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相変わらず最低ですね
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ニコラは傷が癒えるまで自宅療養となった。
ニコラが仕事が出来ないなら自分が稼ぐと言い張って、ミアは騎士棟での仕事を続けている。
ニコラのいない間、オルカの捕縛まで、ギルドからロイ・アデルアが王子寮の監視に派遣されている。トラヴィスの監視を兼ねているとはいえ、本来なら近衛の仕事をギルドの者に任せるのは騎士の矜持に関わることではあった。しかし、今のニコラにはギルドに任せようという気持ちの方が大きかった。少なくともロイが城にいるのなら、これ以上ミアに危険が及ぶことはないだろう。
休んでいてくれとミアにしつこく願われた、にもかかわらず、ニコラは家を抜け出してギルドに来ていた。
堅固なギルドの建物はそれ自体が要塞の様な雰囲気がある。明らかにこの国伝統の建築様式ではないし、異国の文字が刻まれている所もある。
ギルドマスターの指示で刻まれたものだろうが、既存の文字でもないようだし、どこでこういった知識を得たのか、ニコラにも推測できない。
中に入れば椅子が置かれ、依頼人が何人も座って待っている。各々整理券を持って自分の順番が来るのを待っているようだ。
ニコラもそれに倣って、数字の書かれた紙を一枚受け取り、台に置かれた依頼申込書に記入する。ペンに紐が付けられていて、ペンが紛失しないようになっているのだろう。使ってみると紐が短くて書きにくい。
ニコラが要件を記入して、依頼人との仕切りになっている大理石のカウンターに用紙を提出すると、それを見た職員の顔色が変わる。
受付カウンターの女性が事務員を呼び、その事務員が別の係り員を呼び、職員たちのがざわつきはどんどん広がっていく。
「書類に不備があったのだろうか」
ニコラが申し訳なさそうにしていると、別室に呼ばれて、しばらく待たされることになった。
特に何かすることもなく、防音の効果のある艶の無い白い鉱物の仕切りの向こうに時々人の気配を感じながら小一時間が経つ。
職員に様子を聞いてみれば、ロイでなければタリムに依頼を担当して欲しいと希望を書いたのが原因のようだった。
更に待たされて、短くなった髪に寝癖をつけたタリムが機嫌が悪そうにやってきた。
「なんで私なんですか」
「事情をよく知った者に依頼しようと思ったのだが、生憎アデルア殿は城に出向しているというので。迷惑でしたでしょうか?」
ニコラは久しぶりに見たタリムにセレスタニアの面影を見て微笑んだ。
セレスタニアの血脈がそこにまだ続いていると知ってから、タリムに会うたび春の花が再び咲くのを見たような、晴れやかな気持ちになる。
「あの、なんですかこれ。相変わらず最低ですね。ミアさんに使うんですか?」
ニコラが提出した依頼書を千切らんばかりに握りしめて、タリムはニコラの向かいの椅子にドスンと座る。
「姫……私を軽蔑してくれてかまわない。しかし、もう他の手立てが見つからなくて……このままでは、ミアの了承を得る前にミアを無理矢理襲ってしまうかもしれないのです」
ニコラの懺悔をタリムは毛虫でも見たような顔で聞いている。タリムはほどほどに虫が嫌いだ。
ニコラはタリムに嫌われていることは承知していたが、タリムがそれを隠そうともしなくなったことで、ようやくタリムとの距離感が理解できてきた。
「やだなぁ、また変なこと言ってる。すごく面倒なので帰ってもらえませんか?」
「熟考のうえの依頼だ。どうか聞き入れて欲しい。ギルドは依頼者の願いを叶えるのだろう?」
「モノによります。申請は私が書類仕事を頑張ればどうにかなる話ですけど、私、単純に変態の片棒を担ぐのが嫌なんです。おじさんとか猛禽のおばさんとかにも筒抜けですよ? わかってます? これ完全に記録に残さなきゃならない薬ですからね。仕事場にも隠せませんよ。それと、猛烈に申請書類が面倒なんです!」
自白剤の使用は許可が必要だ。
平和的で公平な裁きの為に、ごく稀に使用申請書がギルドに提出される。
花街で事件があった場合に真偽を見定める為、または浮気疑惑の弁明の為という用途が多い。身に降りかかる大きな理由が無ければ、書類制作の時点で馬鹿馬鹿しくなって使用を諦める者がほとんどだ。
