34 / 85
【こうしている間も、俺は全力で婚約者の柔らかさを貪っている件】
しおりを挟む
――俺が太古の竜だったら、いったいどうしただろう。
俺が画材のナイフ程度のものではなくて、それ相応の武器でも持っていたら、オリバーを引き裂き心臓をくりぬいたりしただろうか?
いや、その頃の竜ならきっと、ぬらぬらと光る黒い爪と牙で獣のように引き裂いたのかもしれない。
そんな不穏な想像をしながらオリバーを睨むと、オリバーは怯みのけぞった。
番に執着する竜の血が暴れ出そうとしていた。
ここにいるのが本当に俺でよかった。吊るされたのがサリで、それを目撃したのがヒースだったりしたら、バロッキーの忌まわしい言い伝えがもう一つ増えるところだった。
父さんはヒースが我慢強いなんていうけれど、サリが絡むとヒースなんて我慢の我の字も知らないような獣だ。
(なんだ、俺の方がずっと我慢強いじゃないか)
実は、父さんがクララベルの話し相手に、俺じゃなくてヒースを選んだことについて、まだ根に持ってる。
竜の血を暴走させて、仕事で培った筋肉で相手を殴りつけて襤褸雑巾のようにしていくヒースを思い浮かべることで、俺は冷静を保った。
それをなす術もなく見守って、そのあとこれをどう隠蔽したらいいだろうかと冷静に思案するサリのことも浮かんで、もっと冷静になった。
(なんだよ、あいつらと比べたら、俺たちめちゃくちゃ我慢強いじゃんか)
*
相手がクララベルの敵だと思うと、オリバーの弱点が手に取るように分かる。
何にひるみ、何を恐れているのか、今までの一挙一動が思い起こされる。
「わかってないな。お前にとって実家がなくなるということは、その不思議な服を作る金もなくなるってことだよ。それ、特注なんだろ?」
今日のオリバーもおかしな格好だ。
狩りだというのに、動物の毛皮を着るなんて、誤射されたらどうするつもりなんだ?
草食獣の毛皮で作った上着をまとうならともかく、肉食の獣の毛皮をまとったのでは獲物に気取られないようにするという言い訳も逆効果だ。
オリバーが今着ている外套は、恐ろしく高い値段がつく熊の毛皮からできている。
黒い被毛の先が銀に光る熊はごく稀にしか捕獲されない。フードの部分は熊の顔の部分で出来ている。
この毛皮をそれをここまで毛艶よく鞣しあげ、脱臭した技術は素晴らしい。義眼には宝石が使われているようだし、鼻もつややかに仕上がっている。どんな良い品であっても、今日着てきては台無しだが。
どちらにしても、後ろ盾のない若者が所望しても容易には得られない品物だ。こんなものを取り扱っている店は王都では一軒しかない。
「それさ、特別な店で作っているよね。貴族の特権を振りかざしてさ。あそこは、オリバーの力じゃなくて、サンドライン伯爵の名前でしか入れない店だよ」
オリバーの着ている生地は一つ一つが珍しいものだ。それを取り扱える店だって限られている。
オリバーは知らないかもしれないが、そういう店はもちろんバロッキーの末端の分家の店だ。
バロッキーは見た目に竜の血が現れた、僅かな者だけが名乗る家名だ。
国民の竜に対する嫌悪や畏怖はバロッキーという名だけに注がれる。いわばそれが隠れ蓑となり、それ以外の分家はバロッキーとのつながりを隠し、様々な分野に裾野を広げ商売をする機会を得る。
今では国に流通する高級品のほとんどは何らかの形でバロッキーを経由している。この国の産業はバロッキーとは切っても切れない関係なのだ。
「実家以外に何処かに金蔓でもあるの?」
自分で価値を生み出すことが出来ない者ほど、むやみに高いものを身に着けたがる。
自分で稼いだもので高い服を着るなら感心するが、オリバーはしょせん脛かじりだ。
少なくともこんな甲斐性なしにクララベルをやるのは絶対に嫌だ。
まぁ、それ以前に、美しいものに関心のない奴にクララベルが心を傾けるとは思えない。
