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王子が姫として生まれていたら

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 ニコラウス王子はニコラの顔を見るとべそをかきはじめ、ニコラとリシルを伴って応接間に通された。

「ニコラ、たいへんなんだ。トラヴィス兄さまの母上が、捕まってしまったんだって。トラヴィス兄さまもあの軽薄な髪のギルド職員に連れていかれてしまって。ニコラに知らせてもらおうと騎士棟に行ったら、ニコラはもう騎士をやめるって、みんなが噂していて……」

 ニコラが涙声の王子に手巾を与え、洟をかませていると、王子はその袖を握る。

「騎士をやめるって本当なの? ニコラがいなくなったら、僕たちは――トラヴィス兄さまはどうなってしまうの?」

 トラヴィスの母、オルカが捕縛されるのはずっと前から決まっていたことだ。オルカをへーメン家から切り離すのに時間がかかったが、打ち合わせ通り、粛々と捕縛は執り行われた。
 リシルはオルカが項垂れて取り調べを受ける様子を確認してから帰宅した。オルカの罪は亡き王女を陥れた頃から始まったのではなかった。もっと前、オルカがヘーメン家に嫁いだ頃からの黒い噂も追及されることになるだろう。
 オルカが愛人を通じて行っていた悪行ばかりであったため、王子を輩出するへーメン家とは切り離されて処理された。そうであっても、事実の確認のため、トラヴィスから事情を聞く必要があるのは仕方のない事だ。

「トラヴィス王子の母君はずっと悪い事をしていました。それは裁かれなければならない事です。トラヴィス様はこの件に関しては何も関わりがありません。どれほど素行が悪くても、トラヴィス様が母君の罪に巻き込まれることはありません。ギルド職員に同伴しなければならなかったのは、話をお聞きする為ですよ」

 素行の悪いトラヴィスに、ロイが親切にその旨を説明して連れて行ったかどうかは別の話だなとリシルは思ったが、ややこしくなりそうなので黙っていた。

「それじゃ、ニコラは? ニコラは本当に騎士を辞めるの?」

 ニコラウスは目に涙を溜めてニコラを見上げる。

「私は……」

 ニコラはどのように王子の追及をかわそうかと考えているようだった。
 ニコラウス王子はニコラに縋り付くようにして、ロイ・アデルアの横暴を訴えた。

「ギルドからきた怖い人が、僕たちをひ弱だって笑うんだ。すごく厳しくされて、毎日くたくただよ。手間のかからない王にならないと許さないって脅すんだ。僕たちがひ弱なのはニコラのせいだって……」

 王子寮の警備の代理にロイ・アデルアが城に配されたと聞かされた時、リシルは飲んでいたお茶を噴出した。
 実際に、へんてこな色に髪を染めた息子が、王子寮の廊下を歩いているのを見たときは足がつってたいへんだった。
 ロイが王子達に厳しくする理由に心当たりがある。ロイはタリムが城に戻ることを恐れているのだ。次を担う気概のある王子がいなければ、ギルドマスターと繋がりのあるタリムが傀儡にされる恐れもある。王子達の幼さはロイにとって歯痒く映ったことだろう。
 私欲が強いのはロイもニコラも変わらないなと、リシルは後方でため息をついた。
 
「……まあ、アデルア殿から見ればそう思われても仕方がないことです。しばらくはアデルア殿から護身術などの指導を受けるとよいでしょう。実力のある職員であることは間違いないし、城のこともよく知っているはずです」

 ニコラは子供の頃、リシルに連れられたロイと――当時はルロイという名前だったが――城で会ったことがある。
 騎士を目指したニコラが城を去り、自分が騎士から遠ざけたロイが城に戻る、その巡り合わせにリシルは運命を感じずにはいられなかった。

「でも、僕は、ニコラがいい。ニコラが騎士を辞めるなんていやだ。騎士棟の騎士たちも嫌だって言ってる! 僕たちが王様になるまでニコラは城にいてくれないの?」

 純粋な目を向けられてニコラは跪いて王子と目を合わせ、辞職の理由を告げ始めた。

「ニコラウス王子、私は姫に傅きたくて騎士を目指しました。ふさわしい騎士になるために努力してまいりましたが、残念ながら、この国には一人も姫はいらっしゃらない。代わりに、私がお世話をさせられるのは、国を担う自覚も持たず、日々揉め事を起こし、怠惰に生活する汚ならしい王子ばかり。私は、王子たちに仕えることに、ずっと辟易していたのです」

 淡々と語る辞職の理由は、品行方正で騎士の鑑と言われたニコラから吐露されたとは思えないような内容であった。
 ニコラが語る真実に、ニコラウスは傷ついた顔をする。
 常に公正に冷静に王子たちを世話してきたニコラが抱えていたものを覗いて、ニコラウスは震えた。