ギルドとしてはそれを受理した後も報告書類を作るのが大仕事になるので、カウンターに案件が持ち込まれると押し付け合いが始まる。ニコラはギルド側の事情を知らずにタリムを指名してしまったのだ。
「どれほど手間がかかってもかまわない。それに、もとより騎士を辞める覚悟だ――しかし、アディアール騎士や母上にも用途が知れるのか?」
「まぁ、必要があって閲覧を希望されれば、内容を開示します。そのくらい正々堂々とした用途でしか使えないってことですから」
「もちろん、正々堂々と使うことを約束する」
「うっそだぁ」
「ミアの為でもある」
ミアに求婚中だとニコラから聞いたような気がしたのは空耳ではなかったのかと、タリムはげんなりした。
タリムは恋に追い詰められて薬を使ってしまうような、変な勢いがあるニコラが苦手だった。
「ミアさんの為ねぇ……そうとは思えませんけど。使用用途や理由の記載が必要なのですが、お聞かせいただけますか?」
タリムは、蓼食う虫も好き好きと割り切って、投げやりに事務仕事に没頭することにした。
「ミアの気持ちが知りたい。そのために薬が必要だ」
ニコラはじっとタリムの目を見る。不実でも誠実でも見た目が変わらないのは、たちが悪い。
「ひぃ、なんですかそれ。超個人的な理由じゃないですか。普通に訊けばいいじゃないですか。気持ち悪いですよ――あ~、書きたくない、書きたくない。これを使ってミアさんから訴えられたら、騎士様は人生お終いですからね」
タリムは鳥肌を立てながらペンを動かす。
「わからないのだ。私に好意があるようなのに、求婚を受け入れてくれない。次の年季を買い取ると言っても断られた。何をどう言っても駄目だの一点張りだ。真意を確かめたい」
ニコラの苦悩する顔は至極真面目に見える。きっと馬鹿みたいな下ネタを言う時も同じ顔に違いないと、タリムはため息をついた。
「全ての女性が自分に気があると思ったら大間違いですよ。今言ったことも記録に残りますけど、大丈夫ですか?」
「そのつもりだ」
タリムは手を震わせながらニコラの供述を書類に書き込んでいく。「なにを聞かされているの?」と悲鳴はとっくに漏れ出ている。
「ミアの生活を助けたいのだが、真意が分からないうちは強引なことはできない。ミアに訊いても真相を話そうとしない。もう時間がないのだ」
「強引なこと? しようとしてるじゃないですか。もうそれ、犯罪ですね? っていうか、普通に、騎士様の事が嫌いなんだと思いますよ」
こうまでされて花街に助けを求めないミアのこともさっぱり理解できないと、タリムはバリバリと頭を掻いた。
「それが真実でもいい。そうならば、いっそ諦めがつく。心底嫌われていたのなら、ミアに一生会わずに支援だけを申し出るまでだ。とにかく、ミアが安泰に暮らしてくれるなら何でもいいんだ。それと、出来れば花街の仕事以外で生きていけるようにしてやりたい」
タリムは書類を書く手を止めて、蔑んだ目でニコラを見る。
「本当に騎士様は身勝手ですね。そんなこと言って、騎士様も花街に頻繁に出入りしていたそうじゃないですか? それなのに、ミアさんには花街の仕事をさせたくないって、職業差別ですか?」
タリムは花街で働く女たちに頬を叩かれたりするが、彼女たちが働き者で芯の強い所を尊重している。しかし、そこに通いつめる男たちには少々思う所があった。
「ではお聞きしますが、姫は、ロイ・アデルア殿が安定した生活の為に、明日から春を売って生きていくと言い出したらどうするおつもりか? あの見た目だ、さぞや売れっ子になることでしょう。他人に体を明け渡すのが趣味で、天職だというのなら止めはしないが、趣味でもないのに見知らぬ男に尻を差し出すのです。姫は、それだけべたべたと近くに置くアデルア殿が、そうやって生きていく様を見て、何も感じないと?」
ニコラは張りのある声で朗々とタリムに訴える。
タリムは想定外のことを言われて想像が追い付かずに、しきりに空中に視線をやる。
どうにか足りない想像力を働かせた結果、以前覗き見てしまったロイの尻を思い出して、取り乱すことになった。
「ちょっ、し、尻っ? 抱くんじゃなくてロイが抱かれる方ですか? ロイが剣士をやめて、騎士様みたいなごつい男に身を売るのですか?」
自分がタリムの想像に登場させられたのかと、ニコラはさすがに眉を顰める。