「……」
「自分の主張で実家を潰すつもりなのは、まぁ凄いねっておもうけど。それじゃ、生活が立ちいかないだろ? 独立して、何か事業でも始めたってこと?」
「……」
「髪をかためているワックスだって、高価なものだよね。輸入品だろ? クララベルを害して家が潰れたら、そのハクスの革靴を新調することもできなくなるけど、大丈夫?」
ハクスという大型の鹿の革も同じ店で手に入れたはずだ。
樹脂で防水にした靴にしたらいいのに、わざわざ水がしみこみやすいヌメ革で作られた靴は狩りに全然向いていない。
どれもこれも高級品であるのに、オリバーの指示したとおりに作られたであろうそれらは、ひどくみすぼらしく見える。虚栄心と、稚拙さと、ちぐはぐな色と材質と、今のオリバーを如実にあらわしていた。
「ねえ、財力をなくして粗末な格好をしたオリバーを、誰がすごいって言ってくれるんだろう? オリバーの父上も母上もきっとがっかりなさるね」
虚栄心とプライドの塊のオリバーは見た目を気にしている。母という言葉を聞いたオリバーの顔に動揺ではなく、恐怖が浮かぶ。
「……違う」
こんな時だが、腕の中のクララベルが俺に縋ってしがみついてきて、俺の集中力を削ぐ。
(ああ、もう帰りたいな)
早く帰ってクララベルの手当てをしてやりたい。ぎゃんぎゃん泣くだろうから、でろでろに甘やかしたい。
いつまでも、もだもだとしているオリバーに殺意めいたものが浮かぶ。
だから、少し意地悪い言いかたをしても仕方がないんだ。
「あんたさ、二年前から成長してないな。あの時のジャケット、ベルベットに鋲とか、場にそぐわなくて最悪に格好悪かったよ」
そう言ってみて、俺はどうしてオリバーがクララベルに近づかなくなったのか思い当たった。
(ああそうだ、あの時……)
若いオリバーの恐怖に歪んだ顔を思い出す。
嫌悪ではない恐怖の表情。
「美しさについて何も知らないくせにさ。高価なものばっかり……きっと、クララベルの価値だって分かってないんだろうけどさ」
(そうだ、オリバーには怖いものがあるんだった)
俺が画材のナイフ程度のものではなくて、それ相応の武器でも持っていたら、オリバーを引き裂き心臓をくりぬいたりしただろうか?
いや、その頃の竜ならきっと、ぬらぬらと光る黒い爪と牙で獣のように引き裂いたのかもしれない。
そんな不穏な想像をしながらオリバーを睨むと、オリバーは怯みのけぞった。
番に執着する竜の血が暴れ出そうとしていた。
ここにいるのが本当に俺でよかった。吊るされたのがサリで、それを目撃したのがヒースだったりしたら、バロッキーの忌まわしい言い伝えがもう一つ増えるところだった。
父さんはヒースが我慢強いなんていうけれど、サリが絡むとヒースなんて我慢の我の字も知らないような獣だ。
(なんだ、俺の方がずっと我慢強いじゃないか)
実は、父さんがクララベルの話し相手に、俺じゃなくてヒースを選んだことについて、まだ根に持ってる。
竜の血を暴走させて、仕事で培った筋肉で相手を殴りつけて襤褸雑巾のようにしていくヒースを思い浮かべることで、俺は冷静を保った。
それをなす術もなく見守って、そのあとこれをどう隠蔽したらいいだろうかと冷静に思案するサリのことも浮かんで、もっと冷静になった。
(なんだよ、あいつらと比べたら、俺たちめちゃくちゃ我慢強いじゃんか)
*
相手がクララベルの敵だと思うと、オリバーの弱点が手に取るように分かる。
何にひるみ、何を恐れているのか、今までの一挙一動が思い起こされる。
「わかってないな。お前にとって実家がなくなるということは、その不思議な服を作る金もなくなるってことだよ。それ、特注なんだろ?」
今日のオリバーもおかしな格好だ。
狩りだというのに、動物の毛皮を着るなんて、誤射されたらどうするつもりなんだ?
