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姫と魔女と

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 最近ではもう、ずいぶん暑い。
 南方のフォレー領やシュロ国の暑さに比べればそれほどでもないが、王都は比較的なだらかな日当たりの良い場所にある。乾燥はしているが山間部のような涼しい夏は見込めない。
 それでも石造りの離れは、室内に入ればしっとりとした涼しさを感じることができる。
 
 朝から手紙を確認したり返事を書いたりしていた。すると、手紙に交じってサリからの伝言が届いているのを見つけた。
 透かしのある封筒に、上質の便箋が入っている。
 詩的な文面が似合う優美な縁取りの便箋には、前書きもなく『用意が整ったから一度会いに来てほしい』とだけ書いてある。
 
(まったく、一国の王女を呼びつけるには不躾な内容ね。ついに季節の挨拶も無くなったわ)
 
 馴れてしまったようで、サリの無礼さがちっとも嫌ではない。
 私たちは予定を調節して、バロッキー邸で秘密の会議を開くことになった。

 その後、何度か書簡を往復させて、悪だくみの予定を決めた。
 ミスティの亡命の話は、ジェームズやトムズだけでなく、他の竜の兄弟にも話していない。
 ミスティが無事に逃げおおせたら、ジェームズとイヴには私から説明しようと思っている。その責任が私にあると思うから。
 
 イヴは私がミスティと結婚する直前に、ジェームズとこっそりやって来て「これでやっと私の娘ね」と、優しく抱きしめてくれた。
 私は、ずっとイヴや家族からジェームズを取り上げて独り占めしていた。
 そんな私をイヴとジェームズは受け入れてくれた。それなのに、偽装とはいえ、息子を亡き者とする計画を立てている。
 説明を聞いたら、二人は私を見放すだろうか。それとも、番だと分かっていてミスティの自由を選んだ私にあきれるだろうか。

 今日の馬車はやけに揺れる。ほろがあるばかりで、荷車のようだ。
 この馬車が、父がベリル家に行くときに乗るのものだと知って、驚いた。
 確かにこんな簡素な馬車に国王や王女が乗っているとは誰も思わないだろう。
 ちらりと横を向けば、お尻の骨が当たって痛いのか、ミスティが少し腰を浮かせている。
 
(これに父さまを乗せたなんて、レトも思いきったことをするわ)
 
 悪巧みをするときは、いつも屋敷に人が少ない。
 偶然ではなくて、サリがそういう状況を作り出しているのだ。
 何かしらの仕事を言いつけられて外に出されるジェームズを想像してしまって、ふふふと笑う。
 
 隠れるように住んでいる竜を、日の光に当てるのがサリの野望だ。サリの計画は順調に進んでいる。
 竜に対する偏見はいつか解けるものだと、胸を張り猛進するサリを思い浮かべると、自然と背筋が伸びる。

 ミスティが去った後も、私の王家の者としての仕事は続くのだ。
 私だってのんびりしてはいられない。

(バロッキーの妻が全てを解決したなんて言い出されたら、カヤロナ家の恥だものね)

 


 
 いつものように応接室には私とミスティ、サリとヒースが向かい合って座る。
 レトはドアの近くで私を警護しながら、黙って話を聞いている。

「マルスから、いつ状況が動いてもいいように準備が整ったって連絡があったわ。具体的な方法については聞かない方がいいわね。ぞっとするような手段を使って死亡を偽装するようだったから。法に触れていないだけで、おぞましすぎて具合が悪くなるわ」
「一応だけど、人の死体を使ったりしないわよね?」
 
 私が恐る恐る訊くと、不安そうにミスティも続く。

「俺の髪の量が足りたって聞いたときは身の毛がよだったよ。散髪した髪を送ったら毛根の残っているものがいいって言われてさ……」
 
 毛根のついたミスティの毛が、どのように使われるのか想像するのも恐ろしい。
 サリは渋い顔をして封をしたままのマルスの手紙をつまみ上げる。開いて読むつもりはないようだ。