「私は趣味ではありませんが、私でなくとも需要はありましょう」
「だ、だめです! ダメ! 殴ってやめさせます。ロイはギルドの仕事だけで食べていけます。お金に困っているなら私が貸します」
「ほら、姫だってそうではないですか! ミアはご存じの通り、城の仕事でも生活していける技量があり、色ごとに長けているわけでもない。もし、仕事がなくて生活が苦しければ、私がいくらでも支援するつもりでいる。結婚すれば一石二鳥なのに、それも断られる始末。いったいどうしたら……」
ニコラは悩んでいた。強引に押し続けても、ミアはニコラを受け入れない。このままでは進展もないままにミアの年季が明けてしまう。
「別に結婚じゃなくてもいいですよね。花街の仕事は土下座でもして辞めてもらって、アディアール家で雇うとか、別の住み込みの仕事を紹介するとか、どうとでも」
「それも考えた。しかし、私がミアと離れて生きられない。ミアがどこにいても、あっという私が囲いこんで手を付けてしまうだろう。それならきちんと結婚していたほうがいい」
もう言っていることが無茶苦茶だと、タリムは頭を抱える。
「うっわぁ、騎士道、何処へ行った? 思いつめ方が特殊で気持ち悪い。そこは手を出さない方向にならないんですか」
「無理だ」
タリムはその場で足をバタバタさせた。
「一応確認ですけど、このやりとりってうちの兄にも、ロイにも筒抜けですよ。自白剤が使われるのはギルドの一大イベントですから。下手をすればギルドマスターから国王陛下まで伝言ゲームです」
「私は本気だ。ミアの年季が明けるまで時間がない。なりふり構っていられない時期に来ているのだ。花街で仕事をする者達を蔑める意図はない。ただ、ミアが花街に戻って誰かに蹂躙されることが耐えられないだけなのだ」
「だからって……」
「姫、お許しください、私は、ミアを愛してしまったのです!!」
ニコラはミアへの愛を叫んでテーブルを叩く。防音の為の衝立ての外にまで声が響いて、開け放たれたドアから通りかかった職員が部屋を覗き込む。
「わぁ。きもっ、うるさっ。ちょっと、ここでそういうのやめてください!」
タリムに嫌な顔をされて、ニコラは椅子に腰を落ち着ける。
ニコラは、自分がこれからすることが、望みの薄い足掻きだとよく心得ていた。それでも何かしないではいられない。
「ミアを花嫁として迎えるにしても、別の仕事を斡旋するにしても、シャーリー氏との間に一つ取り決めがあるのです」
シャーリーはそれを最も重いものだと言った。
「ミアの意思です。ミア自身が結婚を快諾しない限り花街から連れ出すことはできません。ミアが言い出さない限り、私には手出しができないのです。何か理由があって、それを取り除いてどうにかなるなら、私は何を賭してもかまわない」
花街のシャーリー・ガルムは強欲だ。そう簡単に花街の従業員を手放さない。
「だからって、こんな気持ち悪い方法、思いついた時点で最低ですからね」
タリムは一度席を立ち、恐ろしい厚さの書類を持ち出してきた。
ニコラとタリムは頭を突き合わせて、それから何時間も書類の枠を埋める作業を続けなければならない。足りない書類があるとニコラはいちいち騎士棟へ向かって、ミアにバレないように書類を集める。
早朝から出かけたというのに、全部終わるまでに、ミアが帰ってくるギリギリの時間までかかってしまった。
「あの、恋とかって、そんないいものですか?」
タリムはくたくたになって最後の書類に印を押す。ニコラはタリムの意図がわからず首をかしげる。
普段はほとんどしないという事務作業続きで、タリムの神経が参ってしまったのかと心配する。
「姫、気は確かですか?」
「単に好奇心です。気を悪くしないでくださいね。私、そういう恋愛至上主義みたいなのあまりよく理解できないんですけど」
そんなことを言うタリムの方がよくわからないとニコラは腕を組む。
「私には、姫とアデルア殿のぼんやりした関係こそ理解できませんが」
「……余計なお世話です」
ニコラがタリムに出会ってから二年以上も経つ。べたべたといつも一緒に居る割に、タリムとロイの関係が進んだようにはちっとも見えない。
だからといって、二人の間に自分が割って入って、ロイと立場を代われるかと言われたら、そこが自分の居場所だと胸を張って言えるとは思えない。
「姫、私はやっと運命に出会いました。騎士は仕えるべき主を決めたら、何があっても寄り添うのです」