「そんな……だって」

 ニコラウス王子はニコラに見舞われたことによって授かったと信じられている。
 両親は感謝して、ニコラにちなんで王子にニコラウスと名付けたほどだ。
 城で過ごす時間は、幼いニコラウスにとって大変なものだった。しかし、そこには憧れの騎士、ニコラがいる。ニコラウスもニコラに歓迎されているものだとばかり思っていたので心強かった。
 それなのに、ニコラがまさかそんなことを考えていたなんて、夢にも思わなかっただろう。

 ニコラは改めてニコラウス王子を頭からつま先まで眺め尽くす。
 ニコラウスは直接ではないが、セレスタニアとも血縁があり、瞳は王族に現れやすい深い色をしている。エイドリアン王やタリムの瞳にもみられる色だ。
 
 ニコラはその色の尊さを愛でるように微笑んで、ため息をつく。

「王子が姫として生まれていたら、私は喜んで、誠心誠意、貴方に仕えたでしょう」

 リシルは内心、頭を抱えたいほどだった。真実にしてもニコラの辞職理由はひどすぎる。
 こんな幼い王子をどうするつもりなのだろうと、尻がそわそわとする。

「じゃぁ、僕が姫じゃないから……? 王子だったからニコラは騎士を辞めるの? ニコラはへんたいなの?」

 幼いニコラウスから飛び出す質問は辛辣だったが、ニコラは怯まなかった。

「まぁ……変態と呼ばれてもしかたがありません。王子のおっしゃる通りです」

 あまりにも理不尽な辞職理由にニコラウスはぐっと拳を握る。

「ニコラはもう騎士をしたくないってこと?」
「騎士であることに否やはありません。私は騎士道と共に生き、騎士であることを捨てることは生涯ないでしょう。しかし、家族を養う手段となると違う。もう心を捧げる先を見つけたので、国の騎士であることには、あまり意味がないのです。トラヴィス様をはじめ、私がお仕えしたい方は城におられません」

 そう言い切ったニコラには迷いらしいものは見られなかった。

「……確かに、僕たちは未熟だけれど、ニコラがいなくなったら困る。みんな困るって言ってる」

 ニコラウスにはニコラを繋ぎ止める良い案が浮かばないようで、もう泣き落としくらいしか手段がない。

「あなたも国王になる資格をお持ちの方だ。人を惹きつけるのも国王の資質。騎士一人失ったくらいで揺らぐ程度の決意なら、早めに継承権を放棄して親元にお帰りなさい。自由に生きるのも良いものです」

 ニコラはギルドと国の関係を知ろうともせず、国王として責任を負う意思のあまり見られない王子たちに見切りをつけていたのだろう。
 国が変わっていく様を見ていたリシルとは違い、ニコラにはギルドに国を変えられてしまう怒りがあった。
 
 王政は滅ぶだろうが、それで困ることはない。
 ドルカトル国は王政を廃し、ギルドの国となるだけだ。リシルはそれで良いと思っている。貴族だなんだと一部の者が国の犠牲になる時代は終わればいい。

「ぼ、僕はちゃんと、王になれるように勉強をしているよ!」

 ニコラウスは、ぐっと小さな拳を握り、精一杯胸を張る。
 ほう、と、ニコラは腕を組んで、頷いて見せる。

「なるほど、そうですね。たしかにニコラウス様は城での学びを疎かにはされていない。鍛錬もお休みになられることはない。それは立派なことです。ではお聞きしますが、もし貴方が王だったらトラヴィス王子をどのよう処遇するおつもりですか? 本人に罪はなくとも、母君が危ない橋を渡ってしまったトラヴィス様は今後、継承権の放棄を求められるかもしれません」

 ニコラは他の王子と同じように、ニコラウス王子に対しても期待などしていなかった。
 皆の後ろ、遠くの方から物事を見ているだけで、自分で何かを発言したり行動しない王子だ。それでも傀儡の王であれば困ることはない。


「僕は……僕が王なら、母の罪を子が負うことは求めません。……ですが、今までトラヴィス兄さまが良い生活を心掛けていたようには見えませんでした」
「なるほど」

 ニコラは顎に手をやり続きを促す。

「僕が王なら、トラヴィス王子の継承順位を落とします。貴族は人民に仕えるのが務め、トラヴィス王子はまだ国のためになる事をしていません。勉強させて国に役立つ者に変えて見せます。――この国はギルドがなければ国民を守れないほど脆弱だ。僕たちはただ王位に立つだけじゃ国王の必要性すら国民に認めさせられない」
「……殿下」
「常々、ニコラが言っていたことだよ。この国では必要とされない王はすぐにすげ替えられてしまうって」

