーンを正式な後継として指名した。
それと同時に正妻の女と離縁する。
正妻の侍女が起こしたは公にしないと約束をした上での、オルレラ侯爵家に有利な条件での離縁だった。

この一連の出来事はオルレラ侯爵家の醜聞であるかのように広まった。
それを耳にしたであろうバーンは、俺への憎しみも兼ねてより精進する。

バーンはこのオルレラ家を継ぐに相応しい男に成長するだろう。

すべて、エレノアの描いた絵図のままに。
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