「腕のいい人形師と、肉屋と、珍しい動物のはく製をどうのこうのと書かれていたけれど、正直、途中で読むのを止めたわ」
「俺が代わりに読んだ。無事に擬装用の人形を作り上げたとの報告だ。一応法に触れるような倫理は犯していないはずだ」

 偽装に必要なは崖の近くに氷室を作り保管するらしいと聞いて、サリはついに「私、ほんとにマルスは無理なの……」とソファに仰け反った。
 ヒースは気分の悪くなったサリに、いそいそとお茶を入れる。
 マルスのことを考えただけで具合が悪くなるのだったら、竜である私より重症なのではないだろうか。
 マルスの異常性については誰も擁護することが出来ない。それぞれが苦い顔をして仕方ないと頷いた。
 

「血は家畜の新鮮なものを用意するみたいだから、決行する日がに決まったら、直前に連絡が欲しいんですって。ミスティ、レトさんに鼻を殴られなくてすんだわね」
「気持ち悪い話だな。俺、マルスについて行って大丈夫かな……」

 それは私の心配でもある。ミスティがマルスの所に身を寄せることは決まったことだが、今更ながらに不安になる。

「マルスだってミスティの絵の権利が得られるのだから、契約が破綻するようなことはしないはずよ。あとはそうね、ミスティが崖から落ちた時の、クララベルの迫真の演技を期待するところね」
「目薬を用意しておいた方がいいかしらね。笑っちゃったら困るし」

 サリの言い方には含みがある。私が虚勢を張っていると思っているのだ。

「目薬で泣いた後は、マルスが作った人形を持ち帰って抱き枕にでもするといいよ。俺がいないと眠れないだろ?」
 
 私の軽口にむっとしたミスティが応戦する。カラ元気に食いついてこないで欲しい。

「気持ち悪いこと言わないで! 偽装の為にもう少し毛根付きの髪が必要かもしれないわよ、毟ってマルスに送ってあげるわ」
 
 肘で小突き合うのを見ても、サリはもう止めない。達観したような無表情にはいらいらさせられる。
 サリに心配されなくても、ミスティが去ったらきっと泣いてしまう。
 遂に来るべき時がきたのだと心がざわめくのを、噛み締めているのに――骨ばったミスティの肘が二の腕に刺さる。

「痛たいわね! 少しは手加減できないの?」

 私は立ち上がって、ミスティの頭をポカリと叩いた。

「クララベル様、ミスティさん、いい加減になさいませ。話が進みません」

 レトに睨まれて私たちは渋々座りなおす。
 
「ええと、指定の衣装があるわ。計画を実行するときには偽装の人形と同じ服を着るの。指定されたものを過不足なく着てね。それと……」
「サリ、あのさ――」
 
 こまごまとした決まりの説明を始めたサリを、ミスティが遮った。
 
「――もちろん準備ができたっていうのは喜ばしいことなんだけどさ。この間クララベルの化粧品に異物混入事件があってさ。レトさんが調べたら、フォレー領から来た品物だったんだ。ダグラスが王都に持ち込んだ荷物の中にあった品物だから、ダグラスにも疑いがかかっている……」

 サリは驚いた様子で私の方に顔を向ける。

「そうなのよね。レトに首謀者を探してもらってはいるんだけど、まだ誰が何のためにやったのかわからなくて」
「そんなことがあったのね。もちろん、安全が確保できるまで待つわ。いい、納得のいくまで結論は出さないで。これは期日が決まった計画ではないのよ」

 サリはこの件に対して、いつもの強硬な姿勢を見せない。それどころか、事あるごとに、思いとどまるように諭す。
 
「それじゃさ、銅山のこととか、ダグラスの周辺の疑惑が晴れるまで待ってもらうことにする。俺の初めての山での仕事だし、ちゃんと軌道に乗ったのを確認してから出発しないと、すっきりしないっていうか……」