ニコラは幸せそうに笑う。
「うぇっ……執着きっつ」
ニコラが仕事が出来ないなら自分が稼ぐと言い張って、ミアは騎士棟での仕事を続けている。
ニコラのいない間、オルカの捕縛まで、ギルドからロイ・アデルアが王子寮の監視に派遣されている。トラヴィスの監視を兼ねているとはいえ、本来なら近衛の仕事をギルドの者に任せるのは騎士の矜持に関わることではあった。しかし、今のニコラにはギルドに任せようという気持ちの方が大きかった。少なくともロイが城にいるのなら、これ以上ミアに危険が及ぶことはないだろう。
休んでいてくれとミアにしつこく願われた、にもかかわらず、ニコラは家を抜け出してギルドに来ていた。
堅固なギルドの建物はそれ自体が要塞の様な雰囲気がある。明らかにこの国伝統の建築様式ではないし、異国の文字が刻まれている所もある。
ギルドマスターの指示で刻まれたものだろうが、既存の文字でもないようだし、どこでこういった知識を得たのか、ニコラにも推測できない。
中に入れば椅子が置かれ、依頼人が何人も座って待っている。各々整理券を持って自分の順番が来るのを待っているようだ。
ニコラもそれに倣って、数字の書かれた紙を一枚受け取り、台に置かれた依頼申込書に記入する。ペンに紐が付けられていて、ペンが紛失しないようになっているのだろう。使ってみると紐が短くて書きにくい。
ニコラが要件を記入して、依頼人との仕切りになっている大理石のカウンターに用紙を提出すると、それを見た職員の顔色が変わる。
受付カウンターの女性が事務員を呼び、その事務員が別の係り員を呼び、職員たちのがざわつきはどんどん広がっていく。
「書類に不備があったのだろうか」
ニコラが申し訳なさそうにしていると、別室に呼ばれて、しばらく待たされることになった。
特に何かすることもなく、防音の効果のある艶の無い白い鉱物の仕切りの向こうに時々人の気配を感じながら小一時間が経つ。
職員に様子を聞いてみれば、ロイでなければタリムに依頼を担当して欲しいと希望を書いたのが原因のようだった。
更に待たされて、短くなった髪に寝癖をつけたタリムが機嫌が悪そうにやってきた。
「なんで私なんですか」
「事情をよく知った者に依頼しようと思ったのだが、生憎アデルア殿は城に出向しているというので。迷惑でしたでしょうか?」
ニコラは久しぶりに見たタリムにセレスタニアの面影を見て微笑んだ。
セレスタニアの血脈がそこにまだ続いていると知ってから、タリムに会うたび春の花が再び咲くのを見たような、晴れやかな気持ちになる。
「あの、なんですかこれ。相変わらず最低ですね。ミアさんに使うんですか?」
ニコラが提出した依頼書を千切らんばかりに握りしめて、タリムはニコラの向かいの椅子にドスンと座る。
「姫……私を軽蔑してくれてかまわない。しかし、もう他の手立てが見つからなくて……このままでは、ミアの了承を得る前にミアを無理矢理襲ってしまうかもしれないのです」
ニコラの懺悔をタリムは毛虫でも見たような顔で聞いている。タリムはほどほどに虫が嫌いだ。
ニコラはタリムに嫌われていることは承知していたが、タリムがそれを隠そうともしなくなったことで、ようやくタリムとの距離感が理解できてきた。
「やだなぁ、また変なこと言ってる。すごく面倒なので帰ってもらえませんか?」
「熟考のうえの依頼だ。どうか聞き入れて欲しい。ギルドは依頼者の願いを叶えるのだろう?」
「モノによります。申請は私が書類仕事を頑張ればどうにかなる話ですけど、私、単純に変態の片棒を担ぐのが嫌なんです。おじさんとか猛禽のおばさんとかにも筒抜けですよ? わかってます? これ完全に記録に残さなきゃならない薬ですからね。仕事場にも隠せませんよ。それと、猛烈に申請書類が面倒なんです!」
自白剤の使用は許可が必要だ。
平和的で公平な裁きの為に、ごく稀に使用申請書がギルドに提出される。
花街で事件があった場合に真偽を見定める為、または浮気疑惑の弁明の為という用途が多い。身に降りかかる大きな理由が無ければ、書類制作の時点で馬鹿馬鹿しくなって使用を諦める者がほとんどだ。
ギルドとしてはそれを受理した後も報告書類を作るのが大仕事になるので、カウンターに案件が持ち込まれると押し付け合いが始まる。ニコラはギルド側の事情を知らずにタリムを指名してしまったのだ。
「どれほど手間がかかってもかまわない。それに、もとより騎士を辞める覚悟だ――しかし、アディアール騎士や母上にも用途が知れるのか?」
「まぁ、必要があって閲覧を希望されれば、内容を開示します。そのくらい正々堂々とした用途でしか使えないってことですから」
「もちろん、正々堂々と使うことを約束する」
「うっそだぁ」
「ミアの為でもある」
ミアに求婚中だとニコラから聞いたような気がしたのは空耳ではなかったのかと、タリムはげんなりした。
タリムは恋に追い詰められて薬を使ってしまうような、変な勢いがあるニコラが苦手だった。
「ミアさんの為ねぇ……そうとは思えませんけど。使用用途や理由の記載が必要なのですが、お聞かせいただけますか?」
タリムは、蓼食う虫も好き好きと割り切って、投げやりに事務仕事に没頭することにした。
「ミアの気持ちが知りたい。そのために薬が必要だ」
ニコラはじっとタリムの目を見る。不実でも誠実でも見た目が変わらないのは、たちが悪い。
「ひぃ、なんですかそれ。超個人的な理由じゃないですか。普通に訊けばいいじゃないですか。気持ち悪いですよ――あ~、書きたくない、書きたくない。これを使ってミアさんから訴えられたら、騎士様は人生お終いですからね」
タリムは鳥肌を立てながらペンを動かす。
「わからないのだ。私に好意があるようなのに、求婚を受け入れてくれない。次の年季を買い取ると言っても断られた。何をどう言っても駄目だの一点張りだ。真意を確かめたい」
ニコラの苦悩する顔は至極真面目に見える。きっと馬鹿みたいな下ネタを言う時も同じ顔に違いないと、タリムはため息をついた。
「全ての女性が自分に気があると思ったら大間違いですよ。今言ったことも記録に残りますけど、大丈夫ですか?」
「そのつもりだ」
タリムは手を震わせながらニコラの供述を書類に書き込んでいく。「なにを聞かされているの?」と悲鳴はとっくに漏れ出ている。
「ミアの生活を助けたいのだが、真意が分からないうちは強引なことはできない。ミアに訊いても真相を話そうとしない。もう時間がないのだ」
「強引なこと? しようとしてるじゃないですか。もうそれ、犯罪ですね? っていうか、普通に、騎士様の事が嫌いなんだと思いますよ」
こうまでされて花街に助けを求めないミアのこともさっぱり理解できないと、タリムはバリバリと頭を掻いた。
「それが真実でもいい。そうならば、いっそ諦めがつく。心底嫌われていたのなら、ミアに一生会わずに支援だけを申し出るまでだ。とにかく、ミアが安泰に暮らしてくれるなら何でもいいんだ。それと、出来れば花街の仕事以外で生きていけるようにしてやりたい」
タリムは書類を書く手を止めて、蔑んだ目でニコラを見る。
「本当に騎士様は身勝手ですね。そんなこと言って、騎士様も花街に頻繁に出入りしていたそうじゃないですか? それなのに、ミアさんには花街の仕事をさせたくないって、職業差別ですか?」
タリムは花街で働く女たちに頬を叩かれたりするが、彼女たちが働き者で芯の強い所を尊重している。しかし、そこに通いつめる男たちには少々思う所があった。
「ではお聞きしますが、姫は、ロイ・アデルア殿が安定した生活の為に、明日から春を売って生きていくと言い出したらどうするおつもりか? あの見た目だ、さぞや売れっ子になることでしょう。他人に体を明け渡すのが趣味で、天職だというのなら止めはしないが、趣味でもないのに見知らぬ男に尻を差し出すのです。姫は、それだけべたべたと近くに置くアデルア殿が、そうやって生きていく様を見て、何も感じないと?」
ニコラは張りのある声で朗々とタリムに訴える。
タリムは想定外のことを言われて想像が追い付かずに、しきりに空中に視線をやる。
どうにか足りない想像力を働かせた結果、以前覗き見てしまったロイの尻を思い出して、取り乱すことになった。
「ちょっ、し、尻っ? 抱くんじゃなくてロイが抱かれる方ですか? ロイが剣士をやめて、騎士様みたいなごつい男に身を売るのですか?」
自分がタリムの想像に登場させられたのかと、ニコラはさすがに眉を顰める。
「私は趣味ではありませんが、私でなくとも需要はありましょう」
「だ、だめです! ダメ! 殴ってやめさせます。ロイはギルドの仕事だけで食べていけます。お金に困っているなら私が貸します」