 ニコラはまだ幼いニコラウスの口から出た言葉に驚いた顔をした。

「それから、僕は、他の王子たちに、僕に王位を譲ってくれるように頼みます。みんな、本当は王様になんてなりたくないんだ。トラヴィス兄さまは楽器が得意だし、グンターは商人になりたいって言ってる。順番で決まっているからそうしているだけで、皆、本当は別のことがしたいって思ってる」
「では、ニコラウス殿下は?」
「ぼくは、王様をやってみたい。エイドリアン陛下のように外交をうまくやったり、遠くを見据えた政策を考えたりはまだできないけれど、ギルドとの連携を強化したり、騎士団をもっと強くして、逆にギルドに貸し出したり、そういうことはできるとおもうんだ!」

 そこまで大声で言って、ニコラウスは赤面した。

「ニコラは僕ではこの国を治められないと思う?」

 ニコラは真偽を問うように目を眇めて小さな王子の未来を想像する。

「今はまだ……しかし、これからの心がけ次第では、如何様にも」
「……そうか。うん。わかったよ」

 ニコラウスはニコラの口から無理だ、やめておけと言われなかったことに希望を繋いだ。

「それで、ニコラは僕が王になるときに近くにいてくれないの?」

 ニコラは立ち上がり、あらぬ方を見る。ミアが寝かされている来客用の寝室のある方だ。

「今は、命を捧げても守りたい人がいるので、姫に仕えることを夢見るのはやめました。肩書きのある騎士であることも、不要です。騎士は、この国に絶対必要な仕事ではありません。さっそくギルドに登録に行ったので、明日からはギルド組合員として日銭を稼げるでしょうから、妻と二人生きていくのに困ることはありません。実はもう登録後の研修は終えているのです」

「ニコラそれじゃ……」

 ニコラウスは繋ぎ止めに失敗したとわかり、眉も口もへの字にして、涙を堪える。

「はい。もうすでに陛下に願い出て、国の騎士ではありません。モーウェル家の名も捨てました。アディアール家の後継の件も白紙です。私が参城する肩書きはありません」

「ニコラの忠誠を僕に誓ってくれるなら、ニコラを僕の騎士として雇い直すこともできる。どうにか考え直してくれないか?」

 ニコラウスの申し出を聞いて、ニコラは腕を組んで考え込む。


「……妻が――どさくさに紛れてやっと結婚に漕ぎ着けたのですが――その妻が、城の仕事を気に入っていまして。私が騎士を辞めた後も城で働くことにしたのです」
「ええと……おめでとう?」

 唐突に始まったニコラの妻の話に、ニコラウスは首を傾げたが、めでたい話だとわかると祝いの言葉を述べた。

「騎士を辞めたことに未練はないのですが、城での妻の仕事を見守る手段がない事が、唯一の心配事でして。私が目を光らせていないとなると、可愛いミアと……妻と話をしたくて、騎士どもが何かと余計にミアに……妻に仕事を頼んだりするのです。私の妻なのに」
「……ニコラは奥方が大好きなのだね」
「それはもう!」

 王子寮で仕事をしている時、ニコラはいつも厳しい顔をしている。
 ニコラウスは城で見たことがないほどの笑顔を見せるニコラに、更に望み薄であることを教えられる。

 
「王子は、先ほど仰ったことに偽りはありませんか? 賢き王になると――」

 項垂れている王子に、ニコラは低くした声で問う。
 ニコラウスは弾かれたように顔を上げ、国の紋章の刺繍に手を当てて、ニコラの目をじっと見る。

「誓って!」
「私の剣は妻に捧げてしまったので、私は貴方の為に死ぬような無茶はいたしません。それでも私を繋ぎ止めると仰るのですか?」

 ニコラの挑むような口調に、ニコラウスは胸を張る。

「僕は……私は、私の王位に必要な人材くらいわかっているつもりだ。ニコラがいなければ私に強き王という名は冠されないだろう」
「仕事が多すぎて妻や子の顔が見られないのならお断りいたしますが」
「僕たちはもう少し自立する。少なくとも、あのギルド職員にニコラの教育が悪いと言われないくらいには」
「そうですか。妻が――すごく愛らしい妻がですね、私が騎士を辞めてしまって、とてもがっかりしていたのです。自分のせいだと泣いてしまって……妻が」

 ニコラは「妻が」と口にすることに喜びを覚えているようで、言うたびに少しだらしない顔をする。

「トラヴィスの兄さまとの決闘の時に、ニコラが庇った彼女がそうか?」
「はい。ミアと申します。一応申しておきますが、王子といえども馴れ馴れしくされては困りますよ。私の妻なので」


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