 ミスティがそんなことを言い出して驚いた。
 ミスティをこの国に長く留め置いたのは私のせいだ。準備が整えばすぐにでも出発するのだと思っていた。

「もちろんそれで構わないわ。今日はこちらの準備ができたっていう話だけよ。それにね、二年前からの計画ではあるけれど、私、本当にこのままこの計画を無かったことにしてもいいと思っているの。あなたたち、ほどほどにうまくいっているようだし、そのまま夫婦として暮らしてもいいんじゃないかって」

 私もミスティも、サリの提案には何も答えなかった。それに関しては葛藤ばかりだ。
 私はミスティが番だと知ってしまったけれど、ミスティはまだ番がいない。
 うっかり私がミスティを番だと思っていると告げたら、ミスティは迷わず私の手を取るだろう。きっと恋とかではなくて、優しさや同情で。
 竜は竜と居ることを好む。私が竜だと知れれば私の状況を同情的に受け止めてしまうに違いないのだ。竜は番をなくすことが、身を引き裂かれるようなことだととらえている。
 私も竜だからわかってしまう。ミスティは自分の絵や自分の番を諦めてでも私の傍にいることを選ぶだろう。

 ――私が苦しまないように。

 そんなのは嫌なのだ。
 
「何度も言うけど、ミスティが外に出ることは決定してるわ。ミスティはもっと広い視野を持つべきだし、あの絵はこの国に置いておくべきじゃない。外の世界はミスティの絵に刺激を与えるはずよ」

 私は虚勢を張っているように見えないように、王女然とした態度でサリに告げる。
 いいのだ。私はこれでいい。
 
「おまえ、なんだか偉そうだな……でも、そうだな、旅をしながら絵を描くのもいいかもしれない」

 様々な場所を旅するミスティを想像する。
 ミスティの絵は変わるだろう。
 きっと、遠くにいてもミスティの絵の評判を聞くことになる。
 ミスティの絵がいつかまたこの目で見られたら嬉しい。
 
 話は終わりだと、サリは悪だくみの計画書をぱたりと閉じた。

「まぁ、あとは二人で決めてちょうだい。ミスティは王家に近い身分を手に入れたわ。地位を使って、この国で絵を描き続ける選択だってできるでしょ? 姫様だってもう十分にミスティに慣れたはずよ」
「俺は……」
「あなたは竜だから、どうせ私が言わなくたってわかるわよね。後悔しない選択をしたらいいと思うわ。意地を張りすぎないことね」

 ミスティに向かって言ったはずだけれど、その視線は私にも向けられていた。
 ヒースは私が竜になったことを、サリに告げたのだろうか。
 ヒースを少し睨めば、逃げるように視線を外に向ける。

(番のいる竜はこれだから……)

 
* 
 
 
「俺、部屋に取りに行くものがあるから。時間がないならクララベルはレトさんと先に帰って」

 ミスティが退席すると、サリは向かいの席から立ち上がって私の隣に座りなおした。
 
 話すこともないので、つんと顎を上げて、ヒースが入れてくれたお茶をすする。
 サリはそうしている私の肩に額を寄せる。
 私に体重をかけながら「クララベルは……相変わらずおばかさんね」とサリがため息をつく。
 何でも分かっている風に言うので、相変わらず腹が立つ。魔女だ老婆だと嫌味を言われても仕方がないわ。

「自分のなすべきことは、よくわかっているつもり」

 真意が伝わったのか、そうでないのか、サリの手が労わるように私の頬に触れる。

「私ね、クララベルのこと、わりと嫌いじゃないわ」
「そこは好きよって言うところじゃないの?」
「嫌いじゃないんだからいいじゃない。そういう姫様は、私のことが好きなのね」
「そうですね。クララベル様はサリさんを好いていますよ」

 私が言う前にレトが横から口をはさむ。

「もう!」

 私はいつも、バロッキー家に来ると恥をかかずには帰れないようなのだ。
 
「今回のこと、ミスティの幸せの為だとか、ミスティの絵の為だとか思うなら浅はかよ」
「私の為よ。私がミスティの絵をそのままにしておけないの。それに、いつまでもミスティを王宮においておくわけにもいかない。あそこは魔窟だから」

 思ったよりもずっと流暢に理由が言葉になる。何度も自分に言い聞かせてきたことばかりだ。

「銅山が開かれて、バロッキーが表に出てきたら、金の匂いを嗅いだ貴族や商人たちはミスティに群がるでしょう。どんな無茶なことをしてバロッキーから利権を貪ろうとするか分からないんだから。ミスティを取り込もうとする諸侯の娘たちで離れの客室に列ができるかも。好き嫌いを超えて、ミスティの安全の為でもあるわ」
「そんなことを考えていたの?」
「そりゃ、考えるわよ。私だって王女だし。政治が分かるのは自分ばかりだと思わないで」

 サリは形容しがたい苦しげな表情を作った。

「クララベルは、ミスティのことが好きなのね。嫉妬したり独占したり簡単にできないくらいに。私、クララベルが恋をしたら、もっと我儘にふるまうのかと思っていたわ」
「恋? 冗談じゃないわ、王女の結婚は政治よ。恋なんてしないわ」
「そうかしら。王女は恋をしないかもしれないけれど、竜は恋をするわ。ひどく程度の重いやつをね」

 サリはヒースを見上げる。
 ヒースはさっぱり理解できないくらい甘い表情でサリに微笑む。
 
「サリ、ヒースから聞いたの?」
「竜になったってことはね。ミスティのことはかまをかけただけ。まぁ、そんなこと確認するまでもなかったけど。あなた、竜の目を持っていなくてよかったわね。クララベルはしょっちゅう目の光る竜だったはずよ」

 私は恥ずかしくなって目を覆う。私が竜の血に翻弄されやすいことは自分が一番よくわかっている。

「発情した雌猫みたいだって言いたいの? ヒースだって同じじゃない!」
「そうね。ヒースのひどい様子を見て知っているのに、自分は竜の血に抗えると思うなんて、無謀ね。それでもやるの?」
「やるわ。だって、ミスティは外に出たがってる」
「別の方法が無いの?」
「そんなの私の決めることじゃない。ミスティが私の番で、私と離れたくないっていうなら私、どんなことでもできる。でも、ミスティが望むのは自由なんでしょ」

 私のミスティがそれを望むなら、何を犠牲にしたってやり遂げられる。本当にそう思うのだ。
 
「さあ、どうなのかしらね。あなたたち何だかそっくりね。馬鹿な所とか」
「なによ、私だって色々考えているんだから」
「あなたたちがそんなんだから、私の計画はとてもうまくいっているわ。誰もあなたたちが愛し合っていないと疑わないもの。広告塔としては十分だわ」

 サリは竜が受けている迫害の対抗策として私たちを利用している。
 竜が普通の人と変わらないのだと宣伝する、絶好の時期なのだそうだ。
 
「余計なことしてしまったかしらね。ミスティと離れがたいのでしょ?」

 サリにどう返事すべきか少し悩んだけれど、いい加減なことを言ったら許さないという、レトの無言の気配を感じて、観念する。
 
「いいえ、余計な事じゃなかったわ。サリが馬鹿なことを企まなければ、私とミスティの人生は一瞬も交わることが無かった。なにより、あの絵を描いた人が見つかったの。それだけで意味があるわ」
「あれは、クララベルが勝手に見つけたのよ。大した執着だわ。もしかして、そのころから竜だったのではない?」

 サリが私とミスティの偽装結婚の話を持ち掛けたりしなければ、私に紅玉が降ることなんてなかった。
 私は渋々、サリの目を見つめ返す。
 
「その……いろいろあったけど……サリには――感謝してるの。協力してくれて、ありがとう」

 私が耳を熱くしながら一生懸命に言ったのに、サリはフンと笑って腕を組んだ。
 
「いいえまだよ。全て終わってから、姫様は泣いて私に感謝することになるのよ」
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