「ほら、姫だってそうではないですか! ミアはご存じの通り、城の仕事でも生活していける技量があり、色ごとに長けているわけでもない。もし、仕事がなくて生活が苦しければ、私がいくらでも支援するつもりでいる。結婚すれば一石二鳥なのに、それも断られる始末。いったいどうしたら……」
ニコラは悩んでいた。強引に押し続けても、ミアはニコラを受け入れない。このままでは進展もないままにミアの年季が明けてしまう。
「別に結婚じゃなくてもいいですよね。花街の仕事は土下座でもして辞めてもらって、アディアール家で雇うとか、別の住み込みの仕事を紹介するとか、どうとでも」
「それも考えた。しかし、私がミアと離れて生きられない。ミアがどこにいても、あっという私が囲いこんで手を付けてしまうだろう。それならきちんと結婚していたほうがいい」
もう言っていることが無茶苦茶だと、タリムは頭を抱える。
「うっわぁ、騎士道、何処へ行った? 思いつめ方が特殊で気持ち悪い。そこは手を出さない方向にならないんですか」
「無理だ」
タリムはその場で足をバタバタさせた。
「一応確認ですけど、このやりとりってうちの兄にも、ロイにも筒抜けですよ。自白剤が使われるのはギルドの一大イベントですから。下手をすればギルドマスターから国王陛下まで伝言ゲームです」
「私は本気だ。ミアの年季が明けるまで時間がない。なりふり構っていられない時期に来ているのだ。花街で仕事をする者達を蔑める意図はない。ただ、ミアが花街に戻って誰かに蹂躙されることが耐えられないだけなのだ」
「だからって……」
「姫、お許しください、私は、ミアを愛してしまったのです!!」
ニコラはミアへの愛を叫んでテーブルを叩く。防音の為の衝立ての外にまで声が響いて、開け放たれたドアから通りかかった職員が部屋を覗き込む。
「わぁ。きもっ、うるさっ。ちょっと、ここでそういうのやめてください!」
タリムに嫌な顔をされて、ニコラは椅子に腰を落ち着ける。
ニコラは、自分がこれからすることが、望みの薄い足掻きだとよく心得ていた。それでも何かしないではいられない。
「ミアを花嫁として迎えるにしても、別の仕事を斡旋するにしても、シャーリー氏との間に一つ取り決めがあるのです」
シャーリーはそれを最も重いものだと言った。
「ミアの意思です。ミア自身が結婚を快諾しない限り花街から連れ出すことはできません。ミアが言い出さない限り、私には手出しができないのです。何か理由があって、それを取り除いてどうにかなるなら、私は何を賭してもかまわない」
花街のシャーリー・ガルムは強欲だ。そう簡単に花街の従業員を手放さない。
「だからって、こんな気持ち悪い方法、思いついた時点で最低ですからね」
タリムは一度席を立ち、恐ろしい厚さの書類を持ち出してきた。
ニコラとタリムは頭を突き合わせて、それから何時間も書類の枠を埋める作業を続けなければならない。足りない書類があるとニコラはいちいち騎士棟へ向かって、ミアにバレないように書類を集める。
早朝から出かけたというのに、全部終わるまでに、ミアが帰ってくるギリギリの時間までかかってしまった。
「あの、恋とかって、そんないいものですか?」
タリムはくたくたになって最後の書類に印を押す。ニコラはタリムの意図がわからず首をかしげる。
普段はほとんどしないという事務作業続きで、タリムの神経が参ってしまったのかと心配する。
「姫、気は確かですか?」
「単に好奇心です。気を悪くしないでくださいね。私、そういう恋愛至上主義みたいなのあまりよく理解できないんですけど」
そんなことを言うタリムの方がよくわからないとニコラは腕を組む。
「私には、姫とアデルア殿のぼんやりした関係こそ理解できませんが」
「……余計なお世話です」
ニコラがタリムに出会ってから二年以上も経つ。べたべたといつも一緒に居る割に、タリムとロイの関係が進んだようにはちっとも見えない。
だからといって、二人の間に自分が割って入って、ロイと立場を代われるかと言われたら、そこが自分の居場所だと胸を張って言えるとは思えない。
「姫、私はやっと運命に出会いました。騎士は仕えるべき主を決めたら、何があっても寄り添うのです」
ニコラは幸せそうに笑う。
「うぇっ……執着きっつ」
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