草食獣の毛皮で作った上着をまとうならともかく、肉食の獣の毛皮をまとったのでは獲物に気取られないようにするという言い訳も逆効果だ。
オリバーが今着ている外套は、恐ろしく高い値段がつく熊の毛皮からできている。
黒い被毛の先が銀に光る熊はごく稀にしか捕獲されない。フードの部分は熊の顔の部分で出来ている。
この毛皮をそれをここまで毛艶よく鞣しあげ、脱臭した技術は素晴らしい。義眼には宝石が使われているようだし、鼻もつややかに仕上がっている。どんな良い品であっても、今日着てきては台無しだが。
どちらにしても、後ろ盾のない若者が所望しても容易には得られない品物だ。こんなものを取り扱っている店は王都では一軒しかない。
「それさ、特別な店で作っているよね。貴族の特権を振りかざしてさ。あそこは、オリバーの力じゃなくて、サンドライン伯爵の名前でしか入れない店だよ」
オリバーの着ている生地は一つ一つが珍しいものだ。それを取り扱える店だって限られている。
オリバーは知らないかもしれないが、そういう店はもちろんバロッキーの末端の分家の店だ。
バロッキーは見た目に竜の血が現れた、僅かな者だけが名乗る家名だ。
国民の竜に対する嫌悪や畏怖はバロッキーという名だけに注がれる。いわばそれが隠れ蓑となり、それ以外の分家はバロッキーとのつながりを隠し、様々な分野に裾野を広げ商売をする機会を得る。
今では国に流通する高級品のほとんどは何らかの形でバロッキーを経由している。この国の産業はバロッキーとは切っても切れない関係なのだ。
「実家以外に何処かに金蔓でもあるの?」
自分で価値を生み出すことが出来ない者ほど、むやみに高いものを身に着けたがる。
自分で稼いだもので高い服を着るなら感心するが、オリバーはしょせん脛かじりだ。
少なくともこんな甲斐性なしにクララベルをやるのは絶対に嫌だ。
まぁ、それ以前に、美しいものに関心のない奴にクララベルが心を傾けるとは思えない。
「……」
「自分の主張で実家を潰すつもりなのは、まぁ凄いねっておもうけど。それじゃ、生活が立ちいかないだろ? 独立して、何か事業でも始めたってこと?」
「……」
「髪をかためているワックスだって、高価なものだよね。輸入品だろ? クララベルを害して家が潰れたら、そのハクスの革靴を新調することもできなくなるけど、大丈夫?」
ハクスという大型の鹿の革も同じ店で手に入れたはずだ。
樹脂で防水にした靴にしたらいいのに、わざわざ水がしみこみやすいヌメ革で作られた靴は狩りに全然向いていない。
どれもこれも高級品であるのに、オリバーの指示したとおりに作られたであろうそれらは、ひどくみすぼらしく見える。虚栄心と、稚拙さと、ちぐはぐな色と材質と、今のオリバーを如実にあらわしていた。
「ねえ、財力をなくして粗末な格好をしたオリバーを、誰がすごいって言ってくれるんだろう? オリバーの父上も母上もきっとがっかりなさるね」
虚栄心とプライドの塊のオリバーは見た目を気にしている。母という言葉を聞いたオリバーの顔に動揺ではなく、恐怖が浮かぶ。
「……違う」
こんな時だが、腕の中のクララベルが俺に縋ってしがみついてきて、俺の集中力を削ぐ。
(ああ、もう帰りたいな)
早く帰ってクララベルの手当てをしてやりたい。ぎゃんぎゃん泣くだろうから、でろでろに甘やかしたい。
いつまでも、もだもだとしているオリバーに殺意めいたものが浮かぶ。
だから、少し意地悪い言いかたをしても仕方がないんだ。
「あんたさ、二年前から成長してないな。あの時のジャケット、ベルベットに鋲とか、場にそぐわなくて最悪に格好悪かったよ」
そう言ってみて、俺はどうしてオリバーがクララベルに近づかなくなったのか思い当たった。
(ああそうだ、あの時……)
若いオリバーの恐怖に歪んだ顔を思い出す。
嫌悪ではない恐怖の表情。
「美しさについて何も知らないくせにさ。高価なものばっかり……きっと、クララベルの価値だって分かってないんだろうけどさ」
(そうだ、オリバーには怖いものがあるんだった)
0
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
【完結】捨てられ正妃は思い出す。
なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」
そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。
人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。
正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。
人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。
再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。
デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。
確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。
––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––
他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。
前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。
彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。
【完結】私の婚約者はもう死んだので
miniko
恋愛
「私の事は死んだものと思ってくれ」
結婚式が約一ヵ月後に迫った、ある日の事。
そう書き置きを残して、幼い頃からの婚約者は私の前から姿を消した。
彼の弟の婚約者を連れて・・・・・・。
これは、身勝手な駆け落ちに振り回されて婚姻を結ばざるを得なかった男女が、すれ違いながらも心を繋いでいく物語。
※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしていません。本編より先に読む場合はご注意下さい。
悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい
廻り
恋愛
王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。
ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。
『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。
ならばと、シャルロットは別居を始める。
『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。
夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。
それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
新婚なのに旦那様と会えません〜公爵夫人は宮廷魔術師〜
秋月乃衣
恋愛
ルクセイア公爵家の美形当主アレクセルの元に、嫁ぐこととなった宮廷魔術師シルヴィア。
宮廷魔術師を辞めたくないシルヴィアにとって、仕事は続けたままで良いとの好条件。
だけど新婚なのに旦那様に中々会えず、すれ違い結婚生活。旦那様には愛人がいるという噂も!?
※魔法のある特殊な世界なので公爵夫人がお仕事しています。
竜人のつがいへの執着は次元の壁を越える
たま
恋愛
次元を超えつがいに恋焦がれるストーカー竜人リュートさんと、うっかりリュートのいる異世界へ落っこちた女子高生結の絆されストーリー
その後、ふとした喧嘩らか、自分達が壮大な計画の歯車の1つだったことを知る。
そして今、最後の歯車はまずは世界の幸せの為に動く!
伝える前に振られてしまった私の恋
メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる